城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

飯島城 古城編(長野県飯島町)

2020年11月29日 | 長野県飯島町の城址
飯島町の南、子生沢と相の沢に挾まれた段丘上に位置します。
飯島氏は鎌倉時代以降400年にわたって子生沢から中田切川までの飯島全域に勢力を張った氏族で、飯島城はその本拠となった城です。ただ築かれた年代等不明な点も多いようです。

城域が広い為まずは、古町(ふるまち)、古城(ふるじょう)、城山(しろやま)部分を巡りました。

※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。まだ国道の本郷交差点がありませんが、登城部分は木が伐採された後で形が良く分かります。
※クリックすると拡大します。

国道153号線本郷の交差点から西へ入り旧道を南側へ向い、相の沢を過ぎる辺りから、丸囲み数字順に歩きました(写真は2016年当時)。

1.相の沢を越える辺り、正面が相の沢。右側の高みが馬場屋敷。

2.堀状の窪み、左側が馬場屋敷。


3.西側に本城を見上げる。

同、東側の陣の垣外方向を見る、左側に陣馬形山。

4.東側、陣の垣外へ向う。

5.堀跡

6.左側が陣の垣外。

同、国道を挟んで古城方面を見下ろす。

7.古城の段丘へと下りながら振り返って見る。

8.堀切脇から古町の段丘を見る。

9.堀切南側。左が古城。

同、堀切北側、かなり埋められている。

10.堀切北端、堀はかなり深かったと思われる。


11.堀切を振り返って見る。手前が古城。


12.古城久保の大堀切を見る。

13.堀切に下りる前に南側を見に行く。

14.堀切底から、北側。

同、南側。

15.城山へ、正面から奥に向かって藪化していますが道があります。

16.登る途中に解説板が隠れていました。

17.城山上はほぼ平ら

18.東側奥に祠が祀られています。

同、樹木に邪魔され視界は利きません、わずかに天竜川が見えます。

同、北側の急崖

19.城山を後に帰り道、相の沢(十王堂沢川)を越える辺り。


20.北側段丘に渡り、松葉の城方向をみる。

21.相の沢沿いに登る、左側が城跡。

22.相の沢を作った今の河川(十王堂沢川)は正面から流れてきていますが、城があった頃は左側から流れてきて、影になっている部分も沢になっていたようです。

飯島城 登城編へつづく。

所在地:長野県上伊那郡飯島町本郷
現状:宅地、耕作地等
遺構:郭、堀切等
状態:遺構が残ります
表示等:あり
駐車場:なし(旧道の城跡南側か相の沢の手前に駐車余地あり)
参考文献:「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
    :県営県単農道整備事業 本郷地区埋蔵文化財発掘調査報告書(2000 上伊那地方事務所 飯島町教育委員会)
 

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船山城 船山編(長野県中川村)

2020年11月27日 | 長野県中川村の城址
船山城跡は町村境にあり城畑部分が松川町、出丸部分が中川村になります。
2016年に訪れた船山城 城畑編(長野県松川町)からの続きです。
今回の船山編は城畑の東端、防獣柵から先の出丸部分です。
この出丸部分に築かれた城が船の形に見えることから船山城と呼ばれたようで、最初に築かれた船山城はこの出丸部分ではと考えられています。

今回は東側下の国道153号線脇から登ってみました。

車を耕作地側(東側)に停めて国道を西側へ横断、標柱と解説板と小道を挟んで絵図と東屋があります。


登城口は分かり難いですが、東屋の裏の斜面を上がって行くようです。
広めの道がこの先の個人宅に入る場所にあるのですが、地権者の了解が得られなかったのか斜面上をプラの足場を頼りに登る細道が造られていました。


竹やぶの上でその広めの道と合流して登って行きます。
途中分岐があります、真っすぐに進むと城畑と出丸の間の堀切に出られたと思います。
今回は左に曲がって登ります。


すぐに堀切が上部に見えます。

この先、道は細く急登となります。
以前は落ち葉が滑りやすく登り難かったのですが、今回はこちらもプラの足場が埋め込まれていて安心して登れました。


登城口から7分ほど、あと一息。


郭内東側。
船山稲荷と標柱、解説板が見えます。

西側先端方向。

それでは稲荷社に参拝してから城畑方向(西側)へと向いましょう。

社は土塁上に建てられていて裏側には、登る途中で見上げた堀切があります。

堀切を越えて稲荷社方向を振り返る。

振り返って見た場所は少し高くなっていてその先も堀切状に少し低い。
そこに2016年には無かった東屋が建てられていました。


東屋を過ぎて進みます。
右側が少し高くなっています、土塁の跡でしょうか。

また堀切が見えてくる。
こちらは深そうです。


堀切底から次の郭へ上がる道らしいものが左右にある、以前は鉄パイプの梯子が取り付けられていたのですが撤去されたようです。
左は滑りそうなので右を上がります。
上がった郭から振り返って見る。

