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庭の花たちと野の花散策記

山野草と梅が大好きの「雑草」。花以外は思考不可の植物人間の庭の花と野の花散策記です。

江南所無は仁徳天皇時代から存在した 水戸の浪速の梅と烈公梅の関係など

2025年03月22日 | 水戸の梅
1 熊野神社・尼崎市西難波町5-9-22の境内に傳史跡難波の梅「なにわの梅古記」抜粋という比較的新しい近代の石碑がある。
熊野神社の創立年月日は不詳なれども、第15代応神天皇第16代仁徳天皇の御代に度々行幸あらせられて御歌を詠まれたる梅林当祝津宮跡社。天平年中に熊野大権現と称し、後に熊野神社と称す。

2 碑文
なにわの梅の所以を尋るに、第15代応神天皇の御時、なにわ津にこの花咲き四方に香ほり高し。
是聖代の嘉祥にして第16代仁徳天皇皇子なりし御時、自然とこの花瑞徳ましますと百済の王聞き為すなり。難波津に咲くやこの花のことは是也。此の花江南所無之記也し辨慶の執筆も此の梅也。すなわち江南所無之は、梅の名をいふ。梅の傍に鶯宿水(梅の水とも)いふ井あり。仁徳天皇の御字、落花に浄んで薫じて味ひかろく、しかも濁る事なし。落花の頃、鶯井邊を去りやらず。依之鶯宿水の水の名あり。
御歌  難波津に 咲くやこの花 冬籠り 今を春べと 咲くやこの花

3 碑文にある古今和歌集 仮名序文 の該当箇所の文面は以下の通り。
 難波津の歌は,帝の御始(おほんはじ)め也。大鷦鷯帝(おほささぎのみかど)の,難波津にて皇子と聞えける時,東宮(みこのみや)を互ひに讓りて,位に即き貯(たま)はで,三年になりにければ,王仁(わに)と言ふ人の訝思(いぶかりおも)ひて,詠みて奉りける歌也,此花は梅花(むめのはな)を言ふなるべし。

4 以上をまとめると
 古今集仮名序文の歌は仁徳天皇が皇位に着く前の皇太子のときに王仁が贈ったもので、花が咲きました。あなたも皇位に就いてはいかがかと促した歌である。紀貫之はこの花は梅の花であると古今集の序文に書いている。
 熊野神社の石碑では、この御歌にうたわれた花は江南所無であるとあるので、江南所無という梅は仁徳天皇のころから難波津に存在したことになる。
 石碑には傳史とあるので、伝記として伝えられたということで、記録が残っているのか、単なる言い伝えかは不明であるが。
偕楽園の江南所無の花
このようなきれいな梅の花が仁徳天皇時代から難波津にはあったのでしょうか。このようなことに思いを巡らせると江南所無が水戸の六名木に選ばれたのも納得です。

 また、仁徳天皇は兄が皇位継承をするべきと、兄は弟が継ぐべきと互いに譲り合って、兄が先に死亡して弟が継承したことに大層感銘したのが水戸光圀公でした。
 光圀公は兄を差し置いて藩主になってしまったので、仁徳天皇にならい兄を思い兄を敬い大切にされたということです。
 光圀公が誕生した家老の家にも梅の木があったこともあり、学問に励むと梅が咲くという中国の故事もあって、光圀公は梅の木をことのほか特別な木と思われ、難波から取り寄せたりしました。
 
 
 現在弘道館政庁裏手には、昭和8年に調査した時の梅の木であると思われる江南所無があります。この江南所無は昭和8年時点で、弘道館と偕楽園の全ての梅の木の中で、もっとも風格があり花もきれいな梅の木として、昭和9年に水戸の六名木に選ばれた6本のうちの一本です。おそらく弘道館創設時に植えられた梅の木ではないかと想像することができます。
 現在の六名木は当時選ばれた6本の木の品種名を水戸の六名木として、弘道館と偕楽園内各所に植えられています。
水戸の六名木  江南所無、烈公梅、虎の尾、白難波、月影、柳川枝垂
弘道館の梅樹
 
 また、水戸2代藩主光圀公が始めた大日本史編纂所江戸屋敷内の彰考館には梅を植えており、彰考館は水戸城内に移転してからも、水戸藩主の代々がこの梅の木を大切にしてきて、その梅の木の後継樹が現在常磐神社境内に浪速の梅として残っています。
 
さらにまた、光圀公は隠居した西山荘の書斎にも梅の木を植えて、学問を怠らぬようにとしました。
光圀公の隠居所西山荘
 
 大日本史は明治39年に偕楽園内に移設された彰考館で完成し皇室に献上された由。偕楽園内には大日本史完成の地という石碑があります。
偕楽園内大日本史完成の地
 
 九代藩主斉昭公が水戸に来られた時に、水戸城内の彰考館の梅の木の由来を家老から聞き梅の木をご覧になって歌われました。
家の風 今もかをりのつきぬにそ 文このむ木の さかりしらるヽ
常磐神社の浪華の梅の歌碑
 
常磐神社の浪華の梅
浪華の梅は水戸城から常盤神社に移植されたと記録されています。常盤神社に確認。
 
 次のように水戸の六名木である烈公梅と浪華の梅がもとは同じ梅の木ではなかったかという推測が真実味を帯びてきます。
1 浪華の梅は薄いピンクで全く同じではないが烈公梅とよく似ていること。
2 難波の梅は一度枯れ代替の梅の木を植えたので、全く同じものではく、元の浪華の梅によく似た木が植えられた可能性がある。
3 常磐神社参道には烈公梅の古木が2本あって、創建当時からあったものと思われる。少なくとも昭和初期には今のと似た古木があったこと。
戦災前の常磐神社
常磐神社参道の烈公梅
 
4 常盤神社の祭神は義公(光圀公)と烈公(斉昭公)であることから、参道に両者にゆかりの深い梅の木が植えられたと思われること。
5 昭和8年に弘道館裏手(幕末に一時移転された三の丸彰考館の近くと思われる)にあった梅の木が水戸の六名木に選ばれ烈公梅と命名されたことは、この梅の木が重要な梅の木であるとがこの時認識されていたこと。
6 彰考館が二の丸城内から三の丸へ移設されたときにも、梅の木が一緒に移植された可能性は十分にありえることである。
7 以上のことから、水戸城内(二の丸彰考館)から常盤神社へ移植された浪華の梅と弘道館裏手(三の丸彰考館)にあった烈公梅が同じ花を咲かせる梅の木であったということが十分考えられるわけです。
 
 斉昭公は弘道館と偕楽園を創設し、たくさんの梅の木を植えられ、偕楽園内に好文亭を建てられました。
花追い橋から好文亭
 
 またもう一つの六名木の烈公梅の花色、形も一見すると浪速の梅に似ていることから、もとは同じだったのではとの推測もできますが、別の考えでは、彰考館に植えた梅の木は品種にこだわらず、数種類あったのかとも考えられます。
 
 さらに水戸藩が代々梅を大切にしたことには家康公から、水戸初代藩主頼房公へ梅の木を贈られたことも大きいかと思います。その梅の木については現在偕楽園内にある小さな和実梅の石碑が残っています。
和実梅の石碑
この石碑は好文亭の床下にあったという話があって、現在1本の白梅のもとにあります。
 この白梅は前の管理者伊藤さんに聞いたことがあります。もとの木が枯れたので植えたが、今の梅の木は和実梅ではないとのことです。
 和実梅については顎髭仙人さんのブログに以下記載されています。
「斉昭公が植物係の長尾左太夫に宛てた書状では、駿府から取り寄せた珍しい梅であったことがわかりますが、国内で現在見つかってはいません。白色遅咲き、実の核は極めて脆弱にして容易に噛み砕き易しという記録が残っているそうです。」
 雑草はこの和実梅は、もしかして、水戸に来たという実割梅のことかと考えてしまいます。

