城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

平維盛館(長野県伊那市高遠町)

2020年12月27日 | 長野県伊那市の城址
三義村誌に、
平維盛の居城趾
大字山室宮澤にあり昔平維盛熊野より遁れ來りて此地に住し後非持の山中に移り今の柳原八幡を勸請し更に黒河内に移り叉長藤に轉じ最後に浦村の奥に住したり云ひ傳ふ此の說妄誕信すべからずと雖も平姓なる北條の末族等南朝方の者此地に居住し往來したる事は事實ならん。
とある。

各地に伝わる平維盛の伝説の一つと言うところであろうか、平家の落人または南朝方の落人が隠れ住んだのでは、と推測はできそうである。
「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」にも記載があったので訪れてみました。
遺構等は無くやはり伝説の地でした。

さて、山室城からの帰り、宮沢の集落へと向う、すれ違いは出来そうにない細道を進む、集落東端で舗装路は終わりその先は未舗装の林道となる。
駐車余地どころかUターンする場所もありません。
少し手前の個人宅に車を停めさせて頂き、お話を伺ったのですが平維盛については聞いたことも無いとの事。

未舗装路を進みすぐ先の防獣柵を開閉、林道奥へ。


目的地は奥の林道が大きくカーブするあたり。
私有地らしく工作物が建てられていました。


周辺は昔は耕作地だったらしく、平坦地が沢奥まで続く普通の山の中でした。




所在地:長野県伊那市高遠町山室字宮沢
現状:山林等
遺構:なし
状態:
表示等:なし
駐車場:なし
参考文献:
「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「三義村誌」(三義村役場発行)
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山室城(長野県伊那市高遠町)

2020年12月26日 | 長野県伊那市の城址
三峰川の支流山室川に沿って進むと旧三義村山室に入る。
山室の遠照寺はぼたん寺として地元では有名のようである。
山室城はその寺の背後の山中尾根上にある。

三義村誌に、
城が平
山室中央四面眺望に富める遠照寺の東山頂にあり年代事歴詳かならずと雖も天文の頃唐澤采女と云へるもの戦亂を避けて此地に來り住すと云う・・・、
とあるのがこの山室城かと思われる。

非常に簡素で城と言うより小砦と言ったところでしょうか。
尾根上の少し平坦となった所に土塁のある郭とその背後に浅く堀切が残っていました。

向かったのは少し昔、2014年5月の頃。
遠照寺北東側の小学校跡地(たぶん)に車を停めて、遠照寺七面堂に登る道を進む。途中で北側に入り防獣柵を開閉、尾根上を登る。
古くからの道のようで堀状になり倒木等で一部歩き難いが程なく遺構らしきものが見えてきた。

右側が郭のようだ。


背後に回り込む。微妙だが堀切のようである。


堀切から郭方向。わずかに土塁が残る。

郭内から



所在地:長野県伊那市高遠町山室那木沢
現状:山林
遺構:郭、土塁、堀切
状態:遺構がわずかに残る
表示等:なし
駐車場:なし
参考文献:
「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「三義村誌」(三義村役場発行)



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御射山と松岡城跡

2020年12月20日 | 名所旧跡
古御屋まで来たので松岡城跡に寄ってから帰路に付くことに。

通り道なので御射山にも寄る。
松岡城主が代々諏訪大社下社の神事を執り行ったとされる場所である。



さて松岡城跡である。
変わっていたのは、松源寺駐車場が舗装されていた。

松源寺山門


しばし佇む。

リニア新幹線の高架が建設されるとこの景色も変わるのだろう。


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古御屋(古御家 長野県高森町)

2020年12月19日 | 長野県高森町の城址
松岡城跡の北東1km程の段丘端が南にせり出した先端に位置します。
松岡城の支城と考えられているようです。
南側先端には段状に郭が、堀を隔てて北側には広い郭が築かれていて、南側は砦、北側は館といった感じでしょうか。
南側部分の遺構はよく残っていますが北側は宅地化が進んで消滅しかけていました。

