城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

豊久保砦(長野県箕輪町)

2016年03月28日 | 長野県箕輪町の城址
日輪寺畑から見上げる豊久保砦。


上の平城跡の北方700m程、小式部城山から南に下る尾根上に、土塁の残る郭とその北側に二条の堀切が見られました。

城跡に関する史料等は無く位置関係から上の平城の関連の城跡と考えられているようです。

日輪寺畑周回の途中、西側の登り口から丸太の階段を登る。

3分程登れば尾根上の分岐。

分岐から見上げる豊久保砦方向。

登る途中に、御嶽座王大権現、の碑を見る。

さらに少し登ると、豊久保、に到着。

郭内、表示板とその奥(北側)に土塁。

土塁上から見る北側の堀切。

堀切を越え、振り返って見る堀切と土塁。

さらに北側に堀切があるようなので進むも、背丈を越える笹ヤブ。
かき分け進む。

少し歩くと堀切らしき窪みを発見、写真に写ったのはただの笹ヤブですが、
降りて見れば確かに堀切でした。

再び郭まで戻って、登ってきた南側尾根を見下ろす。
御嶽座王大権現の碑のある付近が少し平になっているようにも見える。


現状:山林
遺構:郭、堀切
表示等:豊久保(山城跡)の表示版
駐車場:あり

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帰路に富士塚を見て戻る。

山頂に「木花咲耶姫神」碑。



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日輪寺畑 - 洞田 - (長野県箕輪町)

2016年03月27日 | 長野県箕輪町の城址
上の平城跡から北東に500m程、日輪寺の西側の高台が居館跡と伝えられ、
上の平にあった知久氏関連の館跡と考えられているようである。

知久沢川と梨久保川に挟まれた場所で、南西側と北東側に僅かに空堀の
痕跡が残る。

付近は案内板が随所にあり、日輪寺、洞田、上の平城、豊久保、浅間様などを
巡るウォーキングコースとなっています。

今回は日輪寺前の駐車場から向かいました。

参道から見る洞田北東側。
小屋の後に空堀の痕跡。

同じく洞田南側。
左側に空堀の痕跡。

段上に登り近づく。

北東側の一段上から。

北東側の空堀の痕跡。

案内板に従って西側の梨久保川沿いへ。

西側からみる洞田。

道沿いに南へ下ってから東側を登り返し戻る。
道を左へ登った所が洞田、道奥を右側へ登ると日輪寺。

日輪寺参道脇の自然公園、芝桜の頃が良さそうである。

上の平城跡から見る日輪寺畑と小式部城山。










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善福寺(長野県駒ヶ根市)

2016年03月26日 | 長野県駒ヶ根市の城址
東伊那大久保の善福寺に館(城)跡との伝承があるということで訪れてみました。

善福寺は、至徳元年(1384年)に臨済寺として開山したのが始まりのようです。
館跡であったとの伝承のみで遺構等はありません。

旧道沿い、参道前。

50mほど進むと一段高くなる。

左(西)側脇に、廃寺となった光福寺から移転された六地蔵石幢。
上塩田の光福寺跡も塩田城の城主の館跡ではと考えられています。

向かう先に立派な石垣と本堂。

本堂のある上段へ上がる。
左右の石垣は造られた年代が違うようだ。

上段西側から境内を見る。

上段西側から南側を望む。

境内裏山の三十三観音は駒ヶ根市文化財に指定されています。


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京宗寺跡(長野県駒ヶ根市)

2016年03月23日 | 長野県駒ヶ根市の城址
現在、観音堂が建立されている所が寺跡で、京宗寺は昭和13年に
廃寺となったようです。

「伊那の古城」(篠田徳登著 ほおずき書籍刊)にて、中沢氏が最初に拠った城跡ではないか、と触れられていましたので訪れてみました。

原城跡の北側からつづく道を東側へと登って行くと気になる高みが見えてくる。

そして参道の手前に到着。
参道の両側には多くの石碑が見られます。

城とするには先ほどから気になる左側のこの辺りが良さそうである。

参道を登りきった先には観音堂。

左手に一段高く気になる平場を見る。


観音堂左側奥には天神様が祀られていました。

南側を見下ろす。





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岩間の狼煙台(長野県飯島町)

