城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

上島氏館 付近(長野県伊那市長谷)

2014年10月13日 | 長野県伊那市の城址
現状:美和ダム
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:美和ダム駐車場

非持の領主、上島氏3代70余年の館跡と伝えられる場所です。
その後、保科氏の国替えにより会津へと移っていったそうです。

美和ダムの建設等で地形も変わっていますがこの辺りのようです。
美和ダム駐車場から北側を見る。

西側を下ってダムの見学路があります。

西側下より望む。館跡は中央の鉄塔辺り。右側はダム壁。

館跡下段を通る秋葉街道。

北側から見る。

桑田砦 付近(長野県伊那市長谷)

2014年10月12日 | 長野県伊那市の城址
現状:耕作地等
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

大徳王寺城址の案内板に載っていましたので訪れてみました。
圃場整備事業によって地形も変わり、遺構も残ってはいません。
地名から城跡があったのではと考えられているようです。

南側から。

春に訪れたい、桑田薬師堂の枝垂れ桜。

北東側から。

南東側から。





大徳王寺城址 石碑(長野県伊那市長谷)

2014年10月11日 | 長野県伊那市の城址

先日、石碑が建立されたとのことで、久しぶりに周辺を散策してみました。

鎌倉幕府滅亡後、鎌倉奪還を目指し南朝方についた北条時行と、北朝方の信濃守護小笠原定宗の軍との間の4ヶ月に及ぶ戦い、大徳王寺城の戦い、の比定地とされる場所です。

城域は広く、上ノ城から下ノ城の辺りを中心に南北に砦を設け、地域全体が要塞化していたと考えられているようです。

案内に従って脇道へ。

立小路を上がって行きます、正面が上城。

再び案内があり、左へ入ります。

すぐに今回建立された石碑が見えました。(右側の案内板は2年程前に建てられたものです。)

西側より。
碑の背後、一段高くなった場所が丸山(六角城)。

北側から見る丸山。

丸山上部。

東側から。

背後の御殿山。

南東側、上垣外付近から見る上城、丸山方面。

羽場の城 付近(長野県伊那市)

2014年10月05日 | 長野県伊那市の城址
現状:宅地、耕作地、山林
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

火山峠から県道を伊那市側へ。下りきった所を東に入った辺りが城跡となります。
ここから北に進むと道沿いに城跡が続くので、時間に余裕が有る時には度々通ります。

さらに暇があったと或日に少し散策してみました。
館跡と城山からなる城跡ですが、城山は半分が削られて無くなっています。

南側から。
ビニールハウス背後の一段高く見える住宅から右側にかけてが城跡。

西側。左手から上がってみました。

途中。

平坦部、正面に城山があったようです。

山側に道が続きます。

城山の残り部分が見えてきました。

少し進んで城山部分を振り返ってみますが、とくに堀切が有るようには見えません。

道は北東側に尾根を割って続きます。この部分が城山と尾根を分ける東側の堀切と思われます。

戻って館跡を北側から見る。