荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

AKB総選挙 補足

2011-06-11 01:34:31 | 政治の話
付記:俺の計算違いだったらしい。1位から40位までで1081332票で、投票総数が1166145票が正しい数字のようだ。
なんてことはない。結局、最初に120万票といっていたほうに近かったことになる。
めんどくさいので、以下の記事を修正はしない。俺の言いたいことはなんら修正するほどの数字の変化ではないからだ。
それにしてもおかしいなぁ。なんで計算ミスするんだ?。検算したはずなのに。

まぁいい。
面白い数字もでていた。
CDから投票していた分が779090票、モバイル会員が387055票らしい。このモバイル会員には柱の会とかDMM月極パック購入者も含まれているのだろう。
モバイル会員はこの選挙のときの幽霊会員もいるだろうし、SKE,NMBのモバイル会員に急遽入会したものも多いだろう。したがって、この数字からはAKB48のファンの実数は全く見当がつかない。多く見積もって30万、少なくて20万といったところか?。
CDから投票されていた779090票だが、すでに「Everyday 、カチューシャ」は145万枚を売り上げている。もちろん、投票しなかった人もいるだろうが、いったい劇場盤がこの中でどれくらいの割合を占めているかだ。今回はAKBグループが全員握手会に参加するとはいえ、さすがに劇場盤が70万枚とは考えにくい。
前にもいったが、一人一日に3500人がMAXだろう。AKBグループ全員で190人近く。それが全て3500人としても67万にしかならない。そのうちAKB48だけで多くて50万、少なくて40万といったところか?。

かりに50万として平均で何枚購入しているのかはわからないが劇場盤は通常版と違い複数枚購入者がほとんどだということを考えたら一人5枚として10万人になる。本音をいえば、劇場盤を買う者は平均10枚くらいだと思っているが、これもデータがないために想像の域をでない。

いったい、AKBの熱烈なファンというのはどれくらいいるのだろうか?。








さる筋から得票総数がわかった。といってもまだ確定したわけではない。しかし、まずはこの数字ではないだろうか?。
1081332票らしい。

そこで昨日の日記の数字をここで修正する。

前田敦子の得票率は12.93%。投票総数が思ったよりも少なかったので比率はあがった。
1位から10位までの得票総数は694913だから64.26%
1位から40位までの得票総数は957442だから88.54%
恐ろしい寡占化といえよう。110人で11.5%しかとれていない。



2ちゃんねるを見ていると、面白い感想があった。簡略して縮めてある。



前田のコメントを普通の人が聞くと不思議に思う。その例が母で、母に対して「嫌いな人が多いからだよ」というと母は「なんで?、一番人気があるんじゃないの」



まぁ、12.9%で一位なのだからあたりまえだ。比率が1%くらい上がったからといって、昨日書いたことになんら変わりはない。



昨日、教え子から、「先生が何を問題にしているのかがわからない」というレスポンスをもらったので、少し補足する。こいつは決して知性が足りないわけでなく、様々なことに関心をもっている。にもかかわらず、この簡単なことがわかっていない。

前田が一番得票したことは間違いない事実だ。一番得票したから一位というのも間違いはない。ところが、その1位をセンターにつける根拠(正当性)が不足していることを俺は問題にしているのだ。

簡単な例をあげるとこの「総選挙」にAKBとは異なる某アイドルグループが一人立候補したとする。そのアイドルグループのヲタが総力をあげて10%少々で1位になったとき、その娘がセンターにつくことを許容できるか?。できるわけがないに決まっている。ところが、この娘が60%近い得票率だった場合、これを拒否できる理由はない。それくらい50%という数字には重みがある。大統領選挙で過半数を超えるまで決選投票を行う仕組みをとっている国があるのは当然と言えよう。
といいながら過半数を超えたことに何の重みがあるのだといわれたら、明確な支えがないのも事実である。したがってデモクラシーは過半数を基準にしながらも、それを超えたことに絶対の正当性があるわけではない。それがゆえに、「デモクラシーは少数意見を尊重する」となるのだ。


なぜ、このような奇妙な「選抜」方法がまかりとおっているのか?。そして、誰もこれに異論を唱えないのか?。その理由は簡単である。
それは、つまるところ、だれが一位であってもかまわないからだ。AKBが好きだから、AKBの誰がセンターについてもかまわない、という前提が多くのファンに共有されているからだ。前田敦子のコメントに全てがあらわれている。「私のことを嫌いになってもAKBのことは嫌いにならないでください」というものだ。これに感動したという人が多かったことはいろんな人のブログに目を通していればわかる。みんなAKBが好きだからなりたっているのである。これは昨年のじゃんけん選抜でも、一部のヲタを除いてわりと暖かく受け入れられたことからわかる。

