城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

阿島陣屋・知久氏館跡(長野県喬木村)

2020年11月08日 | 長野県喬木村の城址
徳川幕府の旗本、知久氏の陣屋跡です。
説明板に拠れば、
知久大和守頼氏の子則直が慶長6年(1601年)阿島三千石の旗本としてここに陣屋を築いた、
とあります。

明治時代を迎え陣屋は廃止となり、ほぼすべてが取り壊されたため残っている建物は、住居用に残さた茶室(現曙月庵)のみです。
また、遺構としては道路沿いに「切込接乱積のすだれ仕上げ」という美しい石垣を見ることが出来ます。(非常に手間とお金が必要な石垣のようです。)
他に遺構等はなく現在陣屋跡地には幼稚園、特養ホーム、公民館等が建てられていました。

冠木門を入った所が駐車場です。

石垣上に陣屋跡碑、解説板等が建てられています。

「切込接乱積のすだれ仕上げ」の石垣。

陣屋跡地内部西側。

特養ホームに沿って砂利道を進むと曙月庵表入り口。

塀は低いので中は見えるのですが、木立が邪魔して建物はほとんど見えません。

東側まで進むとようやく建物が見えました。

裏口方向から。


南側段丘上から、陣屋跡を俯瞰す。

地理院地図で場所を確認。
阿島陣屋はココ



伊久間城(長野県喬木村)

2013年02月04日 | 長野県喬木村の城址
現状:山林
遺構:土塁
状態:遺構の一部がわずかに残ります
表示等:三ツ峰様(城山)の表示があります
駐車場:なし

伊久間集落の東側、伊久間原の段丘端に位置します。

段丘端の西側に少しだけ突き出した場所があり、土塁の一部と思われる
土盛が残っていました。

阿島城原城から県道に下ってから南下、弁天橋の北500m程の所から伊久間原へと
登って行きます。
段丘上は観光農園などがあるはずですがこの季節は静かな田園風景が広がっていました。

遠くに南アルプスの山並が綺麗でした。

畑の先に城跡と思われる茂みが見えます。ちょっと不安が。

近づいてみるとやはりかなり藪化しています。

三ツ峰様の案内板あります。

気乗りしませんが藪の中へ。

土塁の上部に三ツ峰様が祀られていました。
土塁の西側が郭内のようです。

西側段丘端。

北側に残る土盛、土塁の一部かもしれません。



阿島城原城(長野県喬木村)

2013年02月01日 | 長野県喬木村の城址
現状:耕作地、山林
遺構:
状態:ほぼ消滅
表示等:なし
駐車場:なし

阿島の加々須川の北側の段丘上先端に位置します。
耕作地化の為、遺構はほとんど残っていません。

熊野支城から戻って段丘を登り切った所に戻ります。
北西側が城跡となります。
一面耕作地となっています。

段丘の縁数カ所にわずかに空堀の突き抜けたと思われる窪みが見られました。

西側の尾根上に熊野支城同様に平場が見られます。

城跡より東側を望む。




阿島城熊野支城(長野県喬木村)

2013年01月30日 | 長野県喬木村の城址
現状:耕作地、墓地、山林
遺構:出郭、空堀、等
状態:遺構がわずかに残ります
表示等:なし
駐車場:なし

阿島城原城の北側のハート形に突き出した段丘先端部分に位置します。
共同墓地の造営に伴う発掘調査により遺構が見つかっています。
(阿島城原城跡 1991.8 長野県下伊那郡喬木村教育委員会 参照)

現在は土橋状に道路が造られていますが、
城原の段丘からつながる細く括れた部分に堀切の跡が確認されています。

北西側に下る尾根上に曲輪と思われる平場が数段見られます。
また南西側には空堀を挟んで出郭が築かれ、尾根上には北西側同様に数段の平場が
見られました。

県道から阿島陣屋跡の脇を通って加々須川を渡り、北側の段丘上へ登ります。
登り切った所の左手(西側)が阿島城原城跡となりますが、取り敢えず後回し
にして北側の段丘先端を目指しました。

舗装が切れ少し進むと括れ部分の空堀跡が見えてきました。

土橋を渡ると主郭の向こうに中央アルプスの山並が望めます。

南西側の先端に進んで行くと空堀とその先に出郭が残ります。

尾根上には郭と思われる平場が三段ほど確認出来ます。

北西側、尾根上に二段ほどの平場が見えます。


小川松下城(長野県喬木村)

2013年01月28日 | 長野県喬木村の城址
現状:山林等
遺構:郭、土塁、空堀
状態:よく残っていると思われます
表示等:なし
駐車場:なし

神之峰を本拠とした知久氏関連の支城の一つと考えられているようです。
小川上平の真浄寺の北西の山中に遺構が残ります。

山の先端部に空堀を挟んで二つの郭が築かれており、それぞれに土塁が残ります。
また郭から西側に下る尾根上に遺構らしきものも見られます。
ただ藪化が酷く今回もあまり遺構を見ることが出来ませんでした。 

上平トンネルの西側から山上へ、耕作地の端を西行します。

耕作地が切れた先に北側が崩落した尾根が現れます。

尾根を進むと程なく土塁とその先に空堀が。
土塁上から空堀を覗いて見ました。
以前訪れた時は初夏ということもあり、藪が深そうだったのでここで引き返しました。
今回は冬ということもあり少しは楽出来るかと期待したのですが、青々とした矢竹、
熊笹の類が変わりなく行く手を阻んでいました。