2016年03月15日 | 長野県飯島町の城址
岩間城跡付近から望む狼煙台。(中央の電柱背後の林の中)

岩間城跡から西へ300m程、本沢川沿いの段丘端に遺構が残ります。

郭内は階段状に狭い平場が数段、その周りを東、西、南側に空堀、北側を本沢川の谷で守っています。

岩間城跡から中央自動車道の下を潜る。
左側の段丘上が目指す狼煙台。(右側を進むと傘山登山口を経て岩間山城跡へ。)

中央自動車道に沿って南へ。
すぐ本沢川を越える。

さらに進んで右側の山中に「三熊野社跡」の標柱を見つけ登る。

北西側に笹をかき分けて登れば狼煙台ではあるが、

笹が湿っていてかなり濡れそうなので、今回は踏み跡のある正面を直登。

段丘上に上がると果樹園に入ってしまうので、その縁をつたって北側へ移動。
すぐに狼煙台の遺構が見える。

郭内に建つ標柱。

西側の空堀。

南側の空堀。

郭内の北東側から見下ろした東側の空堀。

東側の堀まで下り堀底を南へ。
南から東側を振り返ってみる。

郭の南東側から見る南側の空堀。

来た道を一旦戻り、本沢川沿いに登る。

北側から見た狼煙台
中央右側に西側の空堀が見える。

雪が強くなったので帰路に着く。


現状:山林等
遺構:郭、土塁、堀
状態:遺構が残ります
表示等:史跡 岩間の狼煙台跡、の標柱
駐車場:なし
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岩間城(長野県飯島町)

2016年03月14日 | 長野県飯島町の城址
北側より見る岩間城跡。(中央左側の住宅の建つ辺り)


「南信伊那史料 巻之上」に拠れば、

岩間氏ノ舘跡
仝村岩間耕地ニアリ應永二十年片桐中務少輔ノ三男(或記ニハ飯嶋氏ノ分流トモアリ)在名ヲ以テ家號トシ岩間兵部少輔此ニ居舘ヲ構ヘ居住・・・、

とある。

城跡は圃場整備等により地形も変わり遺構は何は無く、城跡と推定される場所付近に説明板が立てられていました。

駐車場所からこれから向かう東側を見る。
城跡は正面奥の鉄塔と住宅の建つ辺り。

宅地西側の耕作地に説明板が立てられています。


昭和54年に行われた発掘調査で、説明板の辺りを奥方向(南側)に伸びる堀跡が見つかっています。

鉄塔の辺りで昔の段丘は向きを変えていたようなので、城域もこの辺りまでか。

来た方向(西側)を振り返って。
現在は道路の北側で一段低くなっていますが、往時の段丘端は住宅脇の一段低くなった石垣のある辺りのようである、現在の部分道路は盛ったものと思われる。

駐車場所まで戻り、今度は南側へ。
城跡は左側。

雪が舞い始めたので、急ぎ次の目的地、岩間狼煙台へ向かう。

現状:宅地、耕作地等
遺構:なし
状態:
表示等:史跡 岩間城跡、の説明板
駐車場:なし
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駒ヶ根高原のザゼンソウ

2016年03月13日 | Weblog
今年も少し早めですが見ることが出来ました。





ミズバショウはもう少し先のよう。


大沼湖は堤の改修も終わって水が貯まり始めています。


カモも戻ってきました。

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守屋山城(南尾根から東尾根へ)