下記は周辺の航空写真(1985年)です。
高森南小学校から北の郭にかけては現在ほど宅地化は進んでいません。
丸囲み順に歩きました。

※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1985年の航空写真です。

高森南小学校の南門の前。
左側の空き地に車を停めて城跡へ向かいました。

1,右手の解説板を見て前方(南)に向う。左手に北の郭があったようです。


2,段丘端で道は行き止まり、右側の排水路脇に降りて進み(一応2段ほどの階段があります)、南側へ回り込む。

3,回り込むと堀切が見えてくる。北側から埋め立てが進んいるようだ。


堀切から土塁を越えて一の郭に下ります。

4,土塁上から東側を見る。


同,一の郭を見下ろす。

一の郭に下る。

5,東側から一の郭内を見る。

6,中央西側の祠前、祠横に「史蹟 古御屋城址」の石柱が建つ。

同,下側(南)の二の郭を見下ろす。

一の郭から二の郭へは西側の土塁上を下る。

7,右手に三の郭が見える。

同,左手に二の郭

二の郭に下る。

8,二の郭内、東側から。祠左手の窪みは井戸跡と思われる。

同,南側を見ると下側に下る道があるが、虎口ではないらしい。道は下側の舗装に降りられるようであるが落ち葉で滑り落ちそうなので諦める。


同,傾斜はこんな感じで滑ると下まで行ってしまいそうでした。

失念していたので三の郭の虎口は見ずに北の郭まで戻る。

9,東側に進んで堀跡の名残りを見る(左側の畑地部分)。

所在地:長野県下伊那郡高森町下市田
現状:宅地、山林
遺構:郭、土塁、堀切
状態:よく残る
表示等:石柱、解説板
駐車場:なし(空き地に停める)
参考文献:
「図解 山城探訪 第七集 下伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「信濃の山城と館」(宮坂武男著 戎光祥出版刊)

追記。
後から写真を整理して見ると、三の郭の虎口らしき部分が映る写真を見つけた、丸囲みの窪み部分が虎口ではと思う。

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吉田南城(長野県高森町)

2020年12月12日 | 長野県高森町の城址
高森町の中ほどを流れる胡麻目川で削られた谷の南側の段丘上にあります。
この地の豪族吉田氏の城館跡と考えられ、北側500m程離れて古城・本城があります。
城館は段丘端に主郭とその外側をコの字に囲むように内堀、外郭、外堀と築かれていたようです。
付近は宅地や耕作地となり遺構としては主郭の北側に土塁が一部残るのみです。

吉田本城からの続きです。
出郭の辻から南へ400mほど。
常会所の先のイ形になった辻の南東側が城跡です。

イ形の辻で振り返って北側を見る。
左の道を正面奥から来ました。中央に常会所。
右端に少し見える畑地は外郭跡で、常会所との間の道は外堀跡の北側部分のようである。


その北側の道を下る、途中に耕作地へ上がる小道がある。


近づくと城跡の標柱が見つかる。


耕作地に登ると奥に土塁が見られます(木立のあたり)。


耕作地内なので早々に立ち去る。
北側に戻り、道に沿って東側下へ。
この辺りに内堀が段丘端に抜けてきたと思われる。


辻まで戻り南へ数歩。
土塁の残る主郭方向を見る。
左側の木立の高い辺りが土塁の残る場所。
手前が外郭で、ビニールハウスの背後付近には内堀があったようである。

道に沿って南側に向う、道の部分は外堀であったと考えられる。
南側の空堀の痕跡を探すも不明、もしかしたらこの辺りか。


南側から段丘下に下る小道でもないかと探すも不明、退散する。

所在地:長野県下伊那郡高森町吉田
現状:宅地、耕作地、山林等
遺構:土塁跡
状態:ほとんど遺構は見られない
表示等:”史跡 吉田南城跡”標柱
駐車場:なし(北側に路駐、傾斜きつめ)
参考文献:
「図解 山城探訪 第七集 下伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)



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吉田本城(長野県高森町)

2020年12月11日 | 長野県高森町の城址
高森町の中ほどを流れる胡麻目川で削られた谷の南側の段丘端上にあります。
この地の豪族吉田氏の城館跡と考えられ、西側に古城、少し離れて南側に南城があります。
本城と古城は一体として使われたと考えられています。
遺構はよく残っています。

下記は周辺の航空写真(1976年)です。
胡麻目川大橋はまだ無く道路位置が少し違っています。
古城下側にある住宅は現在ありません。
近くに、重要文化財「竹ノ内家住宅」があります。


