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城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

町屋の城(長野県伊那市)

2013年08月28日 | 長野県伊那市の城址
所在地:長野県伊那市西春近諏訪形字町屋
現状:耕作地、等
遺構:堀跡
状態:消滅
表示等:なし
駐車場:なし

広域農道の諏訪形の信号交差点西側の傾斜地が城址となりますが、西側の沢の
侵食と耕作地化に因って地形も変わり、城跡を感じさせるものはほとんどありま
せん。

城主、城歴も定かではありませんが、発掘に因って鎌倉時代に造られた館跡では
ないかと推察されています。
城主は南にある城山の宮田氏と関連があると考えられるようです。
また東側300m程にある中村城(安岡城)との関連も考えられています。
(「菖蒲沢・山の下遺跡 -緊急発掘調査報告- 伊那市教育委員会 昭和55年」参照)

南側より。
発掘調査により耕作地内に堀跡が見つかっています。


西側。
右側にある沢によって郭部が侵食されています。


南側の竹林に空堀が突き抜けた跡が残ります。


物見や城より見る、恩徳寺城跡付近(長野県伊那市)

2013年06月20日 | 長野県伊那市の城址
旧道沿い、藤沢川の北側の段丘上が恩徳寺城跡と言われています。
遺構は見つかっていないようで場所、城歴等不明の城跡です。


写真中央の耕作地から上側の山林の辺り。

以下、と或る冬の風景です。
山林の北側に堀状の地形を挟んで一段低い耕作地跡があり、隅に
恩徳寺開創之地、の碑が建てられていました。








物見や城(長野県伊那市)

2013年06月18日 | 長野県伊那市の城址
現状:山林
遺構:平場
状態:
表示等:あり
駐車場:休み平キャンプ場駐車場利用

誰によりいつ頃築かれたかは定かでなく、小笠原氏とも武田氏とも言われ、のろし台として利用されたようです。
狼煙リレーのイベントの為に山頂付近の木が伐採されていてとても眺めが良く、のろし台として最適な立地にある事がわかります。

遺構としては、山頂を含め東側に三段の平場が見られました。

休み平キャンプ場から野田山あやめ園へ向かう途中で少し寄り道をして山頂まで、キャンプ場からは30分程。
生憎の曇り空で景色は今ひとつでしたので写真は春先に訪れた時のものです。

東側、富県方面。



黒ん城(長野県伊那市)

2013年04月29日 | 長野県伊那市の城址
現状:山林等
遺構:郭、土塁跡
状態:わずかに遺構が残っています
表示等:なし
駐車場:羽広公民館駐車場利用

羽広にある仲仙寺の北西の山中に、遺構が残ります。
尾根上に郭が築かれ、郭南東側には土塁跡と思われるわずかな土盛を
見ることが出来ました。

武田氏に利用された、城跡というより狼煙台跡、のようです。

仲仙寺の参道から経ヶ岳への登山道を進みます。
右側へ。

GPSを頼りに、登山道から尾根が一番近づいた辺りで尾根の鞍部に上がり城跡へ。
程なく、尾根上に一段高く切岸に加工された郭が見えてきました。

郭内は熊笹、雑木で覆われています。

僅かな踏み跡を辿ると雨量計の設置されている広場に出ます。

郭南東側。
写真では全く判りませんが、わずかに土盛が郭を囲むように残っていました。

南東下側、熊笹で平場ともなんともわかりませんでした。

さて帰路です。
登山道は熊笹が一面を覆う中を抜ける道でしたので、何か出そう、という訳
ではないですが別の道を下ることにしました。

雨量計まで来る正規?の道と思われる踏み跡が南側斜面に有りましたので下って
みます。

熊笹もほとんど無く見通しは利きますが勾配は急です、しかも一気に下って
行きます。登って来るのはかなりキツそうです。

自然観察園の遊歩道まで下ると遠回りになりそうでしたので、途中から林道を
辿って、登山道との分岐点に戻ってきました。
右側が登山道、左側が下って来た林道。

登山道脇にはまだカタクリの花が咲いていました。



城林の城(長野県伊那市)

2013年02月27日 | 長野県伊那市の城址
現状:山林
遺構:郭、空堀、土塁
状態:形としてはよく残っています
表示等:なし
駐車場:なし

旧伊那飛行場のあった段丘の北西端に遺構が残ります。
岬状に細長く伸びた先端部に二つの郭が残り、東側には空堀が見られます。
また段丘斜面上には腰曲輪が見られます。

乾の古城から南下、若宮団地の交差点から旧飛行場のあった段丘へ上がり、西へ。
先端に進んで行くと空堀と土塁が見えてきました。

空堀はほとんど埋まってしまっていますが北側は少し堀らしさが見られます。

郭内を更に西へ進むとまた土塁が築かれています。

堀もあったと思われますが埋まっていてはっきりしません。
土塁ははっきりと見られます。

先端の郭内。

北側。細く腰曲輪が残ります。

西側から南側にかけての腰曲輪は広めです。

乾の古城(長野県伊那市)

2013年02月25日 | 長野県伊那市の城址
現状:山林
遺構:土塁
状態:遺構がわずかに残ります
表示等:なし
駐車場:なし

伊那北小学校の北西の段丘先端に郭と土塁がわずかに残ります。
以前、場所だけは判っていたので訪れて見ましたが遺構がはっきりとしませんでした。
そこで今回は「図解山城探訪第四集 上伊那資料編 宮坂武男著」の絵図を片手に訪ねてみました。