2016年03月07日 | Weblog
守屋山城(長野県伊那市)の記事からのつづきです。

守屋山城主郭から南側尾根にも多くの遺構が見られます。

主郭からこれから進む南側を見下ろす。


尾根の東西は急斜面。


いくつもの郭と堀切を見ながら下って行く。


だんだん郭と堀切の間隔が短くなる。


そして段差も低くなり階段状に。


そして、尾根は急な下りとなる。


「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)では、
ここまでが城跡として図面化されています。

さらに下に古道があるようなので下ってみました。

下って行くと尾根と古道が合流します。


尾根上の古道は、人が歩いて自然に削れた以上に尾根の中ほどをM字状に深く通っています。

途中で鍵の手に折れているようにも見える。

南側の始まり部分。


そして続く南側は細尾根。


振り返って見る。


細尾根の先は狭いが小高くなった祠のある平場。




そして南側下に堀切状の地形。


下り近づく。

この先は立入り禁止となっていました。

M字状の尾根、細尾根、堀切と続き、この辺りまでが城域なのではと暫し妄想。
尾根との分岐まで古道を引き返す。

分岐からは尾根の東側を古道に沿ってトラバース。
少し開けた所で、白く光るのは高遠高校か、背後に長谷も見通せる。


画像では見づらいですが、竪堀と思われる痕跡が見える。


分岐する小さな尾根にも堀切が見られる。


古道はやがて東尾根と合流。
そこから東尾根上を西側の主郭へ戻る。

主郭に近づく辺りで一つ目の堀切。


そして主郭直下の二重の堀切。
堀底から主郭を見上げる。


主郭へは両手も動員して這い上がる。
そして見下ろした東側。


陽が傾いてきたので心地よい疲労感と共に帰路につく。






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守屋山城(長野県伊那市)

2016年03月06日 | 長野県伊那市の城址
伊那市と諏訪市の界、杖突峠の西側の守屋山は有名であるが、笠原のこちらも守屋山と呼ばれるらしい。

麓には笠原氏の蟻塚城跡があり、守屋山城もその笠原氏によって築かれたと
考えられている。

山頂に主郭が築かれ、主に南北に伸びる尾根上に多くの郭や堀切が残ります。
遺構は良く残り、見応えのあるとても素晴らしい城跡です。

蟻塚城跡から山頂主郭まで案内板が近年設置されたようなので、
今回はその案内板に沿って山頂まで辿りました。

国道361号線から北へ折れ、六道の堤の東側を抜けまず蟻塚城跡を目指す。
と或る春に、西側の六道の堤から望む守屋山(浮島の背後)。

御射山神社参道手前に駐車、参道を進む。

拝殿の裏側から空堀を越え一段上がると蟻塚城主郭。
正面の土塁の左側に「守屋山城」の案内板を見つける。

土塁背後。
防獣柵とその奥に「守屋山城」の案内板。

防獣柵の内側を案内に従って左側へ。
直ぐに案内板、山中へ踏み跡が続く。

踏み跡は薄く、途中から判らなくなる、白テープを目印に取り敢えず枯れた沢を上へ。
沢が詰まり目前に西尾根が迫る。
この西尾根上にも郭と堀切を見ることが出来ますが今回は割愛。

西尾根には登らず左側を見上げると案内板が見つかる。

案内板の所まで登り、矢印どうり左(北側)へトラバース。
この辺りから郭と思われる平場が見え始める。

再び上部に現れた案内板に従いさらに左(北側)へ進むと数段の階段状に郭。
案内板は上へ進めと矢印。

階段状の郭を数段登る。
今度の案内板は右(南側)へと矢印。

踏み跡は有るような無いような。尾根上は近そうである。

尾根上に案内板を見つける。
平場になっており郭であったようだ。

案内板の矢印は右(南側)であるが、ここは少し逆らって左へ。
平場の端から北側へ伸びる尾根上に堀切と郭を見ることが出来ます。

案内板まで戻り南側へ進む。
画像では判りづらいですが、平場は階段上になっていて僅かづつ登って行きます。

20m程で正面に一段高く郭。

郭に上がとすぐ南側に堀切と郭。

こちらの郭は南側に少し長い。

進んで行くと堀切と主郭が見えてきた。

主郭へ到着。
左側に土塁。

主郭内は南北と東側に土塁が残ります。

主郭北東隅に祠と二つに幹の別れた松の木、そして守屋山城の標識。


木立の間に西側を望む。

さて、案内板はここまでで終わります。
しかし遺構はここから南側の尾根上にも多く見られるので当然ではあるが南へ下ることに。

まず、郭や堀切を見つつ古道まで下り、古道にそって尾根の東を竪堀等を見ながら回って行く。
やがて道は東側尾根上へ出る。
そこから東側尾根上の遺構を見学、西側の主郭まで戻って今回の見学を終了としました。


現状:山林
遺構:郭、土塁、堀切等
状態:遺構がよく残ります













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