※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。

吉田古城からの続きです。

1,案内表示のある辻まで戻る。


右側の竹藪は出郭で周囲に堀跡が見られます。

2,出郭の横を東側へ、道は堀跡と思われる。案内表示に従って左へ。

はじめに本城へ向う、左手に進むと”お姫様の井戸”がある。


3,二の郭内。

竹林は手入れがされ以前と比べると格段に綺麗になっていました。


奥に主郭と手前に空堀、橋が架かる。


4,橋の上から空堀北側を見る。右が主郭、左が二の郭。

主郭虎口。土塁が良く残っています。

5,主郭東側、整備予定のようだ。

南東隅、土塁上には蚕玉(こだま)社が見える。

西側の虎口方向を振り返って見る。

6,南東側下を見下ろす。


南側土塁。

2まで戻り”お姫様の井戸”へ向う。

7,”お姫様の井戸”

以下は、今回見送った南側空堀方面です。

8,二の郭南側の空堀を東へ。

9,主郭下から蚕玉社を見上げる。


主郭東側下の土塁が始まる辺り。


所在地:長野県下伊那郡高森町
現状:耕作地、山林等
遺構:郭、土塁、空堀等
状態:よく残る
表示等:あり
駐車場:吉田古城に同じ
参考文献:
「図解 山城探訪 第七集 下伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「信濃の山城と館」(宮坂武男著 戎光祥出版刊)

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吉田古城(長野県高森町)

2020年12月10日 | 長野県高森町の城址
高森町の中ほどを流れる胡麻目川で削られた谷の南側の段丘端上にあります。
この地の豪族吉田氏の城館跡と考えられ、東側に本城、少し離れて南側に南城があります。
古城と本城は一体として使われたと考えられています。
遺構としては、郭や土塁、空堀などがよく残っています。

下記は周辺の航空写真(1976年)です。
胡麻目川大橋はまだ無く道路位置が少し違っています。
古城下側にある住宅は現在ありません。
近くに、重要文化財「竹ノ内家住宅」があります。
丸囲み数字3の付近に駐車出来ました。(2020年12月現在)。


※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。

今回は広域農道(フルーツライン)を北側の松川町方面から向かいました。
田沢川沢の”やすらぎ荘前”信号交差点を左折、山吹城跡を左手に見ながら南下、胡麻目川大橋を渡り大きくカーブを回ると左手に城跡の案内表示が見えます。

1,案内表示。


2,すぐに舗装路は右折方向のみの辻となる。
そこに小さな案内表示があるので未舗装の左側へ入る。


奥に”高森町史跡 吉田古城跡”の標柱と背後に一段高く古城の郭が見える。


3,郭南側、空堀があったと思われるが埋め立てられたようだ。



4,西側、埋まってきてはいるが堀跡が見られる。

5,郭西側に少し高くサトザクラ、土塁の跡のようにも思われる。


6,西側の空堀も北側は自然地形と相まって深い。


同,郭北側。

7,郭内の桜(たぶん)、少なくとも3年くらい前には既に植樹されていた。


同,遠望は利かない、北東側に少しだけ開ける。

8,郭南側。

同,郭南東側下を見る、東側から回り込む堀跡の名残り。


自然地形を利用したと思われる東側の空堀は堀底に土塁が複数築かれており見応えはあります、が惜しいかな竹林の藪です。

9,本城主郭との堀を分ける土塁。

10,古城郭下に突然現れる土塁。

さらに下側に方向を変えた土塁も見える。

この後、本城へ向う。

所在地:長野県下伊那郡高森町吉田
現状:耕作地、山林等
遺構:郭、堀、土塁等
状態:よく残る
表示等:あり
駐車場:駐車場スペースあり
参考文献:
「図解 山城探訪 第七集 下伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「信濃の山城と館」(宮坂武男著 戎光祥出版刊)
注:蛇足とは思いますが、荒れた竹林は非常に危険です


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飯島城 本城編(長野県飯島町)

2020年12月06日 | Weblog

(北西側の西岸寺付近より、正面の住宅背後の林が飯島城登城及び本城跡)

飯島城 登城編からのつづきです。
登城から南側の小道へ出て東側の本城部分へ。
丸囲み数字順に歩きました(写真は2016年当時)。


※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。

1,西側を見る。右手(北)の登城側が小高く、


南側は低い。
左手には空堀が残っているが、右手の畑地側にも空堀があったようである。

2,主郭虎口の土塁手前、左右が空堀で現在は土橋状となっているが、本来は土橋は無く登城側から橋が掛けられていたのではとも考えられる。
右側土塁上には解説板が建てられています。