実割梅については久能山東照宮唐門下に八房梅とともに梅樹が植えられています。
 八房梅・八重の紅梅と実割梅・一重の白梅
また、実割梅は石碑に次のように説明されています。
實割梅の記
駿河の城の御庭に梅樹あり 咲出る花の色香のみならず
むすべる實も世にたぐひなく 核のおのつから恵みわるゝより
其名をも實割梅といえり 古は昔東照御神の御手つから
移植給ひしといふめる 明治の御事ありしより 咲出る色香は
むかしにかはらずいとめでたけれど 後々は其故よし傳ふる人の
まれになり行かむを 国人久能の宮祠竹齋出島の翁 深くなげき
遠くおもひ 御社の御前に移うえしぞ 花志るあらば
いかにうれしとおもふらめ はた御神も 其まめしき心ばえを
愛玉ふらし こゝに詣づる人よ 此花を見 この色をも香をも
袖にとめつ 古をしのび今をおもひて奉る ぬさとなしなば
心の塵もすがすがしふなりて 神の御めぐみもいやちこならむと
思ふになむ
明治九年 勝 安芳謹記す 表額 山岡高歩拝書

実割梅は徳川家康公が駿府城で、自ら育てていたものでした。文中には由来を伝えていく人が少なくなる事を危惧して、とあります。江戸時代、駿府城ではこの実割梅から梅干を漬け、東照宮に納める仕来りだったそうです。しかし、奉納は明治維新後に行われなくなってしまい、当時の第一祠官(現在の宮司職)であった出島竹齋は梅樹そのものの存続を憂慮し、徳川慶喜公と協議の上、駿府城から東照宮への植え替えを敢行しました。勝海舟は出島竹齋翁の忠節に感銘を受け、山岡鉄舟と共同で石碑を立てたと伝わっています。
 
このように水戸藩は代々梅の木を大切にしてきたのです。そして今もこの梅の木が弘道館と偕楽園で花を咲かせているのです。これからの100年、200年もなお残してゆきたい遺産です。


 

今シーズンの梅の開花日は記録的 もみじ谷の様子

2024年10月27日 | 水戸の梅
初雁
10月26日土曜日、偕楽園のもみじ谷の様子を見た帰りに、もしかして梅が咲いているかもと立ち寄ってみました。咲いていました。
 今年は猛暑で夏の内から梅の木の葉が傷んで白っぽくなってしまいました。そして今は葉がすっかり落ちて丸坊主の梅の木がたくさんあります。
 梅の蕾は夏には形成されますが、葉がついていると、葉から蕾の開花を抑える物質が蕾に送られるために、開花が抑えられているということです。
 このためもう10月も残りわずかになり、超早咲きの初雁が咲いたかもと、夕方曇り空で薄暗くなってから見てみました。ちょうど目の前に咲いていたのですぐにわかりました。
初雁
 通りがかったお客様に梅が咲きました言うと、雑草の老眼では見えなかった高い位置にもたくさん咲いているとのことでした。
 空の明かりで逆光で撮りにくかったが、なんとか花らしくは見えるものになりました。
初雁
 早速ミスター偕楽園に連絡しましたら、何とミスター偕楽園さんは9月の内に開花を確認していました。それも梅の木1本だけではなく5本もです。
 5本の梅の木に開花が確認できるのは、例年ですと、早くて11月下旬、12月上旬くらいが普通です。

 これまで最も早かったシーズンでも最初の開花は10月中旬ですから今シーズンは異常に速いです。
 もみじ谷の様子はほぼ全部が緑色です。
もみじ谷
それでも奥に進んでゆくと1本が紅葉していました。
もみじ谷
もみじ谷
例年の見頃は11月20日過ぎとのことです。今年の夜間のライトアップは11月初めから24日ころまでらしいです。果たしてどんな紅葉が見られるでしょうか。今年思わぬお世話になって、お誘いしたお方は22日ころ来てくださるとお知らせをいただきました。ちょうどよく黄葉していて、幻想的なライトアップになってほしいものです。
ノシラン
最後はもみじ谷のノシランです。実がついていました。寒くなると瑠璃色に輝いてくれそうです。







蓮久の思い出3 完

2024年01月31日 | 水戸の梅


吐玉泉下にデビューした蓮久の若木と花 2024年1月撮影
蓮久の思い出2の続きです。

本園内の苗木畑
ようやく品種名の確かな苗木が200種類ほど出来上がりました。
この苗木畑にはそれぞれ番地が決められていて、1番地にはどの品種を植えるかがあらかじめ決められています。

苗木畑の番地 
竹の杭1本が1番地で、緑色のプレートと白い名札がついています。まだ苗木が植えられていない番地もあります。今後入手予定の品種名が書いてあります。200種類そろったわけですが、さらに希少な未入手の品種もそろえて、名実ともに最高の梅の偕楽園を目指した担当者の意気込みです。


梅の見本園 2019年1月撮影
苗木が大きくなってきて、本園内へデビューし始めると同時に、梅の見本園への植込みが始まりました。
 この場所はかつて偕楽園を愛する市民の会が主に東京方面からたくさんの品種を取り寄せて、2008年に第1回植樹祭を行った場所です。この企画は「偕楽園を日本一の梅林にプロジェクト」として、500種類の梅林「平成梅林」を作ることが目標で、そのための苗木畑でした。わたしも資金僅少ながらだしまして、たまたま植樹会に参加して、1本植えさせていただきました。
 残念なことに東京方面で梅のウィルスが蔓延して、吉野梅郷の梅林は全て処分されました。平成梅林の苗木にもウィルスが感染していたのがみつかり、全数処分となってしまったのでした。
 幸いこのウィルスはアブラムシを介して伝染するので、平成梅林と偕楽園の梅林は離れていたので影響はさけられたのでした。
 そして10年後の2019年。ここを梅の見本園とすべく、植樹が始まったのでした。

梅の実本園は全部で3面あります。



梅の見本園 2019年撮影 
この3面の見本園に1品種1本ずつと、周辺にしだれ梅などが植えられています。
苗木畑と見本園の植栽位置などもしっかりと資料として残されました。

碑前紅 2017年4月6日 本園苗木畑で撮影
私の大好きな超遅咲きの豪華な花です。

2022年4月8日撮影 梅の見本園の碑前紅
見本園ではこのように200種類の梅の木がすっかり大きくなり花を咲かせています。
 このようにして、品種名の確かな梅の木が200種類あまりがそろいました。本園内へも確かな品種名でデビューし始めています。
これからは、安心して確かな品種名で本園への苗木の補充ができるわけで、本園内の梅林が年々良くなってゆくことが期待される基礎ができたわけです。
 梅は100年、200年単位で残りますが、一人の管理者の任期は限られています。この偉業を成し遂げられた根本実嗣さんも、この梅の見本園を完成されてまもなく退官されました。ということで、吐玉泉下に植えられた蓮久はこの偉業を代表する記念樹と思っています。
 そして同じ気概を持った緻密な管理者が継続することを願ってやみません。

 日常の緻密な管理者が不在となると、たちまち品種名などが間違った方向へと動き出します。

これは八重の緑萼の木にいつの間にか一重の月影の名札がついていました。この時は根本さんのおられるときで、すぐにとり替えました。

こちらは品字梅につけられた座論の名札で、一年以上にもなる現在もついています。品字梅は花座論とも言われますが、昔から品字梅と言われてきたもので、弘道館にもありますが、この木だけ座論とするのはいかがなものかと思います。

 これは正岡子規の句碑の近くの一流です。2023年3月1日撮影。この名札が一時隣の梅の木に掛かっていました。
外れた名札をお客様かどなたかが、ご親切にも付けてくださったのかもしれません。

