城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

城ヶ峰(長野県箕輪町)

2018年11月22日 | 長野県箕輪町の城址
小式部城山から南の豊久保砦に下る尾根の西側の支尾根に遺構が残る。
 
主郭は周囲が土塁に囲まれ東側背後の尾根上に三条の堀切、
西側斜面上には多くの平場が見られる。
 
史料、文献等はなく、上の平城に関連した城と考えられているようである。
 
県道19号線東西線入口から東に入り、砂防堤の下側に車を停めて南へ。
住宅を三件ほど過ぎると山側に向かう道があり、山際まで進む。
 
その先は砂防工事がされて沢沿いの道は寸断されていた。
仕方なく左側神社の裏手に回り込み笹薮を避けて北側を登る。
所々笹薮が刈払われた場所に平場が見られた。
 
15分ほど登ったところでようやく主郭と思しき場所を見る。
 
登って来た斜面。
 
更に少し登って主郭へ。
笹藪の薄い北側から入る。
 
主郭は「お鉢」の名のとうり全周が土塁に囲まれているが、南側は笹薮が酷い。
南側土塁上から見る、左が主郭内。
 
西側の虎口と思われる所、ヤブが酷い。
 
主郭内に建てられた「城ゲ峰(お鉢砦)跡」の碑。
 
主郭東側の尾根上には三連の堀切が見られました。
主郭土塁上から、二条の堀切が見える。
 
二条目と三条目の堀切の間に少し平場がある。
 
一番東側(三条目)の堀切を超えた尾根上から。
 
2016年3月の登城記録を元に記憶を辿っての覚え書きとして記しました。
現在はさらにヤブが深くなっているかも知れません。
 
現状:山林
遺構:郭、土塁、堀切
状態:遺構が良く残ります
表示等:「城ヶ峰」表示版
駐車場:砂防堤付近に余地あり 

でゑら(長野県箕輪町)

2017年03月11日 | 長野県箕輪町の城址
西側から城跡の残る山塊を望む。
「でゑら」の位置は実際には岩ヶ城のある尾根に隠れて確認できない。

「岩ヶ城」の東側の尾根上の自然地形とも人工的とも思われる面白い地形のみられる場所が「でゑら」と呼ばれる城跡となります。

「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)では戦うための城ではなく、戦乱を避けて隠れるための場所だった、のではと推察されています。


「岩ヶ城」から尾根上を先程の小径まで戻り「でゑら」のある東側の尾根を目指す。

小径の踏み跡は更に薄く細くなり、けもの道と変わらなく見える、
所々で分岐を繰り返すが、惑わされないよう高度を保ちながら注意して進む。

GPSで位置を確認しながら進むこと15分、少し藪化した尾根に着く。
一瞬道を失ったように思うも尾根上を下る道はすぐに見つかる。

尾根は西側に伸びていて、
少し下ると尾根上に巨大なスプーンでえぐり取ったような窪地が現れる。
なるほど「でゑら」である。

えぐり取られた窪地の外側のフチは土塁のようにも見える。
窪地北側部分。

窪地の底から下って来た尾根方向(東側)をみる。

同じく尾根先端方向(西側)をみる。
当然ではあるが窪地から尾根先端へは上りとなる。

先端部には南北に小高くなった平場が二ヶ所。

北西側に土塁状の地形が見られた。


現状:山林
遺構:自然地形のようである
状態:
表示等:不明
駐車場:上の平城跡四阿付近


岩ヶ城(長野県箕輪町)

2017年03月10日 | 長野県箕輪町の城址
西側から城跡の残る山塊を望む。

上の平城跡の南東側に残る城砦跡ニヶ所目です。

「中の小屋」の遺構を後に次の岩ヶ城へ。
城跡は下草も少なく良い状態で遺構が残り、尾根上に堀切と複数の郭、土塁等が見られます。

「中の小屋」から先程の尾根上の山道まで戻る。
すぐ先には送電線13番鉄塔への分岐点が見えるが、そちらには向かわずに
山腹を巻く小径を南の尾根へと向かう。
黄色の立て看板は「クマ出没注意」ではなく、「伐木注意」でした。

山腹を巻く道はけもの道とも思われる踏み跡も薄く細く消え入りそうな小径です。
この小径は「でゑら」のある尾根まで続いています。

小径は3分程で岩ヶ城のある尾根へ。

少し傾斜のある尾根上を5分程下ると、こちらでも二重の堀切に出合う。

郭手前の堀切、「中の小屋」の堀切よりもはっきりと残る。

南側斜面には土塁を伴う竪堀が見られる。

堀切から郭へと登る。
堀切側に土塁が残り狭い平場がいくつかあったように見え、
構造が小式部城と似ているようにも感じるのは思い込みか。
右側が土塁部分。

土塁の所から郭奥(尾根先端部方向)を望む。
土塁のある場所は高く、奥に向かって下っている。

先端部に進むと南北二段の郭に別れる。

まず北側の高い方へ、こちらが主郭と考えられ、「岩ヶ城」の表示板が建つ。

主郭西側下に郭が見られた。

主郭から一旦戻って南側の低い方へ、
こちらは更に二段に別れ北側の主郭下の場所に一段高く郭がひとつ、
そして南東側に折れる尾根上の郭の二つに別れる。


さらに南側に折れた郭下にも郭が見られる。

郭下はいずれのも側の斜面も急勾配なのがわかる。
主郭西側。

南側の郭下。


現状:山林
遺構:堀切、郭、土塁等
状態:遺構がよく残ります
表示等:「岩ヶ城」の表示板
駐車場:上の平城跡の展望地付近

中の小屋(長野県箕輪町)