上がった郭はまた笹竹が茂り始めてきたようだ。

笹竹の間を抜けると出丸西端、こちらも土塁上に社が祀られています。

土塁裏、城畑との間の堀切も笹竹と雑草に覆われそうになっていた。

くっつき虫に注意しながら防獣柵まで。
鹿目線で城畑を伺う。

この後来た道を引き返しました。

所在地:長野県上伊那郡中川村南田島
現状:長野県史跡
遺構:郭、堀切等
表示等:あります
駐車場:なし(耕作地方面に路駐余地)
参考文献:「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)



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樋口内城(長野県辰野町)

2020年11月22日 | 長野県辰野町の城址
辰野町の荒神山の東側に在った城跡です。
圃場整備と中央自動車道の建設により地形まで変わってしまっていて、どのような城であったのかは不明、遺構等も何も残っていません。

そこで取り敢えず、国土地理院の航空写真で自動車道が出来る以前と見比べて見ました。
左側が1970年、右側が1991年の航空写真です。
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成)


白線で囲んだ部分が城跡のようです。
東側(右側)から張り出した段丘端に築かれていたのでしょう。
枠内中央に田んぼが左右に分かれる感じのラインが見える気がします、
もしかしたらこの部分に堀切があったかもしれません。
現在、城跡南側は段丘端の形を残していますが、西側と北側は見る影もありません。

以下は訪れてみた時の写真です。
丸囲み数字1から見た城跡(2019年02月)。


城跡内の自動車道と耕作地。(2012年10月)


南側の数段の耕作地。(2012年10月)

自動車道南西側下から見上げる。(2012年10月)

南方には羽場城跡(手長神社)の森が中央に望める。(2012年10月)

丸囲み数字2、
この地に城(館)を築いたとの伝承がある樋口次郎兼光の墓があります。

丸囲み数字3、
武田晴信が箕輪町福与城の藤沢頼近を攻めた際に陣を張った荒神山です。
その時にこの城はまだ在ったのでしょうか、謎です。

所在地:長野県上伊那郡辰野町樋口
現状:中央自動車道、耕作地、等
遺構:なし
状態:
表示等:なし
駐車場:なし(路駐)
参考文献:「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)


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千人塚公園の桜(長野県飯島町)

2020年11月20日 | 桜-2020
諸々の事情でこの時期に記す。
今年の記録用。
04月17日早朝に撮影。



県外ナンバーの車が停まっていた。
小鳥のさえずりが清々しい。



追記(2020年12月)
どうも池の南東側の桜が5本ほど伐採されてしまったようだ。
丸込み辺りの桜が失くなっていた。


近づくと切り株が残るのみ、一応苗木がまた植えられたようではあるがなんとも残念。

桜の木を伐採するくらいなら、この電柱を伐採(移設)したらどうなの?
と個人的には思う。

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馬見塚公園の桜(長野県駒ヶ根市)

2020年11月20日 | 桜-2020
諸々の事情でこの時期に記す。
今年の記録用。
04月09日早朝に撮影。


公園は私を含めて2人、皆自粛中であろう。
導水の水音が大きい。
鴨たちが飛び去った。

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六道の堤の桜(長野県伊那市)

2020年11月20日 | 桜-2020
諸々の事情でこの時期に記す。
今年の記録用。
04月08日早朝に撮影。



さすがに人は私を含め3人、無言で池周りを徘徊する。
カモやカイツブリも自粛中か水面は穏やかであった。

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北の城(長野県豊丘村)

2020年11月19日 | 長野県豊丘村の城址
城跡は豊丘村の北の端、天竜川に面した段丘上にあります。
城主城歴は定かでなく館ほどの小規模な城で、遺構は堀跡と郭跡が一部に残るのみです。

国道153号線山吹の交差点から県道226号市ノ沢山吹停車場線へ。
天竜川を万年橋で渡るとその東側の段丘上が城跡となる。
車を堤防道路の路肩に停め小道を登り段丘上へ、段丘上の道は県道18号線で北東側に少し歩く。