 隣の、この真っ赤な梅の木は一流ではありません。ちょっとだけ花を知っている人なら、誰でも気づく真っ赤と桃色です。公園事務所に連絡したのですが、1週以上過ぎても間違ったままこの梅の木にかけられていました。
 丁度この赤い花が真っ盛りで、多くの観梅客が誤った名札と共に花の撮影をしていました。私はいたたまれなくなり、たまたま師匠の出店に立ち寄った造園屋さんに何とかならないかお願いしたところ、即日名札を正規の一流の梅の木に架け替えてくださいました。
 このような名札落ち、掛け違いは多くの品種を扱う偕楽園では、よくあることで、日常の管理が非常に大事なことです。2006年ころに、わたしも間違っていた名札で覚えた叡山白という花がありました。8年後の2014年ころ初めて間違いがわかったのでした。
 花を見てわかる担当者がいなくなると、こういうことが積み重なって、品種名がうやむやになってしまう例が多発し、また混乱が起きます。
 現在は佐原の造園屋さんの2代目の方が、期限付きで管理をしていてくださり当面は心配はないのですが、期限過ぎたらどうなるのでしょうか。
 偕楽園は天下の三名園。梅の偕楽園の名に恥じないよう、専任の管理者をつけてほしいと常々願うものです。


蓮久の思い出2

2024年01月31日 | 水戸の梅


吐玉泉下にデビューした蓮久の若木と花 2024年1月撮影
 これは蓮久の思い出1の続きです。
 長年偕楽園の梅の木を管理された方が退官された後は、梅の担当者が1~2年で交代しましたが、3人目にこの蓮久の他、偕楽園の梅の品種を整えられた新しい担当者が現れたわけです。
 この方は柿などの果木の専門家で、剪定にも接ぎ木にも精通されたスペシャリストでした。でも花梅については初めてのことで、花梅の品種をまず理解されるために、図鑑や偕楽園内の梅の木をよく観察されました。しかし、園内の多くの梅の木の名札が実情に合っていないこと、また苗木畑から本園にデビューした苗木に花が咲くと、名札とは全く違う花のこともしばしばありました。さらに公表されているネット上の梅図鑑にも誤記載が散見されるなど、梅の偕楽園にあるまじきことに気づかれました。

 公園事務所は日本梅の会大坪孝之会長ほかの方々に来ていただいて、弘道館と偕楽園の主要な梅の木を見ていただきました。

この時に「蓮久」の名札のついている数本の梅の木がすべて蓮久ではない無いことが分かったのでした。

蓮久の枝の切り口
上掲のように蓮久は紅梅性で、枝の切り口が紅い紅材ですが、確認した蓮久は全てが白材(野梅性)でした。
 そこで私は2011年に公園事務所が調査した全梅の木の中から、蓮久の名札のついた梅の木をすべて蓮久かどうかを確認して回りました。

名札は蓮久でも別品種の木
残念なことにすべての枝の皮をむいてみたら、すべて白材でした。
 資料によると蓮久の名札は、弘道館8本、偕楽園5本の合計13本で、すべてが蓮久ではありませんでした。
そして資料には、調査時に新規に蓮久のプレートをつけた梅の木が3本あることがわかりました。調査時に品種名について何らかの検討はしたと思うのですが、すべて間違えた新規プレートを付けたということでしょう。
 何しろ10本の木に蓮久の名札が付いていて、みな同じ花をつけているわけですから、3本の梅の木に新規プレートを付けるにも、これは蓮久だと自信をもってつけたのではないでしょうか。実はわたしもこの時までこれらの梅の木が蓮久であることを確信していました。
 蓮久のほかにも、名札名とは違うとか、似ているが違うようだと名札名が疑われる梅の木がたくさんありました。これら品種名不明の梅の木の品種名を調べるのは玄人でも非常に困難なことです。この事態をいかに立て直すか苦心されていました。
 そこで、水戸の梅に深くかかわっておられる、私の梅の師匠など、古くから水戸の梅にかかわりの深い収集家や苗木屋さんなどをご紹介したこともありました。
 梅の担当者は品種の特定について、もう一人の樹木医の方とあれこれ努力を積み重ねられました。まずは弘道館と偕楽園の梅林の中で、品種名が確かな梅の木を選び出しました。また私の梅の師匠はじめ市内の梅の収集育種家から、品種名の確かな梅の木の提供をうけました。

あたらしく導入された塒出の鷹 


市植物公園の梅林調査
さらに市植物公園の梅林(収集育種家の寄贈)の花の写真を撮影して、確かな品種の枝を譲り受けて、苗木を作りました。
また、都内羽根木公園に珍しい美花の「朱鷺の舞」など、新規の品種の導入などを行いました。


羽根木公園の朱鷺の舞
このような美しい花の梅の木であっても、ウィルスに感染している可能性もあるために、他所からの導入には厳重な注意が必要でありました。そこで、挿し木が成功して、しばらくの間病害虫の感染があるかどうかを、偕楽園から遠く離れた場所に隔離して、安全とわかってから、苗木畑に移植するなどのご苦労もありました。

本園内の苗木畑
こうして、品種名の確かな200品種の苗木が本園内の苗木畑にようやくそろったのでした。

蓮久の思い出1

2024年01月31日 | 水戸の梅

偕楽園の吐玉泉下にデビューした蓮久の花 2024年1月撮影
 この蓮久には忘れられない思い出があります。そして、この吐玉泉下に植えられた蓮久の若木はその記念樹と言ってもよいのではないかと思っています。

吐玉泉下にデビューした蓮久の若木 2024年1月撮影

 私が偕楽園の「蓮久」を最初に認識したのは、偕楽園の梅林でした。偕楽園の梅の種類は100種、3000本と案内されていました。リタイヤしてまもなくのころ、偕楽園と弘道館の梅の木にはそれぞれ名札がつけられていました。
 そこで、これら水戸の梅すべての種類の花と名札の品種名を記録しようと思い立って、完成したのが2006年3月末の頃でした。一部は偕楽園には無いが、苗木屋さんの店頭で撮らせていただいたものも含めて、なんと140種類余りになりました。

2006年撮影の「蓮久」
 この写真は品種を特定するにはよくない写真ですが、まだ品種の特徴などは全く知らない時ですから、何の疑いもなく、これを蓮久と認識したわけです。
 そんな無知なわたしでも、100種類以上の花と品種名を突き合わせると、名札名では八重咲のはずなのに、一重の花が咲いていたり、白花のはずなのに赤花が咲いているなど、素人でも簡単に間違えに気づく名札があることに気づきました。

店主 梅の師匠の出店
 そこで、ネットで偕楽園の梅図鑑と突き合せても理解できず、梅まつり期間中に梅の苗木の出店をだしている店主に聞いたりしました。でも、要領を得ない質問は、忙しい店主に迷惑をかけるばかりで、歓迎されませんでした。
 それでもつきまとう私に根負けしたかのように、「そんなに梅が好きなら、苗木畑を見せてやる。」とお許しをいただき、店主の苗木畑の全種類の梅の写真を撮らせていただくことができました。

店主の苗木畑の蓮久2006年3月22日撮影 寺門コレクションより
 店主の苗木畑は梅の御三家のひとりと言われた、店主のお父様故寺門忠之氏から引き継がれたもので、全品種の撮影に丸2日を要し、なお、品種名の表示は全くないので、順番を間違わないように撮影して、後日品種名を確認させていただきました。こうして名入りの写真集をまとめて、寺門コレクションとして、店主に差し上げました。このころから私はこの店主を師匠とお呼びすることにして、梅のことについて、さらに興味を深めて、師匠には花梅の品種ごとの特徴を尋ねたり、都内のいくつかの梅の公園をたずねたり、さらにネットで全国の梅の品種を調べたり、記念物級の特殊な梅を調べたりしておりました。
 一方公園事務所では2010年に弘道館と偕楽園のすべての梅の木と桜や主な樹木の植栽位置、花の写真と名札などの実態調査をおこないました。ところが翌年2011年3月11日午後3時ころ東日本大震災がありました。ちょうどその日は50年以上梅の木などを管理されていた方が3月末で退官されるというので、記念の写真を撮らせていただく約束をしておりました。偕楽園は梅まつり期間中ですから、お客様が少なくなってからということで、午後4時に約束していたので、わたしは田鶴鳴梅林で時間をつぶしていたのでした。
その時に大地震に遭遇してしまい、事態は一変してしまいました。

