荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

なんか容疑者のばばぁが自殺したらしい

2012-12-13 00:49:27 | 日記
最近テレビを少しはみるようになったが、尼崎かそのあたりで何人もが行方不明みたいになったり死んだりという事件で極悪なツラをしたばばぁが容疑者とされ逮捕されたことは知っていた。そのばばぁが自殺したというニュースを昼のうちにはネットニュースで知ることができた。

警察の責任を追求するということもそれなりには必要なのかもしれないが俺には興味はない。

夕方に近くの電気屋のテレビでおのことをやっていたが、たぶん被害者の家族かと思うが「真実を話してほしかった」とか「許せない」というようなことを言っていた。

これはとても難しい問題をはらんでいる。

自殺と死刑はどこが違うのか?。もしこの容疑者が最後まで黙秘のようなかたちで死刑判決がくだされたとき、同じように遺族の人たちはやるせない気持ちを持つのだろうか?。こうなると死刑ということで「癒される」わけではないことがわかる。もちろん死刑で「癒される」光市母子殺害事件のようなケースもある。遺書などが残されていようはずもないが、「死んで責任をとります」というようなことで自殺をした場合、事実上の死刑なのではないだろうか?。結局、遺族は「真実」なるものを知りたいということがまずあって死刑かどうかはさして問題にはなってないように思われる。もちろん懲役5年とかそのレベルだと納得はしないだろうが、終身刑がもし日本にあったとしたら、「真実」さえわかれば死刑であろうが終身刑であろうがどちらでもいいのではないかという気がしてきた。

終身刑が自由を完全に奪うことから死刑よりも残酷だという意見もあるが、終身刑にされたにも人権はあるわけでまさか目玉をくりぬき、両手両足をちぎってしまうというようなことができようはずもないので普通に生活ができるとすればやはり許せないという気持ちを持つ人もいるだろう。

死刑に犯罪の抑止効果がほとんどないことはもうわかりきっている(軽犯罪には抑止効果大!)。
では死刑はなんのためにあるのか?。遺族がそれで「癒される」ことがないとすれば死刑の必要はあるのか?。

俺は今まで死刑は必要かな、と思っていたが今日のこのニュースでもしかしたら死刑は必要ないように思ってきた。