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Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

ある日の朝

2009-02-27 13:35:25 | 言葉・本
ここまで寒いとトイレも近くなるし、天国も近くなるよ(笑)


こんな会話のできる年寄りになりたい。

在ること

2008-08-19 23:23:47 | 言葉・本
自分が存在している意味とかではなく、
自分は必要な存在かとかでもなく、
在るということにこそ意味がある。
在るということが良い。
在るからこそ、無限に肯定できる。



とある集いにて...
リーゼンフーバー S.J.

『人間失格』 太宰治

2008-08-12 21:32:02 | 言葉・本
太宰治の代表作とも言える 『人間失格』 を
生まれて初めて読みました。
特に読書家というワケではないので、
今まで機会もないまま、この日を迎えた訳です。

30代になって読む 『人間失格』 は凄い。
ということは、これを青春と呼ばれる時期に読んだり、
仕事に没頭できた20代で昼飯食いながら読むのとは、
きっと全然違う受け取り方をしていただろうと思うと、
なんで今更読んでしまったのか、などと思う。

自分と似すぎて怖いくらいだ。
死ぬことばかり考えている。

違うところと言えば、
この主人公は 「道化」 になったが、
自分の場合は 「生真面目」 になることで、
周りの評価を上げようと努力していた。

子どもの頃の写真を友人に見せても、
自分ではそれなりに可愛いと思っていたのに、
「子どもなのに何をこんなに怒っている?」
と言われる始末である。

大人になり、社会に出て、とある人に
「笑顔は大切だよ、笑顔。 むすッとしてないで」
と、半ば怒られるように言われたことがある。
それ以来、楽しかろうが、つまらなかろうが、
最初のあいさつやらの一言は笑顔を作ることにした。
もうそういう自分が完全に作り上げられてしまって、
最初の一言は 「笑顔」、とプログラムされている。
そう簡単には、臨機応変に変更など利かないので、
お通夜の席でも、最初の挨拶は 「笑顔」 .....
こんな自分にしやがって、
どこの誰だか全く覚えちゃいないけど、
『人間失格』 を読んで思い出してしまったよ。

自分はあるサークルのようなものに入っていて、
そこの Blog も書いている。
しかし、そこの Blog はこことは全然違って、
Blog のお手本のような、
誰もがイヤな思いをしないような、
そんな優等生 Blog。

自分は mixi もやっていて、
そこは直接の顔見知りだけがマイミクで、
日記もマイミクしか読めなくしていて、
そこでの自分は、世間向け。
会社や友人に見せる顔で書いている。

この Blog は本音モノ。
mixi とは逆で、直接知り合いの人には教えていない。
だから、何も考えない本音モノ。
まぁ、時々優等生ぶることもあるけれど、
それは自分でも修正不可なので、しゃーないね。

ダラダラ長くなった割にはまとまりが無いね、今日は。
いつも?
うぅ~ん、とにかく自分は 『人間失格』 の
“大庭葉蔵” みたいな人間だ。人間失格だ。

いや、違った。
本文の最後に
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
などと言われている。
これは自分と違う。

『ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか』

2008-06-01 20:37:55 | 言葉・本
第二次世界大戦後、
イスラエルを建国する根拠とも言える「シオニズム運動」

これを完全に否定する著作が出版されたそうだ。
しかも、ユダヤ人が書いている。
そして、ベストセラーだそうだ。

読みたい、とてつもなく読みたい。
ヘブライ語、アラビア語、ロシア語、英語への
翻訳は予定があるそうだ。

どうしたもんだろう、
読みたい、どうしても読みたい。
英語だったらなんとかなるだろうか??
amazonとか?
うぅ~、読みたい。

ヨハネ23世

2008-04-14 19:58:38 | 言葉・本
聖マルコ祭の前日、彼は私たちに、平和はわれわれ一人一人が家庭で、職場で、そして世界で作り出さなければならないものだ、と告げた。本書が書かれたのは、この真の “平和を作り出す人” の生涯を語り、その意味を追求するためである。
『教皇ヨハネ二十三世』 「まえがき」 より
著:メリオル・トレバー