湿地を埋め立てた梅林のあちこちから水が吹き上がりました。

園路は川のように梅林に噴き出した水が流れました。
梅林の芝生で一緒にいた造園業者の方と仕事どころではないとお別れして、知り合いの土産物店の店主の無事を確認して、急ぎ自転車で帰宅したのでした。

家の築山は無残にも崩れ落ちていました。
 後日、退官の記念に梅林の思い出の梅の木などと並んだ記念写真を撮り、記念アルバムを差し上げました。
その後は梅の担当者が1~2年で交代しましたが、3人目にこの蓮久の他、偕楽園の梅の品種を整えられた新しい担当者が現れたわけです。






偕楽園の梅開花状況を見てきました

2024年01月27日 | 水戸の梅

見晴広場東側の八重寒紅と広場の向こう側の好文亭
 この八重寒紅はかつては本園内で最初に咲く木で、見晴広場の向こう側の好文亭を入れた写真は、水戸の梅が咲きだしたことを告げる新聞のニュースなどによく用いられたのを記憶しています。大震災の後は別の八重寒紅が先に咲くようになりましたが、今でも早咲きです。
 1月26日 偕楽園本園の梅を見てきました。
もっと多くの梅の木に花が咲いていると思って行っていたが、咲いた梅の木の本数は意外と少なそうでした。
それでも早咲きの梅の木は花数が非常に多くなり、特に八重寒紅は香りが強くただよっていました。

強い香りを漂わせる八重寒紅


見晴亭裏側の冬至梅

南崖の冬至梅を松の古木越しに見下ろす。

花数は少ないものの、南崖の梅を中心に、珍しい梅の花を見てきました。

南崖の翁
真っ白い斑入りの葉と薄黄色の斑入りの枝が珍しい翁も咲き始めていました。花よりも新葉の出始めのほうに注目したい梅です。

僊湖暮雪碑近くの塒出錦
斑入りの梅と言えば塒出錦です。葉には黄色と赤色が絶妙にまじり、新梢も同色の斑が見られ、実のも日当たり部分が赤色、花もピンクの美しい八重。一番花が咲いていました。

南崖の道知辺
咲き始めはピンク色で花弁が丸いスプーンのような、抱え咲きのかわいい花です。左側の白い花は寒さで花の傷みが早いのでしょうか。

南崖椚門下の麝香梅
野梅性の微香を放つ比較的開花時期の速い花。偕楽園の梅図鑑にはまだ登場していません。

正岡子規の句碑に寄り添う一流
ピンクの八重咲では珍しく早咲き。一流の俳人と一流の梅に出会えるスポットです。

偕楽園の梅の開花情報 1月8日推定0.7%

2024年01月09日 | 水戸の梅

吐玉泉下の虎の尾
1月8日には、6日に確認できなかった、窈窕梅林、猩々梅林、田鶴鳴梅林、吐玉泉下付近の梅の開花状況を確認してきました。花は1個でも見つかった梅の木は14本で、6日確認分と合わせると推定21本 推定開花率0.7%でした。

南門料金所前の八重冬至 まもなく開花

同上八重冬至の遠景
そのほかまもなく開花しそうな梅の木が多数見られたので、日毎に開花本数は多くなるものと思います。
というものの、3000本のうち30本ていどですから、花を探すにはまだまだ難しい状況です。
もっとも開花率の高い場所は窈窕梅林と吐玉泉下で、開花率は6%にせまろうという状況です。
窈窕梅林の開花した梅の木です。紅梅は八重寒紅、白梅は冬至梅です。





吐玉泉下・本園の拡張部で咲いていた梅の木は冒頭の虎の尾のほかは以下です。
紅梅は八重寒紅で白梅は八重冬至です。




猩々梅林で咲いていた梅の木は以下でした。

紅難波です。
以下八重寒紅でした。



田鶴鳴梅林では6日にはまだ咲いていなかった八重寒紅が咲いていました。


今日の探梅は平地ばかりでしたので、楽に廻れましたが、やはり上を向いて花を探すのは疲れるものですね。



庭の梅が咲きました 偕楽園でも咲いています。推定開花率0.3%

2024年01月06日 | 水戸の梅

庭の紅冬至が今日昼過ぎに開花しました。
12月下旬は氷点下の朝が続いて、その後は暖冬で老人にとっては過ごしやすい正月となりました。
早咲きの梅の木は、氷点下の朝の後1週間くらい暖かい日が続くと咲き始める木が多いので、正月明けには梅が咲くものと考えていました。果たして昨日庭の紅冬至を見ると1輪だけですが開き始めていました。

視力が衰えたので、ただ漫然と梅の木を見上げただけでは、たった一輪だけの花を見つけることができなくなりました。咲いているはずだと目を凝らしてみて初めて見つかりました。矢印の先です。

昨日のまさに咲かんとしている紅冬至です。咲き始めはピンク色ですが、開花してからは徐々に白くなってゆきます。

偕楽園の梅は12月にわずかばかりの開花を確認していましたが、さらに咲いた梅の木があるはずと、出かけてきました。
歩行速度も遅くなり、坂道が多く早咲きの梅の木をすべては確認できませんでしたが、7本の梅の木に花を見つけることができました。

田鶴鳴梅林の初雁です。初雁は見本園では12月に咲いていたそうです。

田鶴鳴梅林旧国道脇の八重寒紅です。

本園東門手前の南崖橋下の八重寒紅です。

本園東門大通りの八重寒紅です。この梅の木は12月から咲いていました。

本園見晴広場の八重寒紅です。まだ十分に開花していません。この梅の木はここ10年ほどは本園では最初に咲く花のひとつですが今年はやや出遅れています。

本園の中心部東梅林の冬至梅です。この場所は本園中心部にある十字路南東側で、対面の北西側の西梅林の冬至梅のほうが早く咲くのですが、今年はまださいていません。

本園見晴亭裏側の冬至梅です。
この他回り切れなかった猩々梅林、窈窕梅林、吐玉泉下などにも数本は開花していると思われますので、100種3000本のうちの10本あまりの梅の木に花が咲いていると思われます。推定開花率0.3%ですね。
尚偕楽園の開花情報は12月に本園東梅林での1本だけと発表されたままで、正月明けの発表はまだありません。
この他二季桜、十月桜がかなり前から咲いています。

見晴広場の二季桜 この木はかなり枝が枝垂れています。

表門前の十月桜です。
また吐玉泉下のスダジイの大木が伐採されていました。常緑のスダジイの大木は広範囲に茂って、かなり広い部分が日当たりが悪くなっていました。

かつてのスダジイです。
このスダジイの下に見事な花を咲かせる紅千鳥があります。


かつてスダジイが大木になったため、スダジイの茂みの下にあった紅千鳥は、日照時間がかなり少なくなって、その上水路の近くに植えられたために、土も水分過多で元気がなかったのですが、けなげにも花だけはかわいい花を咲かせて見る人に感動をあたえていたのでした。
数年前には私も梅の管理者にスダジイの強剪定を提案したことがありましたが、偕楽園は国の史跡及び名勝に指定されているとのことで、樹木の伐採を簡単にできないとのことでした。そのスダジイが根もとから伐採されて、景色が一変していました。

紅千鳥にとっては日当たりがとてもよくなりました。ますますよい花を咲かせることが期待されます。

偕楽園で梅がさきました

2023年12月05日 | 水戸の梅

昨日12月4日に公園事務所を訪ねたら、早咲き梅が咲いたことを教えてくださいました。
案内していただいたのは、猩々梅林です。
名札を見たら紅難波と書いてありました。
いくつかの咲いた花を見るとすでに散り始めた花もあるので、1週間から10日前には一番花が咲いたのではと思いました。