2017年03月09日 | 長野県箕輪町の城址
西側から城跡の残る山塊を望む。

上の平城跡の周辺の山中には複数の関連すると思われる城砦跡を見ることが出来ます。

今回は南東側に残る三ヶ所の城砦跡を巡りました。

最初に目指すのは「中の小屋」。
尾根上に二重の堀切と土塁で囲まれた郭が見られましたが低木が繁茂してきていて再び埋もれつつありました。


上の平城跡から春を待つ桜木を眺めつつ南側を下る。

下り終える直前の沢沿いに登る。
砂防工事用の道を進み、一番奥の砂防堤手前から山中に入る細道を辿る。

けもの道とも思える山道も途中からは昔からの堀道と合流し登って行く。
やがて怪しい尾根が見える。
目的の尾根であることをGPSで確認。

尾根上を下るとすぐに堀切と土塁が見られる。

堀切、かなり埋まってしまったようである。

堀底から見上げる郭、土塁上に「中の小屋」の表示板が見える。

郭内は低木に埋もれつつある。

土塁を見ようとするも低木に邪魔される。
北側の木々の少ない所でみられた土塁。

郭から先の尾根は急傾斜となる。



現状:山林
遺構:郭、土塁、堀切
状態:遺構が残る。
表示等:「中の小屋」表示版
駐車場:上の平城跡四阿付近

豊久保砦(長野県箕輪町)

2016年03月28日 | 長野県箕輪町の城址
日輪寺畑から見上げる豊久保砦。


上の平城跡の北方700m程、小式部城山から南に下る尾根上に、土塁の残る郭とその北側に二条の堀切が見られました。

城跡に関する史料等は無く位置関係から上の平城の関連の城跡と考えられているようです。

日輪寺畑周回の途中、西側の登り口から丸太の階段を登る。

3分程登れば尾根上の分岐。

分岐から見上げる豊久保砦方向。

登る途中に、御嶽座王大権現、の碑を見る。

さらに少し登ると、豊久保、に到着。

郭内、表示板とその奥(北側)に土塁。

土塁上から見る北側の堀切。

堀切を越え、振り返って見る堀切と土塁。

さらに北側に堀切があるようなので進むも、背丈を越える笹ヤブ。
かき分け進む。

少し歩くと堀切らしき窪みを発見、写真に写ったのはただの笹ヤブですが、
降りて見れば確かに堀切でした。

再び郭まで戻って、登ってきた南側尾根を見下ろす。
御嶽座王大権現の碑のある付近が少し平になっているようにも見える。


現状:山林
遺構:郭、堀切
表示等:豊久保(山城跡)の表示版
駐車場:あり

----------

帰路に富士塚を見て戻る。

山頂に「木花咲耶姫神」碑。




日輪寺畑 - 洞田 - (長野県箕輪町)

2016年03月27日 | 長野県箕輪町の城址
上の平城跡から北東に500m程、日輪寺の西側の高台が居館跡と伝えられ、
上の平にあった知久氏関連の館跡と考えられているようである。

知久沢川と梨久保川に挟まれた場所で、南西側と北東側に僅かに空堀の
痕跡が残る。

付近は案内板が随所にあり、日輪寺、洞田、上の平城、豊久保、浅間様などを
巡るウォーキングコースとなっています。

今回は日輪寺前の駐車場から向かいました。

参道から見る洞田北東側。
小屋の後に空堀の痕跡。

同じく洞田南側。
左側に空堀の痕跡。

段上に登り近づく。

北東側の一段上から。

北東側の空堀の痕跡。

案内板に従って西側の梨久保川沿いへ。

西側からみる洞田。

道沿いに南へ下ってから東側を登り返し戻る。
道を左へ登った所が洞田、道奥を右側へ登ると日輪寺。

日輪寺参道脇の自然公園、芝桜の頃が良さそうである。

上の平城跡から見る日輪寺畑と小式部城山。











上の平城(長野県箕輪町)

2015年10月11日 | 長野県箕輪町の城址
守屋山の帰り、ほんの少し色づき始めたもみじ湖の脇を抜けて南小河内に下る。時間があったので久しぶりに上の平城跡に立ち寄る。

