城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

龍江城山城(長野県飯田市)

2017年12月14日 | 長野県飯田市の城址
対岸の竜丘地区からみた龍江地区方面。


龍江地区、池の平の北西に張り出した辺りが城山と呼ばれ、遺構が見られます。
上城の兎城と同じ桃井氏の城で神之峰城の出城と考えられるているようです。

天竜川に架かる天竜橋を渡り竜東へ、県道1号線から県道237号線を経て某農事組合法人のある付近を目指す。

急登の坂道を上がりきり左折、某農事組合法人の敷地を左右に見ながら進み、
再び下りに差し掛かる辺り、城跡の雰囲気がする場所が見える。
道路左側部分、窪んだように見える部分が空堀の跡のようである。

近づいて堀跡を北側から見る。

右側が郭跡。

堀跡から郭内を見る。

南側から見た堀跡。

一旦道路側に戻り郭に沿って下ると二段の切岸となった部分が見える。

下の段の平場まで登る。帯郭と思われる。

西側の先端下は深い。

南側にも郭に沿って下側に平場が巡っているように見える。

郭内から見る南側堀跡部分。

西側下から郭を見上げる。


現状:耕作地跡
遺構:郭、堀跡
状態:僅かに遺構が残る
表示等:なし
駐車場:なし

参考文献
「図解 山城探訪 第七集 下伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「龍江城・龍江阿高遺跡発掘調査報告書」(飯田市教育委員会刊)

伝平城 (長野県飯田市)

2017年02月02日 | 長野県飯田市の城址
飯田市川路に伝平城と呼ばれる場所があるようなので見に出掛ける。

飯田市の埋蔵文化財地図でみると、伝平城古墳で載っている所が城跡のようである。
小さな尾根が南側に突き出した場所で、伝承のみで史料等はなく、北側の水道施設と南側の古墳との間を通る道路が堀切の跡と伝わる。

国道151号線から北側に入りさらに山際の細い道を辿り古墳へ。
中央に堀切跡の道、左が水道施設、そして右側に郭跡(古墳)。

郭跡、奥の小高い部分が古墳のようだ。

近づく。
古墳上の南側は墓地のようだ。

郭を南側に入り先端部へ。
段差があるも耕作跡か。

北側を振り返る。

古墳部分の北側に碑が見えたので近づいて見る。

「愛宕大神」「傅平城大神」を祀る碑。

郭西側。

郭北側。


遺構:堀切跡
表示等:「傅平城大神」碑





老ノ屋布城 付近(長野県飯田市)

2015年12月23日 | 長野県飯田市の城址
飯田市の埋蔵文化財地図に拠れば、天竜川の左岸、塩田沢川の南側段丘上が城跡となる。
塩田沢川をはさんで北東の兎城城跡とは500m程の距離である。

しかし謎の城跡です。
2012年に伊那市で催された「長野県の城絵図展」の資料目録で
「信州伊奈郡老ノ屋布城 四ケ城図四枚ノ内」の絵図によって
日の目を見る事となったように思われます。

絵図の中にある地名、地形等は確かに龍江のこの地に間違いないようなので取り敢えず付近を散策してみました。

龍江公民館から見る北側の城跡方向。

道路に沿って段丘上へ。
右側から緩斜面となって左側は空堀状に見える。

北側へ少し進むと広庭農園さんの果樹園に着く。
絵図にも、一面畑 今此辺ヲヒロニワト云、とある。

さらに北へ。道路から西側へ入る細道があり少し入り込む。
住宅地の中、西側に下る細道付近。

細道は堀状の窪みを西側へ下って行く。絵図にある堀跡か?

道路に戻って再び北側へ進む、分岐を右手にとると段丘北側端。
左側が本丸の辺りになるのだろか。

分岐に戻って左手の道路は西側へ緩く下って行く。
本丸と思われる辺りを南側から見る。
おいの藪、とはこの辺りのことか?

道路は大きく曲がって南へ向きを変える。
対岸がよく見える。

道路が向きを変える辺り。南側を見る。

南側に進んで北側を振り返る。

城跡北側の段丘下、塩田沢川沿いから城跡を見上げる。

絵図にある堀跡はこの辺りか。

地理院地図で場所を確認。
龍江公民館はココ
広庭農園はココ
おいの藪?はココ






姫宮城(長野県飯田市)

