庭の梅 緋の司が咲き始めました。大震災の年にいただいた苗木です。
碑の司1701140011 posted by (C)雑草
庭での咲き始めた日にちを調べましたら
2014年 2月28日
2015年 2月16日
2016年 1月 1日
2017年 1月14日とわかりました。開花が早くなる傾向があるようです。昨年は偕楽園も非常に早かったのですが、我が家も早かったです。今年も去年よりは遅いですが早いですね。
緋の司1701140004 posted by (C)雑草
この梅の木は2011年3月の大震災の時に偕楽園さんから苗木をいただいたものです。
ちょうど大震災の日3月11日は偕楽園にいました。3月いっぱいで55年ものあいだ梅の管理をされておられた方が退官されるというので、記念写真を撮ることにしていました。思い出のある梅の木のそばで撮りましょうということでした。それには、お客様が多いですから、梅林の中に入るのはお客様が少なくなってからということで午後4時としました。私はそれまで待つことにして、梅林をあちこち歩いていました。ちょうど田鶴鳴梅林の薄色縮緬の近くに来た時に、なじみの造園屋さんがおりまして、話を始めたその時に地鳴りのような響きと、大きな揺れに襲われました。梅林の中の芝生でなすすべもなく座り込みました。
近くの県道にかかる田鶴鳴橋が大きな製缶工場の中で大きな製品をハンマーでたたいているような大音響を何回も発したので恐怖に襲われました。
そして、埋め立て地である梅林からは、水道管が地下で破れたかのように芝生を突き破って水が吹き上がりました。
造園屋さんにはとにかく家に帰った方がよいと声をかけて、すぐに東門の知り合いのお土産屋さんが無事なのを確認してから自転車で家に帰りました。
行く道すがら見える光景は、瓦が落ちてしまった家、ブロック塀が傾き、大谷石の塀が完全に崩れていました。築50年以上の安普請の我が家はどうなっているか不安が募るばかりでした。
道の角を曲がると我が家が見えるはず。で、曲がったら、我が家が見えません。ん。ダメだったか。
それで少しすすで行くと、何と我が家が見えました。そうだ、道を曲がったすぐには見えなかったのでした。瓦は落ちていません。一見外観は無事。しかし、中はあらゆるものが散乱していて、仕方がないので靴のまま入りました。各部屋の写真を撮り、2回に上がると、障子が外れたり、挟まって歪んでいたり、物が散乱していました。
庭を見ると石を積み上げて作った築山から大きな石がたくさん転げ落ちていました。植木鉢も棚から落ちてしまい惨憺たる状況でした。隣家のブロック塀の上の段が我が家のほうに落ちていました。我が家の塀は生垣でしたから大丈夫でした。
電気は停電するも、ガスは大丈夫でした。ガス管をフレキシブル管にしておいたのがよかったのかも。
水道は止まっていました。水を確保しなければと風呂場の水道栓をひねるとまだちょろちょろ出ました。すぐに漬物用の大きなプラスチックの樽を持ってきました。少し汚れていましたが、水が出なくなる前にと洗うのはそこそこに樽に水をため始めました。
ちょうど樽が水でいっぱいになったときに、水が出なくなりました。さいわい、ふろの水は抜いてなかったので、トイレ用とか洗い物用につかえます。
石油ストーブも無事でしたから、米と少しばかりの食糧があったので、質素な煮炊きをすれば1週間は持ちこたえられると思いましたら、気持ちが落ち着いてきました。
退官される方の記念写真は3月中に撮り終えてアルバムをお渡しできたのでした。
佐橋紅 posted by (C)雑草
この時に緋の司と佐橋紅、白加賀の苗をいただきました。今年ももう少しすると佐橋紅が咲き始めます。
佐橋紅は紅千鳥によく似た花です。紅千鳥は佐橋紅の枝変わりだそうです。
震度分布表を見てあらためてとてつもなく大きな地震であったことをおもいました。