隣の梅の木も咲いていますよと、花を見せてくださいました。
今年は蕾の成長が遅くて、最初に咲き始めるとマークしている木々はいまだ蕾が小さいのですが、マークしていなかった木に花が咲いたので驚いています。

開花した梅の木と案内してくださった事務所の方

さらに、偕楽園の本園ではチャボ冬至が11月には咲いていたので、インスタグラムに載せてあると、携帯の画像を見せてくださいました。この梅の木は、毎年最初に咲く木のひとつです。
この時期になると、まもなく咲くのではと気になりますが、早咲きの木をざっと見ていたのですが、蕾が小さく、また視力が衰えたのもあって、確認がめんどうになりました。


私が知る限りで、これまでで最も早い時期に咲いたのは、10月13日です。

これは2016年にミスター偕楽園さんから、開花を教えていただき、10月16日に撮影した梅の花です。品種は名札がついていないので不明ですが、早く咲き始めることがおおいし、昔の樹木の配置図にも、この付近に名前があった「初雁」と思います。
撮影した時に、ミスター偕楽園さんが13日には咲いていたと教えてくださいました。

この時に開花した梅の木の花を指し示すミスター偕楽園さん。

今年はまだ彼からは開花のおしらせがありません。お元気でいらっしゃって、偕楽園の情報交換を今年もさせていただきたいと願っています。



新品種の梅「偕楽」

2023年03月09日 | 水戸の梅

先日、盆栽の師匠を訪問したとき、「偕楽」と名付けた梅を売り出したいと、鉢植えの梅の木を見せてくださいました。
ほとんど白花ですが、薄い紅が花弁の中央にあります。底紅タイプですが、私にとっては初めて見る花です。
花弁は丸く、しわはなく平べったい。
花弁の色は白色で中央部分が薄紅色。
旗弁が出ています。花糸(旗竿)の先に花粉ではなく花弁(旗)がついていますが、その花弁が大きい。

盆栽の師匠はこの梅の木を花木センターで「甲州緑萼」の名で出されていたのを入手したそうです。
緑萼はありふれているので、盆栽としては魅力はあまり感じなかったそうです。
それでもこの「甲州緑萼」は枝が非常に細いので、盆栽に仕立てたらよい盆栽が期待できるので入手したそうです。
盆栽の師匠は「甲州緑萼」の細い枝を太い台木に接木しました。

「緑萼」は萼が緑色で八重咲の白花です。

たぶん師匠はこのような花が咲くと期待していたはずです。
ところが花を咲かせてびっくりです。

花は緑萼ではなくて、初めて見る全く違う花を咲かせました。緑萼が大化けしたのでした。
白い花弁の中央部分が薄紅色です。
花の中央が紅色の花を底紅といい、鈴鹿の関、関の守、東雲などがありますが、紅色が濃いものがおおいです。

これは東雲です。


「偕楽」は旗弁がかなり多い花もあります。

「偕楽」の花を見せていただいたとき、雑草は花がもしかしたら塒出の鷹の雰囲気があるような気がしました。とはいってもまだ塒出の鷹の花をじっくり見たことがありませんので雰囲気を感じただけです。
そこで、梅の師匠に聞きましたら、雪灯籠に似ているとのことでした。
初めて聞く梅の名「雪灯籠」。ネット検索してなるほどよく似ています。さすがは梅の師匠、私はまだまだ修行未熟なものです。偕楽と雪灯籠の違いは雑草にはよくわかりませんが、偕楽のほうが旗弁が多くでるように思います。

盆栽の師匠はこの花に「偕楽」と命名して世に出すと決めました。
盆栽の師匠は、水戸城の西方の守りを担う重要な地域に屋敷を構えた武家の子孫で、水戸徳川家とかかわりがあった家柄で、梅の盆栽も多数取り扱っておられます。水戸九代藩主斉昭公が開園した偕楽園への深い思い入れもあることからの命名と思います。
これからこの接ぎ木苗を作って売り出すのは早くても1年後くらいにはなるとおもいます。

水戸徳川家にゆかりのある名前の梅の木は、光圀梅、烈公梅などに「偕楽」が加わることになります。
光圀梅はひたちなか市の育種家が稲田氏が作出し、立川光楽園が命名し売り出したもの
烈公梅は弘道館裏手にあったもので昭和9年に水戸の六名木に選ばれたもの
 また八重黄金は偕楽園御成門近くにあったもので、他の白梅よりも黄色みがある花で八重黄金と名付けられたもの。
今は母木は枯れてしまい、好文亭内にその苗木があります。

好文亭内の八重黄金
田鶴鳴梅林内にも同名の梅の木があるが、花は黄金梅のような花で、好文亭内の八重黄金とは全く違う

また家康梅は愛梅ともいわれ、駿府から水戸に来て、昭和になってから水戸の育種家から静岡の丸子梅林へ行き、家康ゆかりの久能山へ献上されています。さらに名古屋城へも苗木が植えれています。
 水戸の育種家が水戸植物公園に寄贈した家康梅の木の枝から偕楽園で苗木を作ったものが
弘道館にデビューしています。

弘道館にデビューした家康梅。八卦堂の裏、三の丸小学校の裏側にあります。

また幻の梅となってしまった和実梅は、駿府から水戸へ来た梅で、いまは石碑のみが偕楽園にあります。

好文亭内の和実梅の碑
更に偕楽園内で見出されたC区黄金と名付けられた梅の木があるようです。
さらにさらに、常陸座論と言われた梅があったとかで、これを探しに県北付近を探索したという記事を見たことがあります。
これらの他にも水戸の育種家が作出した品種も多数あり、ゆかりの梅を訪ねるのもまた楽しみです。





庭の梅では今シーズンも紅冬至が早かった セツブンソウ咲く

2023年02月01日 | 水戸の梅

庭の梅で今シーズン最初に咲いたのは紅冬至でした。庭に植栽された紅冬至は12月20日以前に開花しました。

盆栽の紅冬至は開花確認が遅くなりましたが、クリスマス以前には咲いていました。
というわけで紅冬至は昨シーズンとほぼ同じ時期に開花しました。

緋の司は1月15日ころに咲きました。昨シーズンよりも2週間も早かったです。昨シーズンの開花は2月1日でした。
今年は偕楽園へ行く回数が少なくなり、詳しい開花状況を把握できません。

庭の紅冬至の現在の開花状況です。
 庭の梅はこれから朱鷺の舞、白加賀、佐橋紅、豊後、書屋の蝶などの開花が期待できます。光圀梅は来シーズンになるかもしれません。
昨年2月1日の庭の様子は下記ブログに書いてありました。

庭の梅「緋の司」がようやく。花たちが異常気象に右往左往

2月1日 庭の梅 緋の司がようやく咲きました。最も早く咲いたのは2016年の元日です。その時から1か月も遅い開花です。今冬はこのように遅く咲く花もあれば、ツバキのイー......