本城主郭内を見る。

西側土塁、南側に向かって低くなり中程で終わっている、


3,南西側から。南側が一段低くなっている。

4,南東側から。

5,北東側から。右手(北側)に土塁。

6,虎口まで戻って。土塁と堀の間には少し平坦な部分が見られる。

7,北側の堀底に降りて謎の土盛りを見つつ、東側へと下る。


登城の登り始めまで一旦下ってから、主郭東下の空堀を見に再び南西へと登る。

8,登る途中にみた、竪堀状の凹み。

9,さらに登って、空堀北側の堀が下り始める辺りに出る。

空堀に沿って下る。

10,空堀は旧道下までつづくが荒れていたので途中から離れ、藪を避けなが下ると平坦な場所に出る、下側に旧道が見える。


11,東側に山林を抜ける。右側背後が本城。

12,さらに東へ進み、旧道まで出る。

古町南端の庚申碑を見て帰る。


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飯島城 登城編(長野県飯島町)

2020年12月05日 | Weblog
飯島城 古城編からのつづきです。
古城から戻って今度は西側の登城部分へと登って行きます。
旧道沿いの馬場屋敷付近から丸囲み数字順に歩きました(写真は2016年当時)。

※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。登城部分が木が伐採された後で形が良く分かります。

1,馬場屋敷の所から西側に入る道を上がって2つ目のカーブ付近、法面の低い場所から適当に山側に入ります。


2,古い沢の跡がありそこから少し登ると、水路のある場所に出る。

水路は本城と登城の間の沢を下って来ていて登城へは右側の尾根を登る。
石がゴロゴロ転がっているのは引水で堀を削った為らしい。

尾根に近づくと竪堀らしき凹みが上に続いています。

3,凹みに沿って登ると1つ目の郭。

背面、すぐ上に次の郭が見える。

登って2つ目の郭。

北側には堀を挟んで馬場屋敷から上がる現在の道が見える。

4,更に登って登城上部の郭に到着。

登ってきた郭部を見下ろす、なかなかの傾斜である。

登城郭内は東側(登ってきた尾根側)が少し低くなっていて社が祀られ、その周りに土塁状の土盛りも見られた。


5,南西側の竹藪方向に向う、空堀の底に謎の土盛りを見る。
樋の土台跡とも木橋の土台跡とも不明である。


西側端は土塁状に土盛りが見られる。

6,土盛りを越え、竹藪を抜けた辺り。
左手(西側)は現在耕作地となっているが、往時は三日月堀があったようである。


この後本城へ向う。

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浅間社城(のろし台 長野県伊那市)

2020年12月03日 | 長野県伊那市の城址
春日城跡主郭内に建つ解説板にあった、のろし台に向う。
「図解 山城探訪」では浅間社城として記載されている。
春日城跡から尾根上を北側に登ったところにあり、地元では富士塚として認知されているようである。

さて、春日城跡2の郭から北側へ、振り返って二重の堀切見る。

西側はこの辺りまで樹木が伐採され見晴らしも良い。

尾根上を登る道で踏み跡もあるので迷うことはないが、伐採地が終わる辺りに一つだけ迷うかと思う分岐があるが左手の道を登る。

15分ほど登り西側の手良沢岡からの尾根と合流する辺り、謎の表示と右手奥にのろし台が見える。


のろし台東側に回り込む、右手に少し平らな場所がある。

北側に周りのろし台を見る。

のろし台上部。

中央は窪んでいた。

のろし台以外には城跡と言うほどの遺構は見当たらないので、浅間社の祠がある西側の尾根を少し下る。
道は不明瞭でけもの道程度、三角点が見つかる、ここまでは緩やかな傾斜。

さらに少し下にも平らな場所があり、そこから下は傾斜が増していった。


浅間社を探して標高850m付近まで下ってみたが見つけられず引き返す。

所在地:長野県伊那市手良沢岡
現状:山林
遺構:のろし台(富士塚)
状態:
表示等:道しるべ程度
駐車場:春日城跡駐車場
参考文献:「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)

因みに、
さらに尾根上を北側へ7,8分ほど登って行くと鏡石と呼ばれる岩があります。
詳細は不明(ただの勉強不足です、画像は2015年当時)。


さらに更に登っていくと春日城跡主郭内に建つ解説板にある、両子入から水を引いてきた、とある両子入の堤へと続くようです。(画像は2018年当時 別道で行った時のもの)




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