城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

雪の赤須城址と仙丈ヶ岳

2012年01月25日 | 長野県駒ヶ根市の城址
別名:
築城:南北朝~
築城者:赤須氏
現状:山林、耕作地ほか
遺構:空堀、土塁、郭
状態:良い
表示等:標柱、案内板
文化財指定:駒ヶ根市史跡
駐車場:あり

国道153号線伊南バイパス、ふれあいセンター西交差点を東に向かいます。
700m程先の丁字路を左折し直ぐの信号を右折して東の段丘先を目指します。
住宅地が終わって畑地が両側に開けた辺からが城址となります。

本郭、二の郭はマレットゴルフ場になり、道が中程を突っ切ってしまっていますが堀跡、土塁は比較的良く残っていると思います。

東端の出郭より空堀(道路)を挟んで本郭を見る。

遺構は雪が無い方がよくわかります。
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中込城(長野県上伊那郡箕輪町)

2012年01月23日 | 長野県箕輪町の城址

馬場城から向かいます。
道脇の駐車場から第一運動場の北側の道を100mほど東に登った所で北側の沢に下って行く道がありましたので沢に下ってみます。

道は北側段丘へと再び登って行きますので辿ってみます。
段丘上は以前は耕作されていたと思われますが、現在は笹に覆われた荒地となって
いました。

さてここまでは間違っていない筈なのですが。

段丘上を北西の端まで向かってみました、数段の平削地になってはいましたが、有るかもしれないと思っていた空堀跡はみつけられませんでした。
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馬場城(長野県上伊那郡箕輪町)

2012年01月23日 | 長野県箕輪町の城址
現在は馬場原公園になってしまったので遺構等は全く残っていないようです。
位置的には北側の第一運動場の辺でしょうか。

この上に第一運動場があります。

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赤須城址より駒ケ岳を望む

2012年01月21日 | Weblog
筈だったのですが、寒々とした風景の先の雲間にわずかに中央アルプスの山並みが
見えたのみでした。
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棚木城(長野県上伊那郡南箕輪村)

2012年01月19日 | 長野県南箕輪村の城址
別名:
築城:室町期~
築城者:棚木氏
現状:住宅地、耕作地
遺構:空堀跡
状態:不良
表示等:標柱
文化財指定:なし
駐車場:なし

国道153号線の木下南部の信号交差点を西に入り旧道を南下します。
800m程の所に「久保」のバス停があり右に段丘上へ上がる細い道がありますので登って行きます。登り切った辺で道が右へ折れますがその右側が城跡となります。

畑地に棚木城跡の標柱が建っていました。
道は空堀跡となります。
城は北側に突き出した段丘の先端、東西は段丘崖と沢筋を利用した自然の堀となり南側に空堀を築いた単郭の簡単な造りのようです。

空堀、右側が本郭。
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中込城(長野県上伊那郡南箕輪村)

2012年01月19日 | 長野県南箕輪村の城址
別名:
築城:室町期~
築城者:不明
現状:住宅地、耕作地
遺構:不明
状態:
表示等:なし
文化財指定:なし
駐車場:なし

国道153号線の塩ノ井信号交差点の北西の段丘上が城址となります。

段丘下から登って行く道があるのですが、かなり狭いので段丘上の県営住宅側から向かいます。中込公民館を右手に見てすぐの左手に沢筋からの切れ込みがありますので、この辺に空堀が南北に走っていたと思われます。
更に東側にも空堀があったようですが場所は判然としません。

段丘の先端まで進むと広場で道は行き止まりとなります。
この広場の辺りが本郭跡となります。北側の段丘下から登って来た道は空堀跡でしょうか。
城址は住宅地となり遺構は全く残っていないようです。

この辺りに二本目の空堀か?
右が広場への行き止まりの道、正面は段丘下から上がって来た道。

段丘先端の広場、本郭跡の筈ですが何も無いです。
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内城(長野県上伊那郡南箕輪村)

2012年01月17日 | 長野県南箕輪村の城址
別名:
築城:室町期~
築城者:近藤氏
現状:住宅地、畑地、等
遺構:不明
状態:
表示等:標柱
文化財指定:なし
駐車場:なし

国道153号線は双葉町の信号機を過ぎると大きく弧を描きながら北西へと進路を変え坂道を登って伊那市から南箕輪村へと入って行きます。
城址はその北側、JR飯田線西側の段丘上にあります。

双葉町の信号機交差点を左折してショッピングセンター裏手を北に進みます。国道下を潜って300mほど進み左手の段丘上に上がる道へと入ります。道は空堀跡を通って上段へ、Y字路を左へ進むと左手に「内城跡」の標柱があります。

郭は東側が天竜川の段丘、北側に空堀、西側は小中井沢川を利用した自然堀が南側へと続きます。

北東より望む。

北側空堀跡。

郭南側、空堀跡の様に見えなくも無い。
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一夜の城(伊那市)の遺構消滅か

2012年01月17日 | Weblog
信濃毎日新聞(1月14日付)で報道されていましたが、道路拡張の為一部取り
壊しの話が出ている模様。

確かに東側の道路部分は狭く通行に支障が出るだろう事は理解できるのだが。
一部取り壊しといっても道路拡張となれば、虎口のある東側の土塁はほぼ全て
が取り壊されるだろうことは想像に難くないわけで。
この東側部分が最も遺構として残っている箇所ということを思えば非常に残念
というほかない。

「信長公記」にある、天正十年織田信忠の軍が高遠城攻略の陣を敷いた貝沼、
がこの一夜の城であり後世に残すべき文化財だと思うのですが。


確かに拡幅するとすれば左手の土塁を取り除くしかないのだが。

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