あえて震度分布表はここにはアップしていません。
碑の司1701140011 posted by (C)雑草
庭での咲き始めた日にちを調べましたら
2014年 2月28日
2015年 2月16日
2016年 1月 1日
2017年 1月14日とわかりました。開花が早くなる傾向があるようです。昨年は偕楽園も非常に早かったのですが、我が家も早かったです。今年も去年よりは遅いですが早いですね。
緋の司1701140004 posted by (C)雑草
この梅の木は2011年3月の大震災の時に偕楽園さんから苗木をいただいたものです。
ちょうど大震災の日3月11日は偕楽園にいました。3月いっぱいで55年ものあいだ梅の管理をされておられた方が退官されるというので、記念写真を撮ることにしていました。思い出のある梅の木のそばで撮りましょうということでした。それには、お客様が多いですから、梅林の中に入るのはお客様が少なくなってからということで午後4時としました。私はそれまで待つことにして、梅林をあちこち歩いていました。ちょうど田鶴鳴梅林の薄色縮緬の近くに来た時に、なじみの造園屋さんがおりまして、話を始めたその時に地鳴りのような響きと、大きな揺れに襲われました。梅林の中の芝生でなすすべもなく座り込みました。
近くの県道にかかる田鶴鳴橋が大きな製缶工場の中で大きな製品をハンマーでたたいているような大音響を何回も発したので恐怖に襲われました。
そして、埋め立て地である梅林からは、水道管が地下で破れたかのように芝生を突き破って水が吹き上がりました。
造園屋さんにはとにかく家に帰った方がよいと声をかけて、すぐに東門の知り合いのお土産屋さんが無事なのを確認してから自転車で家に帰りました。
行く道すがら見える光景は、瓦が落ちてしまった家、ブロック塀が傾き、大谷石の塀が完全に崩れていました。築50年以上の安普請の我が家はどうなっているか不安が募るばかりでした。
道の角を曲がると我が家が見えるはず。で、曲がったら、我が家が見えません。ん。ダメだったか。
それで少しすすで行くと、何と我が家が見えました。そうだ、道を曲がったすぐには見えなかったのでした。瓦は落ちていません。一見外観は無事。しかし、中はあらゆるものが散乱していて、仕方がないので靴のまま入りました。各部屋の写真を撮り、2回に上がると、障子が外れたり、挟まって歪んでいたり、物が散乱していました。
庭を見ると石を積み上げて作った築山から大きな石がたくさん転げ落ちていました。植木鉢も棚から落ちてしまい惨憺たる状況でした。隣家のブロック塀の上の段が我が家のほうに落ちていました。我が家の塀は生垣でしたから大丈夫でした。
電気は停電するも、ガスは大丈夫でした。ガス管をフレキシブル管にしておいたのがよかったのかも。
水道は止まっていました。水を確保しなければと風呂場の水道栓をひねるとまだちょろちょろ出ました。すぐに漬物用の大きなプラスチックの樽を持ってきました。少し汚れていましたが、水が出なくなる前にと洗うのはそこそこに樽に水をため始めました。
ちょうど樽が水でいっぱいになったときに、水が出なくなりました。さいわい、ふろの水は抜いてなかったので、トイレ用とか洗い物用につかえます。
石油ストーブも無事でしたから、米と少しばかりの食糧があったので、質素な煮炊きをすれば1週間は持ちこたえられると思いましたら、気持ちが落ち着いてきました。
退官される方の記念写真は3月中に撮り終えてアルバムをお渡しできたのでした。
佐橋紅 posted by (C)雑草
この時に緋の司と佐橋紅、白加賀の苗をいただきました。今年ももう少しすると佐橋紅が咲き始めます。
佐橋紅は紅千鳥によく似た花です。紅千鳥は佐橋紅の枝変わりだそうです。
震度分布表を見てあらためてとてつもなく大きな地震であったことをおもいました。
あえて震度分布表はここにはアップしていません。