この城跡は、平安時代末期から鎌倉時代中期にかけての城郭跡を留める長野県で最も古い城跡として県の史蹟に指定されいる。

現地案内板に拠れば、
平安時代末期に源為公によって築城され、その後鎌倉時代中期まで知久氏が居城、その後知久氏が下伊那へ移り廃城。
しかし、平成10-12年の主郭等の発掘調査により、戦国時代にも使われていた痕跡が見つかり、知久氏後もいずれかの勢力により利用されていたと考えられる。
との事。

城跡は東側から西側へ細く伸びる丘上に五条の堀と四つの郭からなり、主郭は西側から二つ目の郭、東側の二つの郭は中央部分に東西に伸びる堀によって南北に分かれている。

画像は、とある冬に城跡南側から撮影したもの。

さて今回も西側の県道から小路を入り、表示に従って城跡への坂を登る。
程なく左手に「一の堀」の表示。

林の中には堀が良く残る。

更に坂を登るとススキの藪に堀の痕跡「二の堀」跡。

反対の北側にははっきりした痕跡が。

また少し進んで、解説板と標柱の建つ「三の堀」跡。

進む先に有名?になりつつある「城跡の桜」をみる。

「城跡の桜」を過ぎて東屋の建つ辺りが「四の堀」があったと思われる所。

そして道は突き当たって北側へ向きを変える所、草薮に隠れて「五の堀」の痕跡。

北側への道、左側が「四の郭」右側が「御射山平」

北側へ進み、三、四の郭の間の東西堀と「五の堀」の合流点を見る。

東西堀の底に降りて、西側へ下り「三の郭」辺り。堀の突き当りが主郭。

主郭に上がり下って来た堀をみる。
とても気持よく手入れがされています。

因みに以前はこんな感じでした。

そして主郭内へ。
主郭はラベンダー畑と芝生の広場。

ラベンダーは季節外れ。


広場のタンポポの綿毛。

また訪れたい城跡です。

別名:神の平(かんのたいら)城、丸山城
現状:耕作地等
遺構:曲輪、堀
状態:遺構が残る
表示等:案内板、解説板、標柱等多数あり
駐車場:あり



遠見城(長野県上伊那郡箕輪町)

2012年03月09日 | 長野県箕輪町の城址
現状:山林
遺構:郭、土塁、空堀
状態:良い
表示等:なし
駐車場:なし

箕輪町上棚集落の東、不動ケ峰の西側尾根に築かれています。

福与城跡から向かいます。
右折した農道まで戻り、折れずに直進、道は左側に曲がって北へ向かいます。
沢を越え上棚集落の北、御射山社の脇を東へ折れ林道を登って行きます。

途中から地図を頼りに尾根になんとか取り付き登り始めます、が数分で挫けました。笹の藪が深い!!

格闘すること1時間程、少し開けて眼前に郭らしきものが見えました、到着です!

郭は三段、東に向けて高くなり一番高くなった主郭部分は東に土塁を築き、その背後に深い堀で峰を絶ち切っています。

郭の南北は急斜面となっており、主郭には立派な石の祠がありました。
遺構はよく残っていますが、残念なことに笹の藪に覆われてしまっています。
特に土塁と空堀が見辛く惜しまれます。

帰路は、藪と格闘する気力も失せていたので、北側の急斜面を落下しました。

途中に出郭と思われる平場と堀切が。

ひたすらかき分けた笹薮。

やがて目の前に郭が、感動!!。

主郭の祠、その後ろ、藪の中に土塁と空堀が。

落下前に見た空堀。



福与城(長野県箕輪町)

2012年03月07日 | 長野県箕輪町の城址
現状:史跡公園、耕作地
遺構:郭、土塁、空堀
状態:良
表示等:あり
駐車場:あり

長野県史跡に指定されている城址です。

国道153号線箕輪バイパス木下南新町交差点を東へ向かうと天竜川を越えて
県道に突き当たりますが、その正面段丘上が城址となります。
県道を北へ進むと段丘上へ直接上がる道がありますが、今回は南小学校の沢沿いに登る広い道を行きました。

道は南へと向きを変えながら段丘上へ、登り切った付近で右に福与城跡の表示がありますので右折すると程無く駐車場が現れます。

駐車場から北に、空堀を越え一段登ると主郭となります。
主郭北側に空堀を挟んで北城、西側に二の郭、南側駐車場方面に南城があります。

南側より、主郭を望む。

北城。

二の郭。

南城方面。

箕輪城(長野県上伊那郡箕輪町)

2012年02月19日 | 長野県箕輪町の城址
現状:墓地
遺構:郭、土塁、空堀
状態:良い
表示等:表示板
駐車場:あり

JR飯田線木下駅の西側、養泰禅寺西側段丘上の墓地が城址となります。
土塁と空堀が非常に良い状態で残っていました。

北側道路沿いに腰郭と箕輪城案内板があります。

西側空堀。

土塁(画像は加工してあります)。