生きがいの探求

2008-04-10 23:06:36 | 言葉・本
もし一人の人間によって少しでも多くの愛と平和、光と真実が世にもたらされたなら、その一生には意味があったのである
アルフレッド・デルプ神父

老師の提唱

2008-01-13 21:00:32 | 言葉・本
「努力のないところには幸福はない。決断のないところには解決はない」
「賢い人は知っていることしか言わぬ。愚かな人は知らないことまで口に出す」
「他人の短所を責めてはならぬ。自分の欠点を許してはならぬ」
「知ることがむずかしいのではない。おこなうことがむずかしいのである」
植木義雄老師
『不撓不屈』 下巻  著:高杉良 より
ありえんですわ。

裁判員の役割

2008-01-06 20:14:15 | 言葉・本
裁判員制度のサイトから...
「人を裁く」のではなく、
被告人の「行為を裁く」のが、
裁判員の役割であって、
被告人の人格や一生を裁く資格は、
おそらく誰にもない。
最高裁判所事務総局刑事局長/大谷氏
ふむふむ。

Sophia Philharmonic Orchestra

2007-12-29 22:39:54 | 言葉・本
「上智大学管弦楽団第85回定期演奏会」 というのに
行って参りました。
弦楽器のことは良くわからないのですが、
管楽器は、やはり長音・短音のフラつきとか、
全体のタイミングのズレなどが、
若々しいなぁ、などと。
Finland 好きときしては、シベリウスは嬉しいワケで、
なかなか心地よいひと時でした。
そのプログラムに、↓こんなことが書いてあった。
 音楽は、特にその演奏は、いまこの瞬間にかける芸術だ。作品自体は長く残るかも知れない。けれど、ひとつひとつの演奏は、限られた短い時間の中にしか存在しない。音楽は、静的に存在し続ける美術や文学とは全く違う、時間の中で流動的に変化し、消えていく芸術なのだ。しかし、そうした儚い泡沫の存在の内に永遠がある。天国が見える瞬間がある。それが音楽の素晴らしさだ。その点で音楽は人生に似ている。音楽は長ければ良い、というものではない。短くたって最高の音楽が存在する。すべての小節に、いや全ての音符、全ての休符に永遠がある。人生もそうだ。全ての瞬間に永遠があるはずだ。 ……
凄い。
絶句。

「赦す」ということ

2007-12-20 20:11:54 | 言葉・本
新約聖書 マタイ18章21節
兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、
何回赦すべきでしょうか。七回までですか。
 イエスは、このペトロの問いに対して「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(同22節)と答えている。
(中略)
 このあとにイエスは、自分は主人から莫大な借金を帳消しにしてもらったのに、仲間からはわずかな借金を無慈悲に取り立てようとした、不届きな家来のたとえ話を引いて、「あなたがたの一人ひとりが、心から兄弟を赦さないなら、わたしの、天の父も同じようになさるであろう」と言う。
 イエスは、借金というわかりやすいたとえで語るが、この「人を赦す」という行為は、現代の私たちにも大変難しい課題だろう。
 自分が他人の罪によって大きな苦しみを受けたとき、私たちはそれを本当に赦すことができるだろうか。
 たしかにいくら年月が経っても、相手を赦せず、恨み続ける人がいる。しかし、人を赦せるのは自分が弱いからではなく、真の強さの証しである。
 他者を赦せない人は、終わりのない憎しみと恨みの悪循環に支配される。
 理性的にこうした感情を乗り越えるのが、人間としての真の愛情だと、イエスは説く。
 七の七十倍というのは、無限に他者を赦して受け入れよという、キリスト教の根源的な信条を示すものだ。
アルフォンス・デーケン : 著
『光のダイアローグ』
なんかね、自分に言われてるみたいで...
実母をいつまでも恨み続けている自分のことをね。