北側、わずかに土の盛り上がり見られます、土塁と思われます。

東側の土塁跡。

南側の土塁跡と思われる箇所。

鎌倉期に造られた単郭の館跡のようです。
郭の周りを土塁と空堀で囲っていたようですが今はわずかに土の盛り上がりが残るのみとなっています。

牛ヶ城(長野県伊那市)

2012年12月26日 | 長野県伊那市の城址
現状:山林
遺構:堀切
状態:わずかに遺構が残ります。
表示等:不明
駐車場:なし

県道18号線の火山峠の北西の山頂に位置します。
県道の伊那市側から牛ヶ城遊歩道が頂上まで続いており、案内板もあります。
山頂は三角点のある細長い平場と、その東西の尾根上に堀切を見ることが出来ます。

県道を福地から火山峠に向かいます。
溜池を過ぎた先の急カーブの所に「牛ヶ城遊歩道」の案内板がありました。
右手に登った所が少し広くなっておりましたので駐車、ここより山頂を目指します。

案内板まで戻って林道を西側に進みます。
道が行き止まる手前に再び案内板がありましたので、右手の心地良い沢部を
尾根上に上がって行きました。

山頂南側の尾根に出ました。右手に進みます。

平場を通って登り山頂東側の尾根に。
案内板があります、左のようです。

10m程で堀切に出会います。

堀切を越えると三角点のある山頂の郭となります。

西側へ細長い平場が伸びます。

西側に進みます。西側にも堀切跡が見られます。
郭の西側端を少し通り過ぎてから振り返って見ました。

尾根上を更に下って見ました。
直ぐに標柱が。(もしかして牛ヶ城跡の標柱?)

尾根は北側方向へと伸びています。
250m程下ると尾根上に小高くなった平場が見られました。

御手洗石が残っていました。
平場となっている以外は堀切等見られないので城跡とは関係無さそうです。

再び尾根上を城跡へと戻りました。

取り敢えず山頂より林間に北側を望む。





鳩吹城(長野県伊那市)

2012年11月29日 | 長野県伊那市の城址
現状:山林
遺構:郭、空堀
状態:遺構の一部が破壊されていますが良く残っています
表示等:あり
駐車場:あり

鳩吹公園の西方に見える大田山の山頂が城跡となります。
山頂部が主郭となっており尾根に空堀、斜面側には数段の帯郭を見ることができます。
北東側の二重堀の半分が開発で破壊されていますが、全体的には遺構はよく残っていました。
ただ熊笹の繁茂が酷く遺構を見るには厳しいです。

山頂付近にはパラグライダーの離陸場があり林道が通じていますが当然未舗装です。
取り敢えず高度を稼ごうと思い、愛車で行ける所まではと林道を進みます。
別荘地を過ぎ、車体の底に不安を感じたところで徒歩に切り替えました。

日影部分はもう冬の粧いでした。

歩き始めてから40分ほどで山頂西の広場に到着。
左側から登って来ました。
正面の尾根上を東側に進み山頂を目指しました。

登り始めて直ぐ堀切がありそこを越えると暫らく細尾根が続きます。

100m程で主郭西側の空堀に出会います。

堀から登ると山頂の主郭に到着です。

「鳩吹山城址」の標柱が木に立てかけられていました。

南側斜面には三段程の帯郭が見られます。
熊笹に覆われていて足元が不安でしたので下っては見ませんでした。

主郭北東側、土塁状の盛上がり部分がありその先に二重の堀が見られます。

堀とその先の尾根は南側部分が崩されパラグライダーの離陸場になっていました。
凸凹に荒れているのはイノシシの食痕でしょうか。

離陸場の縁からは伊那の市街地と右手には甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳。

左手遠方には八ヶ岳連峰の山並みが望めました。

小沢古城(伊那市)

2011年12月28日 | 長野県伊那市の城址
別名:
築城:戦国期
築城者:
現状:寺地、山林
遺構:土塁跡
状態:不良
表示等:なし
文化財指定:なし
駐車場:なし

伊那市内から国道361号線を権兵衛峠方面へ向かいます。中央自動車道を超えて直ぐに左折できる2車線の道があるので入って行きます。段丘下へ下って行く直前、正面に墓地があり、そこから東側が城址(館跡)となります。
墓地の辺に西側の土塁があったようですが造成の為埋められました。
東側の土塁は松月寺の東側、月見松遺跡の表示版が立てられた後ろ側の盛り上がった部分が土塁跡になるようです。(月見松遺跡緊急発掘調査-参照)

東側、土塁跡がかすかに残る。

村岡城(伊那市西春近)

2011年12月28日 | 長野県伊那市の城址
別名:
築城:鎌倉時代
築城者:小井弖氏
現状:耕作地、山林
遺構:なし
状態:
表示等:なし
文化財指定:なし
駐車場:なし

荒城址から北北東に道を辿ります。300m程進んだ東側の住宅奥の耕作地が城址と思われます。
こちらも小井弖氏関連の遺構のようです。
発掘調査により南北に走る空堀が確認されています。
(村岡北遺跡緊急発掘調査報告-1975年-参照)

何もありませんでした。この正面辺から空堀が見つかったようです。