駐車場所から見上げる城跡(矢印の下に小さく見える柱付近)。
右建物の裏側を、黄色く色づく銀杏の方へ登って行く。

段丘上の県道18号線脇から見た城跡(果樹畑から個人宅にかけての辺り)。


城跡を記した標柱は私有地の中。

西側に向かって微妙に低く堀跡が残る。

更に奥へ進むと堀跡もはっきりしてくる。

西側の城端。
一段低く郭があるのが見える。

東側県道方向を振り返って見る。
目の前の柱が駐車場所から見た矢印の柱です。

城跡からだと西側の遠望が利かないので登って来た小道まで戻って飯田市方面を見る。

国土地理院地図で場所を確認。
駐車場所はココ
北の城はココ

所在地:長野県下伊那郡豊丘村河野北垣外
現状:宅地、畑地等
遺構:郭、堀
状態:わずかに見られる
表示等:標柱
駐車場:なし
参考文献:「図解 山城探訪 第七集 下伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)



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阿島陣屋・知久氏館跡(長野県喬木村)

2020年11月08日 | 長野県喬木村の城址
徳川幕府の旗本、知久氏の陣屋跡です。
説明板に拠れば、
知久大和守頼氏の子則直が慶長6年(1601年)阿島三千石の旗本としてここに陣屋を築いた、
とあります。

明治時代を迎え陣屋は廃止となり、ほぼすべてが取り壊されたため残っている建物は、住居用に残さた茶室(現曙月庵)のみです。
また、遺構としては道路沿いに「切込接乱積のすだれ仕上げ」という美しい石垣を見ることが出来ます。(非常に手間とお金が必要な石垣のようです。)
他に遺構等はなく現在陣屋跡地には幼稚園、特養ホーム、公民館等が建てられていました。

冠木門を入った所が駐車場です。

石垣上に陣屋跡碑、解説板等が建てられています。

「切込接乱積のすだれ仕上げ」の石垣。

陣屋跡地内部西側。

特養ホームに沿って砂利道を進むと曙月庵表入り口。

塀は低いので中は見えるのですが、木立が邪魔して建物はほとんど見えません。

東側まで進むとようやく建物が見えました。

裏口方向から。


南側段丘上から、陣屋跡を俯瞰す。

地理院地図で場所を確認。
阿島陣屋はココ


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諸原十三塚(長野県喬木村)

2020年11月07日 | 名所旧跡
諸原十三塚は、小川松下城跡と同じ尾根上にあります。
もろはら公園造成の計画中に発見され平成3年(1991年)に発掘調査が行われました。
その結果、塚は宗教的な遺構ではなく、戦乱期に城の勢力を誇示するために築かれた旗塚ではないかと結論付けられました。

造成時に発見された十三塚の10基ですが、現在はそのうちの北側の6基が公園続きの場所に整備・保存されています。
伊那谷で現存する旗塚はこの1箇所のみと思われ非常に貴重な遺構ではないでしょうか。

公園への道は狹く、上平トンネル西側からだと軽自動車以外は切り返しが必要、東側から回って下る方が楽かと。
駐車場のすぐ南側に諸原十三塚の解説板があります。

解説板裏から中尾神社までの間に6基の塚が残されています。
駐車場側から見る。

神社側から。

ひとつひとつはこんな感じです。

十三塚と公園を分ける中尾神社。

公園より、西側の飯田市方面を見る。
中央が風越山。


駐車場に戻って、北側の小川松下城跡方面を見る。
ここから城跡の間にも十五塚(十三塚)と呼ばれる塚群があったようですが開墾等により失われたようです。


西側尾根下の真浄寺参道付近から。
左側に小川松下城跡。


右側に諸原十三塚。

場所を地理院地図で確認。
小川松下城跡はココ
諸原十三塚はココ
真浄寺参道はココ
風越山はココ




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箕輪ダム もみじ湖を散策(長野県箕輪町)

2020年11月01日 | Weblog
朝の冷え込みが増すと紅葉も進む、そんな季節が北から南へ、伊那谷にもやってきた。

そんなわけで10月下旬、箕輪ダムに足を延ばす。
県外県内ナンバー半々くらいか、それでも平日の陽が高いうちなので駐車場所には困らなかった。

例の坂道は一部では紅葉もすすんで綺麗。

駐車スペースにも余裕がある。


全体の見頃はもう少し先のようで、一雨先から紅葉は深まりそうである。

ダム湖はこんな感じ。

湖畔沿いには色づくもみじもちらほら。


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