恐らく、日銀の福井総裁は辞任に追い込まれますね。
資産が何億だとか、、。
年収が何千万だとか、、。
おまけに年金まで貰っているだとか、、。
マスコミが微に入り細に入り暴き立てています。
その中で、街の声と称して、道行く人にインタビューして
ある人が、「庶民感情としてけしからんですね。即刻辞任すべきです。」などと、
コメントしてましたが、
一体、どうして資産を持っているからと云って辞任しなけれ . . . 本文を読む
ガウリ
シャヒーン
ノドン
テポドン
ご存知でしょうか?
総てアジアの国々で開発中のミサイルの名前です。
最近、北朝鮮のテポドン再発射の脅威が伝えられていますが、
これを自重するようにとの国際世論に対して北朝鮮側は、
「国の安全保障上の問題であり、自国の利益上断固として実験を執り行う。」と、
返答したようです。
友好国としての中国もこれには少々頭を痛がっているとも取れる報道も有ります。
日本 . . . 本文を読む
日本国憲法 第25条1項
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
日本国民は遍く文化的で快適な生活をおくる権利を有し、
その法的下支えが生活保護法であります。
今朝の新聞の見出しに、「生活保護の見直し」が検討されていると出ていました。
仕事上、時に生活保護の庇護にある方と接することが有ります。
病気で仕事に就けない方
家庭内暴力から逃れて母子で生活を始めた方
老齢で身 . . . 本文を読む
今朝の私の行動、もし第三者が見ていたら明らかに変でした。
通勤の道すがら、当たり前のことですが
沢山の仲間が同じ方向に歩いています。
知った顔、知らない顔。
普通なら知った顔を見付ければ、挨拶の一つも交わして
他愛のない会話に興じるところでしょうが、
今日は誰とも話したくなかったのです。
(そう云う日って無いですか?)
しかし、そう云う日に限って親しい同僚と出会ってしまいました。
先を歩く彼 . . . 本文を読む
通勤路の途中に大きな漆の木が生えていました。
あるビルの隣地の空き地から
そのビルの職員通路に差し掛かるように枝が伸びていたのです。
”ああ、今年も葉が茂って来ているな~。”と、
思っていました。
私、小学生時代に数回、山漆にかぶれたことがあります。
近所の野山に分け入って、知らぬうちに触ってしまっていたのです。
それはそれは悲惨なことになります。
皮膚が熱を持ち、腫れ上がり、そして猛烈に痒 . . . 本文を読む
最近、テレビのコメンテーターがよく使う言葉として
「法的には問題が無いが、道義的責任が問われる。」があります。
日本は法治国家であり、総ての国民があまねく平等に
法の管理下にあるとされています。
(実際には脱法行為が横行していますが)
法律で規定されていない不誠意行為に付いて
「道義的責任」で相手を責め立てて
職を奪ったり、人生を変えたりすることは
イジメに近い行為だと思います。
(大体が道義 . . . 本文を読む
前回のトルシエさんからジーコさんに監督が変わって
最も大きな変化は、ヨーロッパ型の組織だったサッカーから
南米型の個人技を重視したサッカーへの転換だという人がいます。
近代サッカーは、前者への指向を強めているとされていますが
今朝の新聞数紙を並べてみても、ジーコさんの指導法に対する賛否が相半ばしていました。
しかし昨日の 対クロアチア戦は、過酷な試合条件の下
消耗戦の様相を呈して、ともに最終的 . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ「功名が辻」 ここ三週続けて本能寺関連です。
これまで沢山の俳優さんが信長役を演り
沢山の俳優さんが光秀役を演られました。
どの人もそれぞれ自分なりの演じ方をされているので
甲乙付け難いですが、私の個人的感想から云えば
高橋孝治さんがもっとも伝信長像の肖像画に似ていると思います。
しかし、それよりも今回の本能寺の場面は、
1)信長が鉄砲を持って戦っていた。(弓じゃないのか?) . . . 本文を読む
先日(5月19日)、”ガラクタ箱から出てきた万年筆を復活させた”と
ブログに書かせて頂きました。
その後、気になっていろいろ調べてみると
最近、万年筆が流行りなんですね。
本日付のA新聞の土曜版には、
麻木久仁子さんが2004年に書かれたEssay「父の万年筆」の下りが出ていましたが
私と同じ人が居たのか!と思うぐらい
似た思いを綴っていらっしゃいました。
昔、学生だったとき、或る教授が
「 . . . 本文を読む
日本銀行の福井総裁が、村上ファンドに出資していたことが
問題になっています。
日本銀行の内規で、職員(総裁)の投資行為がどのように規定されているかは知りませんが、
総裁の説明が事実と仮定して話を進めた場合
1999年時に、海のものとも山のものとも分からない投資先であった
彼の投資会社に1000万円のお金を出すことは、”応援”であり、
或る意味”捨て金”だったかもしれないと思います。
いまこうし . . . 本文を読む