城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

田切関所跡(長野県飯島町)

2016年02月28日 | 長野県飯島町の城址
国道153号は駒ヶ根市から中田切川越え飯島町に入ると東側へ折れ段丘上へ
登って行く。
その途中、左手に薬師堂跡の標柱が見える辺りの下側が、武田信玄が設けた
関所跡のあった場所のようである。

現在、国道の下側と旧道の小路との間に僅かに梅の植えられた畑地がありその
付近と思われる。

北側の、関の地蔵尊の標柱に、
関の地蔵尊の「関」とは、隣接していた田切関所を指し・・・、
とある。

田切駅西側にある聖徳寺の駐車場の片隅が町営駐車場となっているのでそこから周辺を散策。

国道を横断して下側へ。

旧道の分岐まで進むと東側がよく見通せる。
建設中の国道バイパスの橋柱とその向こうに吉瀬の城山、奥は戸倉山。

旧道の小道に入ると左手に梅の植えられた畑がある。
関所はこの辺りから北側にあったのだろう。

梅の花を眺めながら進む。

そして地蔵尊に到着。

スマートフォンは逆光に弱い。

標柱。

古い石段の向こうが関所だったのだろう。

野良道を国道まで登り、梅の畑を見下ろす。

国道傍の、薬師堂跡の標柱を見て戻る。


現状:畑地
遺構:なし
状態:
表示等:関の地蔵尊の標柱
駐車地:田切駅町営駐車場


・・・・・
駐車場へ戻る途中、懐かしかったので旧田切駅跡地へ寄る。

カーブ上にあった為か、電車とホームの間が異常に広かったように記憶している。

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田切城(長野県飯島町)

2016年02月27日 | 長野県飯島町の城址
東側の傘山からみる田切城跡付近。


城跡は田切体育館(田切分校跡)の北西側の辺りで、郭部分に僅かに土塁跡
が見られました。

中田切川に削られた段丘上は川に沿う形で北側の段丘端が小高く、駒ヶ根側
へ抜ける道はいずれも切通しとなって北へ続いている。

国道153号線で駒ヶ根市から中田切川を越え、関所跡の上を通って段丘上へ。
田切駅東の交差点手前を左折して東に進むと程なく左側に体育館がある。

ここから城跡周辺を歩く。
体育館駐車場から北西方向。奥に一段高く公民館の敷地。

公民館から北西側。
さらに一段高くなり、住宅、会社等が建つ。

住宅、会社等を北西に抜けた辺りから南東側を振り返る。

住宅の切れた辺り、奥に向かって堀切があったようです。
正面を登った右側が主郭。

主郭西側には僅かに土塁が残ります。

主郭内。

主郭北側。
城跡北側の段丘端は農業用水路を通す為に削られています。

用水路の石垣やコンクリートで補強された所は堀切の痕跡かもしれません。

主郭西の辺りの石垣。

主郭東側のコンクリート部分。

城跡を南側から見る。
中央右に体育館、城跡は体育館から左側の部分。


現状:山林、宅地等
遺構:土塁跡
表示等:なし
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駒ヶ根高原 大沼湖にて

2016年02月24日 | Weblog
福寿草が咲き始めたらしいとのことで大沼湖を歩く。
元々農業用のため池なので湖といっても一周しても10分ほど。





ザゼンソウは芽吹いたばかり。


大沼湖は改修工事で水抜き中。



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月誉平(長野県飯島町)

2016年02月21日 | 長野県飯島町の城址
西側の傘山から望む、月誉平。


県道18号線を駒ヶ根市吉瀬から吉瀬田切大橋で天竜川を越えると左手前方に
テ-ブルマウンテン状の丘陵が見える。

月誉平と呼ばれる丘陵上はまっ平で現在は一面の栗園となっています。
とくに遺構が残っているわけではないようですが、のろし台の伝承があるということで訪ねてみました。

今回は北西側の天竜川地域伝承館から徒歩で向かう。

南側に進み段丘を一段上がると、月誉平、の表示、案内に従って東へ。

正面に月誉平。

送電線の付近で視界が開ける。
西側を振り返って中央アルプスを望む。

歩き始めて7分程で丘陵上に到着。

中に進んでゲート付近から、
北側を見る。

東側。

南側。

そして西側。

中央に見える鉄塔方向に向かう。

「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)では
のろし台があったとすれば、この鉄塔付近ではと推察されています。

北側には祠が祀られていました。

帰路は昔からの道をお堂まで下る。



現状:耕作地
遺構:なし
状態:
表示等:行先を示す案内板あり
駐車場:
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六ツ塚城 付近(長野県伊那市)

2016年02月14日 | 長野県伊那市の城址
県道19号線で伊那市から箕輪町へ入ろうとする直前の東側、瀬沢川の南側の段丘上に
六ツ塚城があったと伝えられています。

遺構は無く、段丘上の何処にどのような城が築かれていたのかは不明。
取り敢えず付近を散策してみました。

段丘上西側から東側方向を見る。

正面に浅間社城跡、春日城跡の残る山稜。

北側方向。

「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)では
この北側に城があったのではと推察されています。

北側に回り込んで南側を見る。


北側端は山林。


山林内に伸びる廃道。


廃道の右側(東側)に平地。


段丘端から箕輪町(北側)方向を見る。


西側は緩やかな傾斜地、以前は耕作地だったようでこちらにも平地が見られる。


西側へ下ってみるとこちらにも廃道が堀状に残る。


傾斜地下側の平地。ここも耕作地跡のようだ。
西側は急傾斜となり。下は県道19号線のある段丘。


少し見晴らしが効く。

天竜川を挟んで、倉田城、有賀の城跡等の残る段丘を望む。

南側から延びてきていた作業道を戻る。
振り返って一瞥。



所在地:長野県伊那市福島
現状:山林、耕作地。
遺構:なし
状態:
表示等:なし
駐車場:なし
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射殿城(長野県駒ヶ根市)

2016年02月02日 | 長野県駒ヶ根市の城址
大城から道沿いに500m程南下し如来寺川を越える辺り、西側が少し高くなった所が射殿場の遺跡となる。

東側、西側、南側の三辺に土塁跡が残り城館跡と考えられているようです。

北東側から遺構の残る山林を見る。
手前が如来寺川。

北西側から。

近づいて一段上がる。
林の手前に僅かに堀跡が残る。

山林内、南側の土塁跡。

西側、耕作地との間にも僅かに堀跡が見られました。


現状:山林、墓地等
遺構:土塁
状態:
表示等:なし
駐車場:なし
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