AKBファンのAKBファンによるAKBファンのためのお祭りであって、そして、メンバー間の仲がいいことが、全てをネタとして楽しむことにつながっているのだ。

このことは日本人の政治意識と密接に関係していると思う。結局のところ、誰が政治家になったってかまわないから、決め方の論理について考えることなく、決められたルールの中で楽しむという行為にふけっているのだ。これが楽しめないものは政治から逃避する。ゆえに50%後半しか投票率がないのに、選挙当日の報道は選挙一色になる。30年前はこんなに選挙報道は過熱していなかった。6割半ばの投票率があったにもかかわらずだ。
AKBの「総選挙」だからこそ決め方の論理もへったくれもなく、そして、そんなことになんら関心をもたない人も許される。実際の政治でこのような意識が続く限り、日本は「失われた10年(20年)」どころか、二度と立ち直ることができない奈落の底にゆるやかにむかっていくだけだろう。












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4 コメント

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Unknown (YN)
2011-06-11 23:40:24
こんばんは。以前も一度コメントさせていただきました。福岡在住の者です。百道、西新エリアにすんでいます。
現在高2で、ちょうど先日、ヨーロッパの近代史のフランスのところで、荒巻先生がデモクラシーに関して話しておられました。
僕も、今の日本人は、「デモクラシー」と聞くと条件反射的に「いいこと」だと考えてしまい、「民主」の本質を理解しようとしないから(僕も、とうてい理解できているとは言えません)昨今の政治腐敗が生じているのだと思います。
そして、現在、自民党などの巨大政党から分立して、新党ができ小党分立状態にありますよね。
そうすると、選挙票は細かく割れ、国民の意見はなかなか反映し難い、しかし、日本人の政治的アパシーから、この状況に異を唱える人がいない。
そうなると、「デモクラシー」は、いいように利用され結局我々自らを苦しめることになると思います。
先生はどうお考えですか?
(高校生のくせに生意気言ってすみません(__))
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Unknown (荒巻豊志)
2011-06-12 00:20:26
YNさん、こんばんは。
高2なのに、こういうことを考えるのはいいことだと思います。恥ずかしがらずに自分の意見をいって、叩かれて大きくなっていくんだと思います。

日本人が本気でデモクラシーがいいと思っているかはわかりません。とりあえず「表向き」は素晴らしいといっているだけのようにも思えます。

デモクラシーの不理解が政治腐敗につながっているかどうかは即断できません。YNさんのいう「政治腐敗」というのが何かよくわからないからです。

「自民党などの巨大政党から分立」というのはちょっとよくわかりません。最近、テレビも新聞も全くみていないので。新党でもできたのですか?。本当に知らないので今から調べてみます。

「選挙票は細かく割れ、国民の意見はなかなか反映しがたい」というところは意味不明です。選挙制度は少し勉強すればわかることなので、そのあたりは暇なときに調べてみてください。衆議院は基本的に小選挙区制をとっていますので、大政党に有利になります。それをもって国民の意見が反映されないととらえているのでしょうか?。

「デモクラシーはいいように利用され」というところも陰謀論に傾いています。誰に利用されるのですか?。

ということで、生意気でもなんでもありませんよ。いっぱい考えたり調べたりしてください。いくらでもお答えします。
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Unknown (YN)
2011-06-12 01:55:12
先生のコメントを読んで自分の論のもろさを思い知りました。

順番が上下しますが、「巨大政党からの分立」というのは民主党が政権を取って以来の話です。自民党からは、みんなの党(これは民主党政権以前ですが)、立ち上がれ日本、舛添さんの新党改革などができました。
「選挙票が細かく割れ、民意が反映しがたい」の部分は僕の事実誤認です。比例代表制と間違っていました。申し訳ありません。
また、政治学者のカール・シュミットが言うように、独裁者が民主(デモクラシー)の中から選ばれる可能性もあると思うんです(独裁がいいか悪いかは別問題として)。その結果として、古代ローマのような衆愚政治に陥ることにもなると思います。なるほど確かに僕の「昨今の政治腐敗」という表現はおかしいですね。
デモクラシーが必ずしも正しいことではないということを理解すればこのような衆愚政治的なことは未然に防げると思うんです。そういった意味では歴史に学ぶって大切なことですよね。
そして、国家がこの衆愚政治的状況に陥った場合、国家の指導者(独裁者というべきでしょうか)は国益を無視して私利私欲に走ることが往々にしてあると思います。つまり、「民主」の不理解→衆愚政治的な状況→一部の指導者が利益を得、国益としてはマイナスになる
これが僕の考える「民主がいいように利用され」です。
しかし、実際、シンガポールやインドネシアなど開発独裁によって成長した国もあるから一概には言えませんよね。

まだまだ支離滅裂だったり意味不明な点や、誤った考え方えをしているところがたくさんあると思いますが、自分なりの考え方を述べさせていただきました。
これからもいろいろ調べていきたいと思います
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Unknown (荒巻豊志)
2011-06-12 17:37:15
ふむふむ。まぁ、いろいろとありますが、ふたつほど。
古代ローマではなくてアテナイの誤りですね。こういう本筋とそれた事例でミスをすると信頼が失われます。わかってくれる人はわかってくれますがね。

独裁者の登場をデモクラシーの危険性ととらえているわけですね。一般論としてはそうだと思います。ただ我が国はたかが独裁者の一人もまともに出せないくらいだから、その点の心配はご無用でしょう。
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