2015年12月13日 | 長野県飯田市の城址
飯田市の埋蔵文化財地図に拠れば、麦ツキ平から北側ののろし台までが城跡の
範囲指定となっています。

のろし台に土塁、堀切、南側に曲輪と思われる平地がみられます。

城跡へは野底山森林公園から遊歩道が巡っていますのでそれを辿ります。

公園駐車場からかえる橋を渡りマレットゴルフ場へ。


四阿の北側から遊歩道に入り道は直ぐに登りになる。
分岐ごとに標識があります。


20分ほどで登りが終わり麦ツキ平に到着。


のろし台の小屋番がここに小屋掛けし耕作していたので麦ツキ平と呼ばれたそうです。


取り敢えず見張台方向に進むも潰れた四阿跡?の場所で道を失う。見晴らしは無い。


遊歩道に戻り平らな尾根を数分進むとのろし台が見えてきました。


のろし台へ。


のろし台下、南側から西側へかけて平地があります。


のろし台を登った所にも平地。


一段高くなってのろし台に到着。


土塁は東側の一部と北側に残ります。

北側の土塁。

土塁北側下は堀切が築かれています。


堀底。


北側からのろし台を眺める。

きれいな茶臼形です。

木立に遮られ眺望はほとんど利きませんが、のろし台下の遊歩道から南東側が少しだけ
望めました。

中央右側に神之峰。


所在地:長野県飯田市上郷黒田
現状:公園、山林等
遺構:曲輪、土塁、堀切
状態:遺構が残ります
表示等:あり
駐車場:野底山森林公園駐車場

西平城(長野県飯田市)

2015年11月01日 | 長野県飯田市の城址
現状:山林
遺構:曲輪、堀切
表示等:「西平城跡」の案内板
駐車場:なし

山本西平の浄玄寺北西側の山頂に遺構が残ります。
久米ヶ城を中心とした小笠原氏関連の城跡ではと考えられているようです。

遺構は、山頂に土塁の残る主郭を中心に、搦め手と思われる北側に続く尾根に二重の堀切、北東、南東、南側に下るそれぞれの尾根上に幾つもの曲輪と堀切、東側斜面上に複数の帯曲輪、等が残ります。


国道153号線「二ツ山」の交差点から西側へ入り、すぐ左折、500m程先の広域農道(西部山麓線)との丁字路を左折、しばらく走行すると右手に浄玄寺とその南側下に「西平城跡」の案内板が見つかりました。

案内の矢印に従って細道を上がり、浄玄寺西側の墓地脇の「西平城跡」の案内板に従って尾根を登ります。

尾根は細くなったり広くなったりしながら続く、途中堀切状の浅い窪みも見える。

登り始めて15分程、崩れた祠をみる。
この先からはっきりとした城跡の遺構が見られます。

堀切と少し急な尾根。

登ると北側に派生する尾根上にも曲輪の痕跡が。

見上げると曲輪と堀切、そして頂上が近い。

山頂の南東側下から見上げる。
右側に主郭、堀を挟んで左側が南の曲輪。

道にそってまず南の曲輪へ上がり北側を見る。
正面、堀とその奥が主郭。

南側の尾根を見下ろす。
画像では確認しづらいですが、下ってゆく尾根上に複数の曲輪が築かれています。
下ってみましたが倒木や下草で歩きづらく見辛いです。

主郭。
南北に長く、南 北 西の三方に僅かに土塁が残ります。
中央東側に石積みの残る窪みがありますが、後世の神社跡に思われます。

主郭から見下ろす搦め手、北側尾根上の二重の堀切。

この尾根上にはさらに北側にもう一条の堀切がみられます。

主郭から見下ろす北東側尾根。
こちらも複数の曲輪が続きます。

十数段の曲輪を見ながら下ると堀切があり段曲輪もここまでのようです。

北東側、南東側尾根に挟まれた東側斜面上にも複数の帯曲輪が残ります。

遺構がよく残り去り難い城跡でした。

(画像及び記事は2015年05月に訪れた時のものです。)

嵯峨坂砦(長野県飯田市)

2015年07月28日 | 長野県飯田市の城址

現状:耕作地、山林等
遺構:
状態:
表示等:さが坂砦跡碑
駐車場:なし

神之峰城関連の砦跡と思われますが詳細不明。
碑が有ると云うことで見に行く。

嵯峨坂地籍、東西に細長い尾根状の地形。
東側から進む。

堀切を設けるならこの辺りが良さそう。

三峯神社の脇を通って。

土塁を盛るならこんな感じか。

少し開けた場所。

果樹園の中に見つける。

南側には神之峰を望む。

西側に進むと窪みが。

空堀だったのかと想像してみる。

浅間砦 付近(長野県飯田市)

