武蔵國日記(むさしのくににっき)

土佐日記にあやかって、「女もすなる日記といふものを、中年男もしてみむとてするなり」

生命体としての国家

2013-12-07 22:14:27 | 随筆
特定秘密保持法が成立した。
法律的意義は、うわべでは必要かつ充分な要件を満たしているが、
運用では、多分に恣意的意図が入り易いリスキーな法だと考えざるを得ない。
国家総動員法や治安維持法と同様の運用が成されかねない法律であるとの指摘は正鵠を得ていると考える。

被害者としての国家としての秘密の定義が曖昧であり、
加害者としての人物を逮捕する際の理由付けに透明性が感じられない。

昭和40年代に小学生時代を過ごした筆者にとって、
社会の授業では、昭和初期の暗い時代の反省が繰り返し述べられていた。
そして全体主義的流れは、この日本において二度と起こり得ないと思っていた。
しかし歴史を振り返れば、国家の意思は必ず振り子のように揺れている。
それは洋の東西を問わない。
隣国との関係も必ず、敵対と友好の間を揺れている。

テレビインタビューに答えていた一般市民と称される人物に由れば、
「国家の秘密を漏らそうなんて輩は厳重に処分されなければならず、
国として秘密が有るのは当たり前じゃないか」とまで断言する人までいたのが驚きだ。

公聴会で述べられた意見や
国会答弁で行なわれた論争など、
30年先には無かったも同然であり、
法はその時代の文言の解釈に拠り、
その時の官憲により”厳正に”執行されることだろう。

今回、賛成に回った議員の子孫が、
今回、反対に回っていた議員の子孫によって逮捕されるといった
悪い冗談にもならないことを願う。


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