このブログを見ながら昨年と今年の庭の様子を比較してみます。
 イースターモーンは昨年は12月18日一番花開花でしたが・・・これは異常に早かったのですが、今年はまだまだ咲く気配がありません。
 今年は大寒に入った時に10年に一度の寒波と言われていましたが、それまでは比較的暖かい冬で、寒さによる蕾の傷みが少なく、寒波の時も記録的な低温ということもなくてきれいな花を期待できそうです。
今年のイースターは4月9日ですから、それに合わせてくれるかどうかが注目です。

以下は寒波の様子。積雪と特殊なつららとシモバシラ。

1月24日夜の降雪 25日の朝の様子。

真下に伸びず、斜め下に曲がっているつらら 
25日は晴れたのですが終日ほとんど氷点下の寒い1日でした。気温がプラスになったのは昼の3時間程度で、それも0度台で、まさに冬日と言ってもよいような1日でした。このため塀の上の瓦屋根の雪もゆっくりと解けました。屋根から落ちる雫は気温が零下のために凍ってつららになるのですが、気温が低く雫の量が少ないために、微風でも風下のほうに集まって凍るために、つららは真下には成長せずに、風下の方向、斜め下へと成長したので、斜めのつららができたと思います。

大寒波26日朝のシモバシラ


パフィオペディラム ライムドーンは残念ながら蕾ができませんでした。昨年は花を5個も咲かせ、新しい株は3株しかできなくて、今年の花は多くて3個、でも咲かないかもとの予測でした。来年に期待です。春になったら植え替えてみようと考えています。


昨年の母の日にいただいたミニコチョウランの8月の様子。
パフィオの代わりに、昨年の母の日にいただいたミニコチョウランに蕾らしいのが2本出てきました。


胡蝶蘭はパフィオペディラムよりも寒さに弱く、我が家では冬を越すことができず以前は枯らしてしまいましたが、今冬は何とか持ちこたえて、蕾が出てきたのでした。まもなく立春、まだまだ油断できませんが花を期待できそうです。


クリスマスローズの蕾が出てきました。昨年はまだ出ていませんでした、このクリスマスローズは12月には咲いていたので、昨年も今年もかなり遅れていますし、花数も少なくなっています。

ご近所から原種クリスマスローズをいただきました。花は来シーズンに期待です。たぶんフェチダスと思います。


最後は庭のセツブンソウです。庭で30年ほど毎年咲き続けているのですが、今年は1月31日が初見です。昨年は2月9日でした。






偕楽園で早咲き梅の一番花が咲いています

2022年12月09日 | 水戸の梅

窈窕梅林の八重寒紅。
昨日8日昼頃ミスター偕楽園こと吉田さんから電話がありましたが、マナモードのため、気づいたのが夕食後になってしまいました。窈窕梅林で八重寒紅1本、冬至梅2本。本園内ではまさに咲こうとしている八重寒紅。また南門外の八重冬至も蕾が大きくなっているというお知らせでした。
今日9日午後から市役所で県会議員の期日前投票、奥様の訃報をくださったもと山岳会幹事を訪ね、偕楽園にも梅の開花を確認に見に行きました。
窈窕梅林は夕刻の曇り空、かつ視力が衰えて確認しずらく、八重寒紅のみ確認し、白梅の冬至梅は発見できませんでした。この八重寒紅は開花後数日過ぎたかと思われます。


本園南崖の冬至梅。
本園内で例年真っ先に咲く南崖の冬至梅はやはり開花していました。開花間もない初々しい花です。


本園見晴広場東端の八重寒紅の膨らんだ蕾。
この八重寒紅は、震災以前は本園内の八重寒紅では真っ先に咲いていた木ですが、震災後は一時衰弱して開花時期トップの座を別の木に譲っているものです。もしかして樹勢回復してまたトップに返り咲きでしょうか。
薄暗くなってピントが合わないですが記録として。

この他確認して回った梅の木は、猩々梅林の八重寒紅や水心鏡。田鶴鳴梅林の初雁と八重寒紅。南崖橋の八重寒紅。本園内の矮生冬至、八重寒紅などですが、夕闇迫り開花を確認できませんでした。また南門外の八重冬至は時間切れで確認できませんでした。
吉田さんお知らせありがとうございました。

 今シーズンの梅の一番花の開花時期については、11月の気温が高めに推移していたこと、遅くまで葉が枝に残っていたことなどから、一番花の開花は遅れると考えていました。
そうはいっても、時期が来ると梅の開花が気になります。

早咲き梅の一番花の開花時期については、氷点下に近い寒波の後で、1週間くらい暖かい日が続くと開花するように考えています。
今年の11月の天気予報では11月25日ころから寒くなる予報でしたので、このあたりでもしかすると開花スイッチが入るかなとちょっと期待しました。
水戸気象台の日々の最低気温を確認すると。
日付  11月24日 25日   26日   27日  28日   29日  30日
最低気温  9.8  6.9   6.9   5.0   3.8    10.4   10.8
最も低くなったのは11月28日の3.8℃です。理想の氷点下よりもちょっと高めですが、前後の気温と比較するとかなり低いので、もしかすると、この日に不十分ながらもごく一部の早咲き梅の木に開花スイッチがONとなった木もあるかもしれないと考えました。

明確な開花スイッチONは0℃以下になった日であって、それから1週間~10日後に開花を確認できると考えていますので、3.8℃では不十分と。開花時期は単なる気温だけではなく、地中気温や湿り気が大きく影響すると言われますが、早咲き梅の一番花の開花時期は、最低気温の低い日を起点に考えるとそれほどずれないように思います。

その後の最低気温が低くなった日は12月3日の1.8℃ 12月7日の0.7℃でした。これでほぼ間違いなく開花スイッチが入り、12月15日過ぎころには、前述の『この他確認して回った梅の木は、猩々梅林の八重寒紅や水心鏡。田鶴鳴梅林の初雁と八重寒紅。南崖橋の八重寒紅。本園内の矮生冬至、八重寒紅などと南門外の八重冬至』などに一番花が咲きそろうのではと考えています。
    

    

偕楽園の梅の開花状況12月23日 全部で12本

2021年12月23日 | 水戸の梅

12月23日に本園内の開花状況を見てきました。今日は2本の梅木に開花した花を見つけました。上の写真と次の2枚、計3枚は南崖の柿木の下の冬至梅です。



↑南崖柿木下の冬至梅
他の蕾も膨らんできているので、引き続き開花して花数が増えることでしょう。

次は御成門から好文亭への園路の中間の十字路の冬至梅です。一輪だけ咲いているのを見つけました。

↑西梅林十字路の冬至梅
蕾は小さいようで、単発的な開花のため、しばらくはこのままでしょう。

次は12月21日に開花を確認した本園の梅3本です。
最初は表門近くの西梅林入口の高砂枝垂です。



↑表門からの西梅林入口の高砂枝垂です。
小さな木ですが小枝に次々に咲き始めていました。偕楽園内で現在のところ最も花数が多い梅木です。この時期に来園される方にはぜひとも見ていただきたい梅木です。

↑小さな木です。

2番目は御成門の虎の尾です。

↑御成門の虎の尾
この花以外の蕾はまだ小さいので単発ですがちゃんと開花しています。とはいうもののこの花は耐寒性がないので、この時期の花はめしべがなくなっています。

3番目は東門から千波湖へ向かう南崖橋の下の八重寒紅です。

↑南崖橋の八重寒紅
この梅木は複数の花が2か所に咲いていました。少しずつ花数が増えると思います。

↑南崖橋の八重寒紅
実はこの梅の木の開花はすでに、12月19日に確認していましたが、21日にお知り合いになったお客様をご案内した時に、本園内の白梅だけではと思って、紅梅のこの花をもご案内しました。せっかく偕楽園に来られたのに梅の花を見ることができなかったのですが、思いがけず見ることができましたとたいそう喜んでお帰りになりました。

次は12月19日に開花状況を確認した、本園外の拡張部の梅木です。
最初は猩々梅林の八重寒紅です。

↑猩々梅林の八重寒紅
田鶴鳴梅林から花追い橋を渡って右側2列目です。ここには早咲きの八重寒紅が2本あるのですが、まだ1輪しか花が見えませんでした。今年はこの時期開花する梅は開花時期が遅れているように思われます。

2番目は猩々梅林の白難波の大木です。

↑猩々梅林の白難波大木 水心鏡にも似た花で、昨年は水心鏡としてアップしています。
3番目は猩々梅林の中央付近の水心鏡です

↑猩々梅林中央の水心鏡
この木は毎年早く花を咲かせます。
4番目は猩々梅林中央付近の八重寒紅です。

↑猩々梅林中央付近の八重寒紅。すみません。ボケボケです。

次は窈窕梅林です。
5番目、窈窕梅林の最初は中央やや北よりの紅難波です。

↑中央やや北よりの紅難波です。
この木の開花は12月13日にすでに確認していました。

↑12月13日の紅難波
6番目、窈窕梅林の2番目は中央水飲み場の八重寒紅です。

↑中央水飲み場の八重寒紅

次は12月13日に確認した梅木です。
最初は田鶴鳴梅林の初雁です。

この梅木は昨シーズンは2020年10月13日に開花したという連絡を頂いたことがあるなど、偕楽園では常に最初に開花する木です。
田鶴鳴梅林には初雁が植栽されていたという記録を見たことがありましたので、花の様子、開花時期などから、初雁にまず間違いないものと思います。



