城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

茶臼山砦(長野県喬木村)

2012年05月27日 | 長野県喬木村の城址
現状:公園
遺構:郭
状態:不良
表示等: あり(標柱)
駐車場:なし

加々須集落北側の尾根上のピークに築かれたのろし台跡のようです。
非常時の避難場所であったとも思われます。

目標物も無いので取り敢えず地図を頼りに加々須の集落へ向かいます。
加々須川を渡ったところで北側の尾根上に向かう道を登って行きます。尾根上の
丁字路を右折して東へ。

資料では公園となっていましたので、道沿いに探しながら進んでみましたが、程なく
終点のどうみても個人宅の庭先になりました。

引き返します。
少し下って怪しげな場所がありました。

近づいてみるとかろうじて判る標柱があります。

公園だった痕跡はあるのですが、現在は非常に残念な状態となっていました。
郭に続く尾根は南側が無残に削られて道が開かれています。

尾根上を東へ進み頂上へ。
頂上部分は一段高く削りだされた郭(のろし台跡)が残っています。

郭には石碑が祀られていました。

飯田方面がよく見渡せます。
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南城(長野県豊丘村)

2012年05月18日 | 長野県豊丘村の城址
現状:耕作地
遺構:空堀
状態:
表示等: なし
駐車場:なし

古城跡から東へ進み適当な所で右折して耕作地の中を南へ進み、同じ段丘上の南端を目指します。
段丘南端は東側に深い沢を持ち細長く南へ突き出した形になっており、南から2条の堀跡と思われる
箇所があります。
果樹園で作業をされている方に尋ねてみましたが、城跡という話は知らないが地籍は城南(しろみなみ)
ですよ、とのことでした。古城に対して南ということなのでしょうか。

北側の空堀跡と思われる箇所。

南側の空堀跡と思われる箇所。

南側段丘先端方面。
東側が高く、西に段状に帯郭が築かれていたように思われます。
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古城(長野県豊丘村)

2012年05月16日 | 長野県豊丘村の城址
別名:伴野城
現状:山林、墓地、耕作地
遺構:郭、土塁、空堀
状態:良い
表示等: あり(石碑、説明板、表柱)
駐車場:なし

県道18号線沿い豊丘南小学校の南150m程を東に入り南へ進みます。
伴野神社を過ぎ大きく折れて段丘上へ。
登り切る直前左手の共同墓地とその西側が城址となります。

段丘上、左側が本郭になります。道路は空堀跡です。

本郭はほとんどが共同墓地になっています、入り口に城址の石碑と説明板があります。

墓地の裏側に進みます。

進んで直ぐに空堀を挟んで土塁が見られます。
土塁上には祠が祀られていました。

土塁西側、出郭部分。

さらに西側尾根上を下ると堀切状の部分が見られました。
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陣馬形山(長野県中川村)

2012年05月13日 | 長野県中川村の城址
現状:公園、キャンプ場
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:あり(キャンプ場駐車場)

「長野県の中世城館跡(1983長野県教育委員会編)にのろし台跡として記載がありますが、遺構は見つけられませんでした。

美里の集落から山頂キャンプ場まで舗装された道路が通じています。
早朝に向かったのでこの時期でも非常に寒かったですが眺望は最高でした。

南アルプス仙丈ヶ岳左側から太陽が昇ってきました。

ベンチは霜で真っ白です。

北側、伊那市方面。

中央アルプス、正面に南駒ヶ岳。

南側、飯田市方面。

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城山城(長野県豊丘村)

2012年05月11日 | 長野県豊丘村の城址
現状:山林、耕作地、墓地
遺構:郭、空堀
状態:良い
表示等: あり(表柱)
駐車場:なし

県道18号線の田村交差点を東に進み稲荷社の脇を道に沿って登って行きます。
洞岩寺を過ぎ400m程の所で北側に折れて段丘上へ、登り切る直前の左手西側の小山が城址となります。
段丘の南西端に位置し南側、西側は自然の要害、北側、東側に空堀が築かれていたように思われます。
北側の空堀ははっきりと残っています。
東側は道路になっていますが空堀跡と思われます。

城山主郭には三角点の脇に城山城の標柱が横たわっていました。

北側空堀。

北東より城山を望む。
ここに標柱があるということは、城山を囲むように外郭があったと思われます。
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上の城(長野県豊丘村)

