昨日の夕方の東京は、大雨・雷・強風・波浪・洪水注意報が出てました。強烈でしたね、雨。
空気がキレイになった空を眺めながら、"そういえば、東京タワー見えなくなっちゃったんだよなぁ..." などと。
以前はうちの窓から東京タワー見えてたんですが、最近は見えません。旧B庁跡地に建ったでっかいビルのせいです。
別に東京タワーに何の思い入れもないので、どうということではないんですが(笑)、最近、例の本読んだもので。
世には思いいれのある方もいらっしゃるようですよね...
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
著者 : リリー・フランキー
ほんとスンマセン。自分はどうしようもないヤな奴で、ヘソの曲がったひねくれ者です。
わかっちゃいるけど、どうしようもないんですよ、こればっかりは。悔しいくらいにどうしようもないんです。
この小説を小説として好きになれない。
元々小説というジャンルにあまり興味が無いので、もらった本とか何か自分が関係した本とか、そういうのしか読んでない。自分で選ぶのは、歴史、政治、科学等の研究本。
なのに、ナゼこの本を読まなくてはならなくなったかと言えば、会社にいるお局様から借りたから。
「もう~、電車の中じゃ読めないのよ!号泣しちゃうの!」
などと言われ、それでも興味無さそうな返事しかしてなかったにも関わらず、
「読みたかったら貸してあげるよ」
とか言いやがる。
曖昧にひきつり笑いだけ返しておいたのだが、一週間後、当然のように、
「はい。」
と渡されてしまった。
読みたいワケじゃないけど、これじゃ読まないで返すっつー選択肢は無さそうなので、読み始めた。
ダラダラ読むといつまでたっても読み切らないと思ったので、ゴールデン・ウィークに一気読み(笑)
最初にすげーいーなぁって思ったのが1ヵ所。
縦書きの扉の題字
感動で目頭が熱くなったのは1ヵ所。
初めて独り暮らしを始める息子の旅立ちの日、オカンが持たせた弁当の下に手紙が入っていた……という下り。
その後のグータラ生活を知らない自分としては、きっと勉強とかで一番になっちゃったりするんだろう...などと勝手に期待し、オカンの心遣いに感動。
悔しくて目頭が熱くなったのは2ヵ所。
子が親元を離れてゆくのは、親子関係以上のなにか、眩しく香ばしいはずの新しい関係を探しにゆくからだ。
・・・・・・・・・・・・
人間が生まれて、一番最初に知る親子という人間関係。それ以上のなにかを信じ、世に巣立ってゆくけれど、結局、生まれて初めて知ったもの、あらかじめ、そこに当たり前のようにあったものこそ、唯一、力強く、翻ることのない関係だったのだと、心に棘刺した後にようやくわかる。
世の中に、様々な想いがあっても、親が子を想うこと以上の想いはない。
ここに書かれている "唯一、力強く、翻ることのない関係" を知らないまま大人になった人間もいて、そんな人間は "親が子を想うこと以上の想い" がどこかにあると信じて、日々彷徨っているのです。
いったい何をどれくらい経験してきた結果 "ボク" はこんな風に言い切ることができるのだろうか。
上手く反論できない自分が悔しい。
それぞれが、その辺りの水溜りで湧いた蛆のように、ひとりで生まれ、ひとりで生きているような顔をしている。
しかし、当然のことながら、そのひとりひとりには家族がいて、大切にすべきものがあって、心の中に広大な宇宙を持ち、そして、母親がいる。
この先いつか、或いはすでに、このすべての人たちがボクと同じ悲しみを経験する。
・・・・・・・・・・・・
人が母親から生まれる限り、この悲しみから逃れることはできない。人の命に終わりがある限り、この恐怖と向かい合わずにはおれないのだから。
確かに、この世に存在している以上、母親のいない人はいないだろう。しかし、この "ボク" と同じような距離感で母親が存在しているとは限らない。こんな悲しみを経験するとは限らない。
いったい何をどれくらい経験してきた結果 "ボク" はこんな風に言い切ることができるのだろうか。
上手く反論できない自分が悔しい。
頭にキたのは1箇所。
オカンが貯金も無い、年金も払えなくなったから貰えないと言った時、語り手のボクは年金制度を批判している。
オカンがボクの大学の卒業証書を広げ
「これがあたしの全財産よ」 と言った。
日本の年金制度が正しいとは言わないが、"ボク" に批判されてもどうかと思うよ。オカンの貯金を食い潰したのはてめーだろッ!って思うとね。
共感できた登場人物、1人。
オトン。
首尾一貫してるからね(笑) 語り手の "ボク" みたいに、都合のいいところだけオトンの言う事聞いたりしてるのと違って、人の評価がどうであれ、その時の経験値による価値観を持っている感じがいい。
本音、やっぱり読まなきゃよかったと。
このモヤモヤした不快感はやっぱり妬みなんですかね。
嵐のあとの不思議色な空を見ながら、色々と自分を振り返る、今日この頃。 かな...
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zooquieさんの感想、充分ありだと思います。
ひねくれ者なんて、全く思いません!
<共感できた登場人物、1人。
オトン。>
には、笑いました。
そうかも!
家庭の枠をはみ出した、このオトンがいたから、この家族のバランスが保っていたのかも。
リリーさんが15才から母親と離れて、再び同居したのが30才になってからというのも、親子関係にとってはラッキーだったのかも知れません。
この本は、母子家庭でリリーさんすべてで生きてしまった母親の最期を見取ったリリーさんの、母親へのレクリエムだと思いました。
だから泣かされましたけど。
読んだ方々から批判されるのではと、
恐る恐るUPしたもので(笑)
こんな風に言って頂けると、
小説以上に目頭が熱くなります。<マジです
自分がオトンに共感できたのは、
独楽知さんの言う通り、
実はバランスをとっていたのはオトンだからなのかも。
話の中ではなんとなく受動的な動きしか見えないけれど、
実は、能動的に押さえるべき所を押さえていたのかも。
すごいなぁ、オトン。
ソウイウ人ニ、ワタシモナリタイ...
↑どっかで聞いたことあるような??(笑)