城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

船山城 城畑編(長野県 松川町)

2016年11月14日 | 長野県松川町の城址
秋の城畑、東側の郭から西側を望む。


南信伊那史料に拠れば、

上片桐村字城ニアリテ現ニ礎石乾○(土へんに皇)ヲ存ス
其先源経基五男滿快ノ曾孫源爲公五男片切藏人太夫爲基
當鄕ヲ押領シテ城郭ヲ搆ヘ住之在名ヲ以テ家號トス・・・

、とある。

また、城跡に建てられた説明板に拠れば、

この城跡は、平安時代末から室町時代末に至る四百有余年にわたり、
伊那地方に栄えた信濃の名族、片切氏によって築城されたものであり、
天正十年に織田氏の侵攻によって落城したと言われるまで同氏の本拠地
になっていたところである。

と説明されています。

城跡は、築城時の城跡と考えられる出丸(中川村 船山)部分と、その西側に拡張して
築かれたと考えられる二つの郭(松川町 城畑)部分から成ります。


城跡北西側の御射山神社の駐車場から東側の出丸へと巡る。

春、花見の頃、御射山神社。この辺りが大手となる。
左手の池は空堀の跡。

道路と駐車場を挟んで南側にも堀跡が残る。

池沿いに堀跡を北側に進むと城坂。
右側に僅かに神社倉庫につづいて土塁状の跡が残る。

春の御射山神社、今年は御柱の年、柱は真新しい。

神社脇から東側出丸方向を秋に望む。

大手に戻って、西側を望む
中央の果樹園奥の林付近が、片切氏の創建と伝えられる鳳雲山瑞應寺。

大手から東側、出丸(船山)方向を望む。
出丸へは中央の道を進む。

道を東へ100mほど、南側に堀跡が残る。

空堀北側は埋められたようではっきりしないが北側の段丘端には痕跡が残る。
道が大きく湾曲している所に空堀があったと思われる。

空堀は城畑のニつの郭の中央付近にあり、堀跡からさらに100mほど進むと防獣柵が現れ
城畑部分の東端となる。

北東側には天神様の祀られている北ノ城と呼ばれる部分があります。
右側奥の付近。

防獣柵の向こう側、城畑と船山の間の空堀が松川町と中川村との境のようだ。

船山編へつづく。


船山城(長野県松川町)
現状:果樹園等
遺構:空堀跡
状態:遺構が残ります
表示等:長野県史跡標柱等
駐車場:御射山神社駐車場利用