2012年05月10日 | 長野県豊丘村の城址
現状:宅地、耕作地
遺構:不明
状態:
表示等: あり(上の城入口表示)
駐車場:なし

本城跡から農道を南へ、寺沢川を越えて段丘上に上がります。
広域農道が東へ向きを変える辺で西側に下って行く道がありますので、右折して進みます。
段丘を一段下り更に下の段に向けて下りに差し掛かるという所の左側に、上の城入口、の
標柱がありました。

城跡は個人宅の敷地と畑地部分と思われます。
庭先の畑に家の方がいらしゃいましたのでお話を伺いましたが、特に何も無いんですよ、と
のことでした。
宅地の平地が郭で、北側道路部分と東側の竹林の沢が空堀ということになるのではと思って
みました。

道路脇に標柱があります。

宅地北側道路から東側を望む。この辺りが空堀でしょうか。
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茨山城(長野県白馬村)

2012年05月09日 | 長野県白馬村の城跡
現状:神社地、古墳、山林
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:あり

大宮城跡から引き返して県道33号線を北側に越えると250m程で道が東へ向きを変える
所に駐車スペースがあります。その北側の嶺上、城嶺神社付近が城址となります。

嶺上へは駐車スペースの場所から上がる道が有ります。

遺構は不明確です。
神社拝殿裏が切岸状になっており、その北側に古墳が二基確認出来ます。
古墳の周囲に堀状の跡が見られました。

地元の方に少しお話を聞いたのですが、城嶺神社の古墳のことはおっしゃっていたのですが
城跡のことはわからないとの事でした。

登り切ると城嶺神社に到着です。

拝殿裏、北側に切り崩されています。

土橋状に見えなくもないですが、不明。左側に古墳があります。

桜が静かに咲いていました。

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大宮城(長野県白馬村)

2012年05月07日 | 長野県白馬村の城跡
別名:三日市場城
現状:山林、神社地等
遺構:郭、土塁、空堀
状態:良い
表示等: あり(神明社案内板に簡単な説明があります)
駐車場:なし(神明社入口に駐車)

国道148号線沿い白馬南小学校の北側を東に入り県道33号線交差点手前で右折して
三日市場集落南の神明社に向かいます。
城址は神明社東側山頂にあります。

神明社から登って行く道は無いようでしたので南側尾根伝いに山頂を目指しました。
急ではありますが10分程で山頂下の平場に辿り着きました、帯郭と思われます。

山頂は東西に堀切を挟んで郭があります。東側郭の堀切に沿って土塁が残っていま
すのでこちら側が主郭と思われます。ただ祠は西側の郭に祀られていました。

郭の東側と北側に二重(段)に空堀が築かれいます。また南北斜面に数条の竪堀も
残っており見応えがあります。

空堀を越えて東側に少し下ってみると以前は車も通ったと思われる道がありました
ので、北側若しくは東側からの登山道がありそうです。

国指定重要文化財、神明社。参道を行きます。

尾根を登って西郭下の帯郭に到着。

西側の郭に石の祠が祀られていました。

堀切を挟んで東側の郭、主郭のようです。

北側空堀。二段状になっています。

竪堀も見られます。
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塩島城(長野県白馬村)

2012年05月06日 | 長野県白馬村の城跡
現状:山林
遺構:郭、空堀
状態:良
表示等:あり(案内板、説明板)
駐車場:あり(案内板付近に駐車スペースがあります)

国道148号線岩岳入口交差点を南に入ります。正面に見える単独の小山が城山です。

JR大糸線の踏切を越えると丁字路に突き当たりましので取り敢えず左折して登山口
を探します。
少し走ると直ぐに山域が終わってしまいましたので引き返すと左側に案内板が見つ
かりましたのでここから登り始めます。

城山は東西と南側は急峻な斜面を持っていますが北側は緩やかな斜面となります。
説明板に概観図が無かったのが残念ですが、歩いてみて城址は南側山頂部分が主郭
となり北側に一段下がって郭と空堀、更に北側にもう一条の空堀があり、主郭西側
にも空堀が築かれているように思われました。

眺望も主郭からは樹木に邪魔されて残念でした。

案内板がありました。北出口から登り始め、中央出入口に降りてきました。

写真では判りづらいですが空堀です。

主郭手前で少し眺望が開けました。

塩島城主郭。

主郭西側の空堀と土塁。
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観音原 石仏公苑 (長野県白馬村)

2012年05月06日 | Weblog
広場のまわりに石仏が立ち並んでいました。
案内板に拠れば187体とのこと。







残念ながら片隅の桜はもう葉桜になっていました。
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