庭の花たちと野の花散策記

山野草と梅が大好きの「雑草」。花以外は思考不可の植物人間の庭の花と野の花散策記です。

これまでの自民王国では?

2006年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

茨城県は稀に見る自民王国であって、これまでは中央省庁とのパイプの太さ、予算獲得が選挙の売りであった。これは公共工事や農業など地元企業のためで県民のためとは一概にいえないがこれもまた良いことであろう。私が危惧していることは、県の方針があまりにも経営者に都合よく立案されることである。というより経営者の下心通りになりがちであることである。選挙公約は県民の生活向上がめじろ押しである。しかしそれはまず経営者の利益があっての県民の生活向上という方程式に置き換えられてしまうことだ。私が懸念していたことで、やっぱりかと思ったとおりになった恐ろしいことがある。それは鳥インフルエンザである。幸い茨城は毒性が弱いものであったからさほどの被害がなかったが、そうでなければ大事件になっていた。そして同じパターンでさまざまの分野で経営者の下心通りの県方針が実行され県民の本当の生活向上、安全がないがしろにされつつあることを懸念するのである。

鳥インフルエンザで懸念したことは二つあった。ひとつはワクチンなどの予防。これには相応のコストがかかるはずであるが、これを業者は安易な方法でやらないかということ。一歩まちがえば大流行にもなりかねない。

もうひとつは感染をかくすこと。感染がわかれば全数処分。経営の根幹にかかわることであるから、できるだけ感染させたくない。隠したい。それは検査をどう免れるかである。

問題が起きたとき経営者が考えることは残念ながらまずコストであって安全ではない。感染の有無を検査する方法は普通はサンプル採取から始る。このサンプルは全体を反映するよう偏らずに公正に採取されるべきであり、ここで下心を働かせれば、その後の検査がどんなに公正に行われても意味がなくなる。経営者はこのサンプル採取一点に知恵を絞ったのである。まことしやかにこうしますから大丈夫ですとか説明してサンプル採取を経営者側の息のかかったままやってしまった。こうして実質検査逃れがまかり通ってしまった。サンプル採取は一度ではなかったのに発覚するまで一度も公正な採取がなされなかったのだから恐ろしい。こうして茨城にはインフルエンザが有っても無いかののような状態が長く続いていた。

自民議員の方かと思しき若い人に、県民の安全が第一ではないのか。経営者と癒着とまでは言わないが、このよな事態にならないよう気配り目配り、アンテナを高くして県民を守るのが使命ではないのかと言ったことがある。彼はちょっとむっとしたような顔をしたが、あれ(鳥インフルエンザ)では(経営者に)騙されたと言った。私はむっとした表情に落胆して応援しようかと思っていた心が冷えた。また騙されたという言葉が引っかかった。

私も騙された経験はある。内容は違うが本質は同じである。会社で材料などを購入しはじめたときである。長く取引している営業マンはこれが一番良い物で価格もどこにも引けをとらないものであると説明する。私はいつしかそうかなと思うようになってくる。そして金品を持ってきたり、趣味などに便宜を計ろうとしたりさまざまなことで親密な関係をもとうとする。こうなるとこの営業マンの言っていることが正しいと錯覚してくる。金品は避けるも私はもはやこの営業マンと付き合うことが最善で、私は会社に貢献していると誤解するようになったのである。会社の材料は良いものを、安く、継続して入手できることが大切であるが、今のやり方が果たしてそうであるか常に見直してゆかなければならないことである。でもこうすると例の営業マンたちは会社幹部に告げ口して人事権を発動するから怖い。

鳥インフルエンザに戻るが、私と同じような意味で騙されてはいないだろうか。また人事権?を恐れないだろうか。かの若い人が騙されたと言ったことはまことである。彼が騙されない議員になってくれると信じて応援したい。そして行政を本当に改革するために汗することを願って。それにはあのむっとした表情が障害になる。まだまだ騙されてはいけないことがたくさんある。たとえまた騙されても騙されないぞとのあかしが見えるなら喜んで応援しようと思う。行政ももっともっと改革してほしい。自分の保身しか目につかない。近頃は接待とかはあえて自粛するようになったが、動機は保身であって、税金の無駄遣いなどという発想は全く無い。そして幹部は本当の改革者を守ってほしい。それとも自分の保身ですかな。かつて行政のトップが逮捕されるなど言語道断である。今でもそれぞれの地位、立場で役得を得ようとしているようだ。

これから心配していることはたくさんある。教育。狂牛病。原子力。農薬、薬害。遺伝子。介護。廃棄物。温暖化などなどどれも県民の安全第一。経営者の目先の利益に騙されるな。経営者も県民生活の向上、安全に寄与してこそ成り立つものである。大きな会社は一応社会に貢献することをスローガンにしているが、県が対象とする経営者にはそれすらうやむやである。行政も自分の在位期間を逃れられればでは困る。

これは自民王国の弊害だとは思わない。自民が本当の自民になって欲しい。これが願いである。でも議員も官庁も自民安泰王国ではこのことを真剣に考えない。学校のいじめも極論すればいじめが問題ではなく教育行政の問題である。いじめはあってはならないが、昔からある。無い振りををして、無いことにして向き合ってこなかった行政に問題がある。子供を信頼できない教員。教員を信頼しない校長、教育委員会。学校を信頼しない親。親も教員も信頼しない子供。それぞれが信頼できる状態ではないと言う。なぜこんな教育行政が続けられてきたのか。いじめが原因で自殺。自分の立場を守るためにやむなく立ち上がる(これが言いすぎでないことを望む)のでは遅いし本当の対策にならない。問題の多くある学校は幹部が自己保身タイプが多いらしい。校長は保護者に対して教員を信頼している、保護者は生徒を信頼してくださいと言えないものか。教育委員会は名誉職だと思っているのでは。自殺生徒の教育委員長かな。うすら笑みを滲ませて会見したのが気にかかる。

介護保険等についても疑問がある。年金の二の舞にならなければよいが。年金は箱物と言われるような大きな投資・年金会館とかをたくさん作り、それを只同然で処分したなどの無駄遣い、担当部署のあきれるほどのあぶく銭をつかうような感覚でのやり方で肝心の年金が危うくなってきた。介護も最近大きな箱物がたくさんできている。これは官庁の箱ではないが大きな意味では利用者である国民が建てているの箱である。こんな高級ホテル以上のところに老後は住めるだろうか。もし自己資金でやりなさいといわれれば多くの人はそうしないであろう。もっと小さく質素な老後でよいと思う。でも世の中がそういう方向に動いているということは私もあなたも意に反してそうしていることなのかも。本心は多くの人が立派な箱より、立派な介護士を望む。その介護士の待遇が十分でなく人員不足になっている。品質過剰な箱ができて介護士がいなくなるのは本末転倒である。介護は家庭的なものを望む。箱をせっせと作らせるような政策ではなく、本来の家庭介護を手厚く援助するものに転換してはどうか。そうすれば少子化の対策にもつながろう。経営者の喜ぶ介護なんておかしい。役人はもっと汗を流し知恵を絞り本当に国民の福祉になる政策を考えてほしい。改革と言っている議員がまず自己改革をしてほしい。

コメント
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