13日には3輪開花しているのを確認しました。実は12日に顎鬚仙人さんから2輪咲いていると、写真とともにご連絡をいただきましたので、急遽確認に行ったのでした。顎鬚仙人さんの写真の撮影データは12月11日ですから、今シーズンの最初の開花確認日は12月11日ということになりました。


↑2番目は12月19日の5番目の窈窕梅林の紅難波で、13日すでに開花していました。

↑3番目は12月19日の3番目の猩々梅林の水心鏡で、13日は開花中でした。

↑4番目は鐘楼前広場の虎の尾です。13日現在は蕾が大きく膨らんでいましたので、その後確認していませんが、もう開花しているはずです。

以上が今シーズンの偕楽園の梅の開花状況です。今日全部確認したわけではありませんが、12本の梅木に花が見られるはずです。


↑ 庭の紅冬至もすでに開花しました。

↑いつもの散歩道、新道のツルハ近くの八重寒紅も咲いています。
いよいよ、探梅の季節到来です。






偕楽園の梅花見どころ

2021年02月26日 | 水戸の梅

内裏 田鶴鳴梅林
偕楽園の梅花の見どころです。
先ずは入園料無料区域・田鶴鳴梅林の内裏です。水戸駅から桜川左岸を上流方向へ進み、千波湖をを過ぎて田鶴鳴橋下のトンネルをくぐて最初の梅の木。いきなり今最も美しい内裏が満開です。

このトンネルをくぐってすぐの木です。

翁 田鶴鳴梅林
花は普通の白梅ですが、葉に白い斑が入る珍しい梅です。新しい枝にも薄黄色の模様があり、花の時期にも見ることができます。

翁は先の内裏の隣です。自転車のある方が内裏で、左側が翁です。
さらにその左側奥に、小輪でかわいい花の小輪鈴鹿の関の木が見えています。

小輪鈴鹿の関 田鶴鳴梅林
花弁の中ほどが赤くおしゃれな花です。名前に「関」とつく花はみな同じように、花の中心が赤色です。
偕楽園にはこのほか南崖の守の関があります。東門近くの東雲も似た花です。

小輪鈴鹿の関 田鶴鳴梅林

東錦 田鶴鳴梅林 
戦前のことですが、この東錦が塒出の鷹という名前で間違って売り出されたことがあるそうです。この梅の木にはかつて塒出の鷹と書いてありました。田鶴鳴梅林の多くの梅の木は寄贈されたもので、寄贈者が入手した時の名前がそのまま名札に書かれたのではないかと推定されます。塒出の鷹は一重の花です。本園内に若木がありますが、まだ今年も咲かないと思います。

東錦 田鶴鳴梅林
先の翁のところから未舗装の園路に入り水道の近くです。背景の丘は偕楽園本園です。

青龍枝垂 田鶴鳴梅林

青龍枝垂 田鶴鳴梅林
東錦の斜め後方にあります。

寿 田鶴鳴梅林
雌しべの本数がめちゃくちゃ多い花です。通常5~8本くらいですが、過去には雌しべが20本もある花を見たことがあります。雌しべが弱いためか実の数は1個の花で0~3個程度です。義烈館の入口にもあります。八房という梅があり実の数が8個という意味で、実際に梅の実が8個近くなりますが偕楽園にはありません。場所は青龍枝垂から園路にもどり、芝生側に入ったところです。
緑色のネームプレートTA5-0126です。

藤牡丹枝垂 田鶴鳴梅林

藤牡丹枝垂 田鶴鳴梅林
芝生広場のベンチの後ろ側にあります。ピンク色の枝垂梅はほとんどが藤牡丹枝垂です。田鶴鳴梅林にも数本あります。

初雁 田鶴鳴梅林
偕楽園で一番最初に咲く梅です。今シーズンは昨年10月13日に最初の開花が報告されました。

初雁 田鶴鳴梅林
冒頭の内裏、翁と舗装道路を進み、椿の木の隣です。


蝶の花形 田鶴鳴梅林
名前のわからなかった木ですが、私の梅の師匠に花を見ていただき名前が判明した木です。

場所は内裏、翁、初雁と進み、左側の最後の梅の木です。
写真の右方向に初雁、翁、内裏があります。
左側へ進むと筑紫紅、花追い橋たもと、泰平、桜山第3駐車場、エレベーターのある梅桜橋を渡ると本園の吐玉泉と南門です。写真の背景は芝生と田鶴鳴梅林と好文亭のある杉森です。

筑紫紅 田鶴鳴梅林
蕾の時と咲いてからの花弁の色が同じです。梅の花は蕾の時のほうが色が濃く、開花すると花の色が
うすくなるものが多い中で、ほとんど色が変わりません。
この橋は花追い橋で、猩々梅林と田鶴鳴梅林をつなぐ橋です。
背景の森は猩々梅林の上の徳川ミュージアムです。

泰平 田鶴鳴梅林
萼の赤色と花弁の白が際立っている豊後系の梅です。豊後系は遅咲きで咲き始めたばかりです。

泰平 田鶴鳴梅林
花追い橋のたもとを過ぎた桜山第3駐車場側です。この写真では花追い橋の向こう側に先の筑紫紅が見えています。
花追い橋を渡り猩々梅林に入ります。

日光 猩々梅林
塒出錦とよく似た梅ですが、日光のほうが綺麗な花と思います。

新しい枝は鮮やかな斑入りです。

偕楽園では初めての品種と思います。
場所は田鶴鳴梅林から花追い橋を渡り、公園事務所に向かう途中です。写真の背景は花追い橋です。

塒出錦 猩々梅林
日光と非常によく似ています。ピンクの八重咲で枝も日光と同じ斑入りです。

塒出錦 猩々梅林
日光のすぐ近くにあります。この塒出錦がここに植えられた時はかなり前のことで、御所紅の名札がついていたので、取り換えてもらいました。その当時この梅の木は塒出錦に間違いないのかと不安になったので梅の大家の苗木屋さんに確認していただいた時の写真の一部が下記の3枚です。

日光と塒出錦2015年3月2日。左が日光で右が塒出錦。
猩々梅林の塒出錦と思われる梅の木の花右と苗木屋さんの日光左を比較したもの。
日光は紫色っぽい。色調は呉服枝垂に似る。
塒出錦はピンクで色調は藤牡丹枝垂に似る。
と言うがこれは違いが微妙。でも苗木屋さんは即座に右は塒出錦であると。

塒出錦2015年3月2日 左は咲き進んだ南崖の塒出錦 右は猩々梅林の塒出錦
南崖の塒出錦は終盤の花。猩々梅林は咲き始めの新鮮な花

塒出錦と藤牡丹枝垂2015年3月2日 左が塒出錦 右が藤牡丹枝垂
色調はどちらもピンクで似ていると言うが、私には判別不能。ましてや、単独で見たら、どちらであるかは全くわかりません。
いかがでしょうか。お分かりになりましたか。

水戸の六名木の虎の尾(左)と白難波の競演

水戸の六名木 月影 端正な5弁の花 萼は緑色です。

水戸の六名木 月影 ベンチの後ろ
ここには水戸の六名木が月影を中心にしてサークル状に植栽されています。
月影の右後方の白梅が虎の尾。右の白梅、枝のみが白難波。
写真には写っていないが、右後ろが江南所無。カメラの真後ろが烈公梅。
月影の左後方が柳川枝垂です。

