ゆうの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

花火があった

2009年07月25日 | 日記
 今日もまた病院の看護師さんから電話。「飴玉を持ってきて欲しいそうです」と言う。実家から車で10分くらいの距離にある病院。我が家からは1時間近くかかる。母が弟夫婦を頼らず私に頼ろうとしているのが明らかだ。嫁に対して意地を張っているのではないかと思う。
 「用事があって行けませんので弟夫婦に連絡していただけないでしょうか」と看護師さんにお願いした。
 忍耐強くて穏やかな母だったのだが老いて状況判断力が鈍っているのは明らか。思い通りに動いてくれない私をきっとつめたい娘と思っていることだろう。

住吉まつりという町の小さなお祭りで8時45分から15分間だけ花火が上がるというので写真を撮ってみるつもりだった。しかし雨が降り続ける。これは中止だろうと諦める。ところが8時半前から花火の音がしだした。慌てて見える場所までかけていった。たった15分間の予定の花火。ぐずぐずしてたら終わってしまう。三脚など広げている場合ではない。今回は望遠は持たずに広角を持って行った。結果はご覧の通り。こういう場合は望遠がいるということを体験学習!
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母、入院

2009年07月24日 | 日記
「痛くて堪らない。病院に入院させてと頼んだら入れてくれると言うからあんた来て入院の準備をして連れて行って」と母が言う。「そういうことは私に言わず、弟達に相談して決めないといけないよ」と言うと「ふたりとも仕事に行ってる。連絡先も私は知らないんだから」と母が言う。弟夫婦の頭越しに私を頼ろうとする母。「嫁姑」の「嫁」の気持ちが分かるので母の要望に応じず、勤務中の弟夫婦に電話してこのことを伝えた。
 母は近所の人の手を借りて入院した様子。夕方、病院の看護師さんから電話があって「今まで飲んでいた薬を持ってきていないので持ってきてください。他にも持ってきて欲しいものがあるので来て欲しいと言っています」と言う。「弟夫婦が同居していますのですみませんがそちらに連絡してください」と伝えて電話を切った。
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母、転倒

2009年07月23日 | 日記
10時ごろ母が転んで腰を打ったと義妹から電話があった。裏の菜園の草取りをしようとして転んだとのこと。家の中でさえ一人で歩けないのにまたどうして草取りをしようなど思い立ったのだろうか。「心配なので病院に連れて行きます」と義妹が言う。私も病院に行こうか行くまいか迷う。そして行かないと決めた。同居を始めたばかりの母と義妹は今、人間関係を築いている最中。こういう時に母に弟夫婦と同居したありがたさを感じ感謝の気持ちを持って欲しい。なまじっかの手出しは控えよう。
 診察の結果、骨折はしていなかったと義妹より連絡を受けホッとする。しかしその後母から電話があって「痛くて堪らない。あの病院では痛み止めの注射もしてくれなかった。あんた来てM病院に連れて行って」と言う。今年の1月末から3月まで転んで腰を打って半ば睡眠薬と鎮痛剤中毒状態だった母。あの悪夢のような日々の再来か?「弟達に相談無くそういうことをしてはいけないよ」と言うと母は怒って「もういい。タクシーで行くから」と言って電話を切った。
 夕飯の支度をしていると母から電話があって「M病院に行ったら痛み止めの注射をしてくれた。もう痛くないから心配しなくていいよ」と明るく言う。
 これも鎮痛剤が効いている間だけかもしれない。明日からの事が気になる。
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皆既日食

2009年07月22日 | 日記
 月が太陽を完全に多い尽くす皆既日食が46年ぶりに見られるとあって最近テレビはその話でもちっきり。鹿児島県のトカラ列島(十島村)、種子島南部、屋久島、喜界島、奄美大島北部などへ高額な旅費を使って人々が詰め掛けたようだ。夫婦と子ども3人の家族が「ひとりあたり20万の旅費で来ました」とテレビで言っていた。・・・ということは総額100万!テレビのレポーター(?)が「私は一番安い部屋(船)でした」と言って次の瞬間「40万ですから・・・他の人は100万以上でしたから」と言ったのには驚いた。
 日食を直視すれば目を傷めるので私も日食グラスを手に入れておこうと思っていたがとうとう手に入れずにその日が来た。天気は数日前から荒れ模様。今朝も雨がシトシト。これでは日食は見られそうに無い。日食グラスを買わなくて良かったとせこい事を思ったりした。日食の時は動物などに変化が現れると言っていたのでその点を少し注意して観察。これは偶然の重なりなんだろうか午前10時45分ごろ曇り空が一段と暗くなるとなんと隣の犬が「ううーーー」と遠吠えを始めたのだ。そしてカラスが本当にカアと鳴いた。家の前の電線にスズメがたくさん避難(?)我が家の犬のフクがトコトコと走ってきて私の膝に擦り寄った。
 家の中でそんなことに目を奪われているうち周囲が次第に明るくなって日食終了。
 夕方、娘が仕事から帰って来て「日食見た?」と言うので「見れなかった」と言うと「見れたよ。雲がかかっていたけど見れたよ。私、見たよ」と言う。
しまった!家の外に出てみれば良かった!今度、日本で皆既日食が見られるのは26年後とのこと。その時私は・・・・?
 不運にも天候に阻まれて皆既日食の全容が見られなかった所が多かったようだが硫黄島では感動の皆既日食が見られたようだ。コロナやプロミネンスをテレビで見た。

 午後、出来上がった日記を持って実家へ。義妹がやや疲れた表情をしていた。子ども返りして我がままになった母との同居は大変だろうなと思う。「○○(弟)はあんた(私)より優しい」と母が言う。それが救い。義妹も私よりずっと優しい人だ。
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日記

2009年07月21日 | 日記
 ネット上に書いていた日記に家族の折々の写真を挿入して本の形にした。自分でプリントして製本だけプロにお願いした。製本代6300円也。以前作った時は確か1年分が2万円だった。安く上がってよかったなと思う。
 娘、息子、母(弟)、妹、私(夫も見るかな?)用として5冊。何年分も一緒にまとめたので4~5センチの厚さになった。
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