堀底に進むのは諦めて北側斜面から郭上に上がりました。
郭東側、堀に面して土塁が南側に伸びます。虎口が残っているようですが藪の中です。

藪を潜って郭内を西へ。
やがて藪が疎らとなり少し郭内を望めました。

西の郭との間の空堀。
かなり深いです。

堀底から西の郭へ上がる道は何故かはっきりしていました。

西の郭(こちらが主郭のようです)に上がると
北側に土塁が残り、上部に宗吾尊霊碑が祀られていました。
碑の周辺はきれいに手が入っています。
北側に少しだけ眺望が開けます。

二つの郭の南側は藪が酷く今回も見ずに終わりました。

代わりに更に西の尾根を下って見ます。
郭から急な尾根を下って進むと、クランク状の細尾根が。

その先に、南側に土塁状の土盛のある細長い平場がみられました。

この先尾根は下りながら伸びていて送電線の鉄塔の所までは北側沢筋の道路から保守用
と思われる道が登ってきていました。
尾根上には堀切と見えなくもない跡等がありますが城跡との関係は少ないと思われます。






氏乗城山城(長野県喬木村)

2013年01月21日 | 長野県喬木村の城址
現状:神社、山林等
遺構:郭、空堀
状態:良く残っています。
表示等:なし
駐車場:なし

下氏乗集落の北側、小川川と胡桃沢の合流地点に位置します。
北側の胡桃沢方向と西側の小川川に接する斜面は非常に急峻で天然の要害
となっています。

城山には三つのピークがありそれぞれに郭が築かれ尾根筋には複数の
空堀をみることが出来ます。
各郭とも切岸状に手が加えられており見応えがあります。

と或る晩秋に訪れました。
ここは春には分教場跡にとても見事な薄紅色のしだれ桜が咲きます。

下氏乗の集落から胡桃沢へ抜ける峠から城山の神社へ上がる階段を進みます。
峠道も堀跡のようです。

途中、腰曲輪が見られます。
山頂部分に一段高く平場があり神社が祀られていました。

北側の堀は垂直に近いと思える様な急斜面でこのまま降りるのは無理のようです。

少し下った西側から回り込んでなんとか堀底へ。
右側が降りてきた郭側。

ここから先は矢竹が繁茂しており藪化していました。

堀から北側の郭へ登ります。
こちらも山頂部に祠が祀られています。
東側下に小さな平場、西側に少し広い平場が見られます。

尾根に沿って西側に進みます。
平場から落ちる様に下ると藪の中に二重の堀切が見られました。
その先は尾根上に細長い平場、堀切、細尾根と続きます。
途中の細尾根。

100m程で尾根上に土塁状の土盛と堀を挟んでその先に西の郭が見えてきます。

堀を越え急斜面を這い上がると三つ目の郭に到着です。
周辺はきれいに手入れされており心地良い里山といった感じでした。

南側下に腰郭状の緩斜面が見られました。

来た道筋をもどり、峠から北側の胡桃沢に下ってみました。
檻のようです。
くわばら、くわばら。






茶臼山砦(長野県喬木村)

2012年05月27日 | 長野県喬木村の城址
現状:公園
遺構:郭
状態:不良
表示等: あり(標柱)
駐車場:なし

加々須集落北側の尾根上のピークに築かれたのろし台跡のようです。
非常時の避難場所であったとも思われます。

目標物も無いので取り敢えず地図を頼りに加々須の集落へ向かいます。
加々須川を渡ったところで北側の尾根上に向かう道を登って行きます。尾根上の
丁字路を右折して東へ。

資料では公園となっていましたので、道沿いに探しながら進んでみましたが、程なく
終点のどうみても個人宅の庭先になりました。

引き返します。
少し下って怪しげな場所がありました。

近づいてみるとかろうじて判る標柱があります。

公園だった痕跡はあるのですが、現在は非常に残念な状態となっていました。
郭に続く尾根は南側が無残に削られて道が開かれています。

尾根上を東へ進み頂上へ。
頂上部分は一段高く削りだされた郭(のろし台跡)が残っています。

郭には石碑が祀られていました。

飯田方面がよく見渡せます。

富田城(長野県喬木村、飯田市)

2012年04月21日 | 長野県喬木村の城址
現状:公園、山林、等
遺構:郭
状態:不良
表示等: あり(説明板)
駐車場:あり(公園駐車場)

県道18号線弁天橋東交差を南に、300m程で左の県道83号線に入り三遠南信道
矢筈トンネル方面へ向かいます。
暫らく進むと右に北原城址公園の表示が見えますが、今回は寄り道しないで
進みました。
矢筈トンネルへは富田郵便局の交差点を左折するのですが、城址へは右折して
旧道を西へ、左手正面に桜の木が植えられた丘が見えたらそこが城山です。

案内板がある所が主郭と思われます。
桜も散り始めていました。

主郭の南側、正面奥が主郭。

富田の街並み。

冬に訪れた時は、主郭から東に南アルプス、西に中央アルプスの引き締まった
山並が非常に綺麗でしたが今回は残念でした。

(撮影日:2012年04月21日)