2015年06月22日 | 長野県飯田市の城址
所在地:長野県飯田市座光寺唐沢
現状:山林、耕作地等
遺構:不明
状態:
表示等:あり
駐車場:なし

いつ頃、誰が築いたのかは不明。
上野南本城の西側、西ノ沢川と土曽川に挟まれた段丘端にあります。

広域農道沿いの看板が気になっていたので訪れてみました。

農道から180m程南に入ると交差点にまた案内板があります。


私道のようですが、取り敢えず進みます。


果樹園のようです。


奥まで進むと浅間砦の解説の書かれた看板が立てられていました。


再び、交差点まで戻って、東側の道を下の段まで下ってみます。

左側が浅間砦のある段丘端下。


南側下、土曽川沿いJR軌道下付近から。

左側が浅間砦、右側が上野南本城。


切石城(長野県飯田市)

2015年04月29日 | 長野県飯田市の城址
現状:山林
遺構:郭、空堀、切岸
状態:遺構が残ります
表示等:なし
駐車場:妙琴公園駐車場

松川と闇沢川が合流する辺り、妙琴公園西側の標高755mの山頂が城跡となります。
尾根上を辿れば笠松山を経て大平や清内路へ抜けられます。
小笠原氏が物見又は狼煙台として利用したのでは、と考えられているようです。

付近を通る登山道とかも無いようなので訪問を躊躇していたのですが、最近、妙琴公園から笠松山へ登られた方のログを拝見しまして、そのコース上でしたので訪れてみました。

駐車場脇の林道ゲートから出発。

林道から降りて闇沢川を渡る。
この日はなんとか飛び越えられる川幅。

尾根に取り付き少し進む、直ぐに東側からの尾根との合流点に到着、
そこから南へ一旦下る。

下った鞍部からこれから進む尾根を望む。

鞍部から急尾根を登ると平場のある小ピークに到着。
平場になっているだけですが、主郭西側の備えから考えるとこちらも鞍部からの急尾根
となっており出郭のように感じられます。

小ピークを過ぎ北西へ、再び急尾根を登る、尾根が向きを変える辺りで少し平らに。
奥に切岸を見る。

切岸を上がると狭い平場とその先に少しの高みがあり細尾根へと続く。


30m程進むと尾根幅が少し広がり、浅めの空堀に出合う。

空堀を越え一段上がると平場とその先に山頂の主郭を見る。

山頂の主郭。

山頂の郭から南西側は急尾根が20m程下っており、
自然地形をそのまま背後の備えとしたと思われます。

主郭の北東側の10m程下にも平場と切岸が見られました。













上野南本城(長野県飯田市)

2014年04月05日 | 長野県飯田市の城址
現状:山林
遺構:郭、土塁、空堀等
状態:よく残っています
表示等:あり
駐車場:麻績神社駐車場利用

麻績神社の北側の山中に遺構がよく残っています。
遊歩道が整備されており見学も容易です。
並木沢をはさんで東側には上野北本城跡もあります。
築城時期、城主については諸説あるようです。

遺構は主郭を中心に尾根上に複数の曲輪と土塁、空堀が複雑に配されていて
非常に見応えがあります。
天竜川沿いに南北に続く段丘上には多くの城跡が残りますが、行政府を兼ねたであろうそれらの城と比べると明らかに違っていて、戦の為の城であることが感じられます。

今回は、麻績神社-古賀比神社-古賀比神社跡-主郭北側堀底ー主郭、と遊歩道を辿る軽い散策コースです。

軽トラの後ろの古賀比神社参道を登ります。
左側は麻績神社の拝殿に続く階段。

右側に登るとすぐに古賀比神社。
曲輪跡のように思われます。

古賀比神社右側から山腹を進むと階段が。

登り切ると古賀比神社跡に出ました。
こちらも曲輪跡のようです。

神社跡の背後の堀底道を登ると北の郭との分岐が見えてきました。

分岐から見た北の郭方向。
正面の左の道を進むと馬出しを経て城跡解説板の立つ広域農道の側に出ます。

北の郭にも土塁がみられます。
北の郭も単郭ではなく複数の曲輪がありますが今回は割愛。

分岐を左側に進むと主郭西側下の帯曲輪へ。
二段になっています。

上段から見上げた主郭虎口。

虎口から見る土塁と主郭内部。

主郭内部から虎口方向。

時間が無く今回はこのまま麻績神社へ戻りました。

小林城 城山(長野県飯田市)

2013年12月11日 | 長野県飯田市の城址
南側の成田不動尊そばから。中央が城山。

現状:耕作地、山林等
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

「長野県の中世城館跡-分布調査報告書-」に拠れば、
連郭式の城で遺構として主郭、出郭、腰郭、空堀、土塁が残る、
となっていましたので訪れてみました。

知久平城跡から南側にいったん下って城山の東側から上部へ。
城山南側、細く括れていますので尾根の鞍部で堀切があったとも考えられます。

北側に少し進んだ所。土塁の名残りとも思えます。

更に進んで、北側先端方向。耕作地と墓地になっています。

今回訪れた城山には、はっきりとした遺構は見つけられませんでした。