このように現在は月影を中心にサークル状に植栽されていますが、
以前は月影、柳川枝垂、虎の尾、白難波、江南所無、烈公梅の順に同じ円周に植栽されていました。
木が大きくなり江南所無と烈公梅を植え替えて、月影が円の中心になるように配置換えしました。
そのために、烈公梅と柳川枝垂の間に紅難波(写真左の紅梅)が割って入る形となっています。
紅難波を六名木に加えて「水戸の七名木」としてもよさそうですね。


水戸の六名木 烈公梅
もう少し赤みを帯びているのですが白っぽく写りました。


緋梅 猩々梅林 旧桜川沿い


文殊 窈窕梅林
以前本園の南崖に植栽されたが病気が入ってしまったので健全な枝穂により苗を作り替えたもの。
南崖に植栽された時は、植木屋さんが剪定を間違えて、台木の枝も伸ばしたために、一重咲きと八重咲が1本の木に咲いた。花色は似ていたのでお客さんは気づかなかったのですが。
次は窈窕梅林に移ります。


大盃 窈窕梅林


都錦 窈窕梅林
大盃、都錦、風流、南高の4本は偕楽園を愛する市民の会が平成梅林を作ろうと苗木畑を作った時に記念植樹したものです。
この時の苗木畑は青梅から取り寄せた穂木の中にウィルス感染したものがあったために全数廃棄処分してしまいました。今はこの4本の記念樹だけが残っています。苗木畑はウィルスの脅威がなくなって、今では偕楽園が品種名が確かな苗木を起こして、品種保存園として約200種類の苗木が植栽されています。
数年後には素晴らしい梅林になることでしょう。
次は東門から本園に入ります。


思いのまま・輪違い 東門
白八重のなかに赤色がいろいろな形で混じり、ひとつとして同じ花がないというので輪違いとも言います。白花といえども赤い霧を吹きつけたようなスポットから花弁の内1枚だけ赤いものから、花の半分ほどが赤いもの、さらにはすべての花弁が赤いもの。ひとつの枝の花が全て赤花のものなど見るものを飽きさせません。

水戸の六名木の烈公梅 東門

烈公梅 東門
烈公梅の根元はしっかりと幹を支えるために根を張っています。じつは本園内の多くの梅の木はこのように根元がしっかりしているものがほとんどありません。その原因の一つが、草刈り機で根元を叩いてしまうために、根元にこの烈公梅のようなふくらみが無くて杭を地面に打ち込んだようになっています。草のように柔らかではなく硬い梅の木の幹であっても、毎年草刈り機でたたかれて中には傷ついて朽ち始めて凹んでいるものさえもあるのです。一向にこのことが改められないので、最近植栽するときはあらかじめプラスチックの網で覆っています。梅は数百年、それ以上の寿命があるものなのに、本園の中には開園当初からの梅の木と思われるものがあるのかないのかというほどで、寿命を縮めている原因のひとつではないかと懸念されます。さらには化学肥料のやりすぎが雨水の表面流によって低地に集まりど土質が悪化し、樹勢が弱り菌が入り枯死するものもあるように思います。このため植栽するときは大きな穴を掘って土を部分的に入れ替えて、山にしてその山に植栽しています。 目先の作業効率のために百年、二百年先のことを犠牲にしているように思います。


朱鷺の舞 東門大通り
梅ヶ丘の羽根木公園から導入した朱鷺の舞の蕾が膨らんできました。


見驚 東門大通り
県境の雌しべは3本でることが多いようです。

佐橋紅 東門大通り
佐橋紅は5弁花。これに対して紅千鳥は弁数が乱れ、旗弁が出やすい。


春日野 東門大通り
春日野と思いのままはよく似ていて、いまだに判断がつきかねる。いろいろな特徴の差があるのないものがありさっぱりわからない。萼片が反り返るのは春日野だと思われる。


都錦 東門大通り
この木の花は赤色がほとんどなく、一般に都錦とされる花とは違和感がある。幹のねじれがすごい木である。梅の木のねじれは野梅性は左で、アンズ系黒田などは右巻きである。野梅性の八重寒紅は時に右巻きもあり定かではないが、野梅性とアンズ系では姶良カニ巻き方向が反対である。

酈懸梅 椚門下の水路近く


酈懸梅 西梅林座論通り
花弁が無く、萼、雄しべ、雌しべだけで、茶筅梅ともいう。気温が高いと花弁が出ると言われ、偕楽園と弘道館で計20本あまりあるが、おそらくすべての木で少ないながら花弁が見られると思われる。


月宮殿 南門ー句碑間
月宮殿には赤花が出るものであるが、他には赤花の出る木が無く、この木こそ月宮殿と思っている。

藤牡丹枝垂 南門料金所


唐梅 吐玉泉下の下池



紅千鳥 吐玉泉下東屋



唐梅 吐玉泉料金所裏
花の外側が白くなる名花


黒田 吐玉泉料金所裏
花弁数が非常におおい花。


梓弓 東門
弓は張る 射る 射られた矢は戻らない
この花が咲くと春が東門から入ってくる。もはや春は後戻りしない。
本格的な梅のシーズン到来を告げる花
枝ぶりが見事な木。かつて植物博士から、この木は枝が暴れると聞いたことがありました。

偕楽園は100種3000本の梅があると言われていますが、苗木畑を含めると200種類を超えているようです。
日本梅の会大坪会長からいただいた珍しい書屋の蝶などこれから新しい品種が続々デビューします。
今回はいつになく多品種を掲載しましたが、まだまだほんの一部にすぎません。
2月25日にざっと見てまわったものです。













偕楽園の梅開花とミニバラグリーンアイスの貫生花

2020年10月16日 | 水戸の梅

ミスター偕楽園こと吉田雅夫さんから梅の開花情報を頂戴して、夕方出かけてきました。8輪ほど咲いているとのことでしたが、視力の弱った雑草は2輪見つけるのがやっとでした。

通りがかった方に助けていただいてどうにか4輪探すことができました。

梅が開花した場所は、田鶴鳴梅林の中の東よりです。田鶴鳴橋から石段を下りて来て、園内の通路と合流したところです。興味のあるかたは上の写真を参考にしてください。背景に見える橋が田鶴鳴橋です。
10月13日に6輪咲いていたのを確認したそうです。昨日は8輪になりましたが、今日16日は7輪だそうです。

この梅の木は昨年も10月に開花しています。品種名については定かではありませんが、超早咲きの初雁ではないかと思います。白梅で早咲は冬至梅が知られていますが、冬至梅よりさらに早咲きで花が小ぶりなことなどからそう思いました。

ここに咲いていると教えてくださった吉田雅夫さんです。他の梅の木にも咲いているかと園内を探したが、まだこの1本だけしか見つからなかったそうです。紅梅が咲いたらまたお知らせくださるとの事でした。
 また園内のお客様にお聞きしたことですが、昨年10月に玉簾の滝近くで咲いていたということです。機会があったら行って見たいですね。


次はミニバラです。
先日うーちゃんがフェースブックに載せたミニバラの花の中心が緑色だったので、もしかして花の中に葉っぱが出ていませんかとコメントしたら、今夜貴重な花を切り取って届けてくださいました。
花は小さいけれど八重咲の白がとっても美しいバラです。

花の大きさがわかるようにミカンと一緒に撮りました。

花の中心を接写してみて驚きました。1~2枚の葉かと思っていたのですが、たくさんの葉があるようです。花の中心に葉が生じるものにはサクラでは一葉とか普賢像で見られますが、桜の場合は1~2枚でシベが葉化したものです。

角度を変えて見ると7枚以上あるようです。

さらに見る角度を変えてみたら、驚きました。蕾のようです。
花の中心からまた花が咲くかもしれません。
このように、2段に花が咲くのを貫生花というそうです。ぜひ2段咲きしたグリーンアイスの花を見てみたいものです。切り花にしたこの枝で咲かせることができたらよいのですが無理のような気もします。
うーちゃんのお庭で咲いたらまた見せていただきたいですね。