城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

中割の中世城館跡 ~小山第1遺跡発掘調査より~ (長野県駒ヶ根市中沢)

2023年05月30日 | 長野県駒ヶ根市の城址
ほ場整備事業に伴う発掘調査によって存在が明らかになった居館跡です。
15世紀初頭から16世紀初頭にかけての建物跡・土塁跡・池泉跡などの遺構が発掘により見つかり、池泉のある庭園を備えた居館(単郭方形居館)があったと推定されています。
居住者はこの地の地頭職にあった中沢(中澤)氏と考えられるようです。
下間川を挟んで東側にある高見城(高見氏)との関係は不明ながら同時期の存在で「城」と「住居」とも考えられます。
また遺跡の重要性に鑑み、破壊せずに土盛りをして保存した上でほ場整備を行ったようです。

写真は2019年の春に付近を散策した時のものです。
ほ場整備によって現在は地形や道の位置も変わり、わずかに痕跡が見られるのは、物見の施設があったと考えられる大夫郭(だいぼ)のみでした。

下記の航空写真は、ほ場整備前の1976年のものです。
現在の道路は赤色のラインで示してあります。

※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。

1.
東側から。
中央右側のビニールハウスの辺りが発掘地点。
中央の住宅を挟んで左側の竹やぶ付近が大夫郭。

2.
少し近づく。

3.
南側に大夫郭の小山。

4.
ビニールハウスの付近が発掘地点。
現在の地形は参考にはならないが一段高くみえる。

5.
発掘調査地点付近。

6.
南側。

7.
大夫郭。
右側の一本の樹と祠がある付近が一段小高くなっている。

8.
右側が大夫郭、左側がうしろ田付近。

所在地:長野県駒ヶ根市中沢中割
現状:耕作地等
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:なし
参考文献:
「小山第1・2遺跡 緊急発掘調査報告書」
(南信土地改良事務所・長野県教育委員会・駒ヶ根市教育委員会 昭和60年03月20日発行)

塩木城 付近(長野県駒ヶ根市)

2021年12月19日 | 長野県駒ヶ根市の城址
上穂城の西側1km程に在ったお城です。
城主城歴は不明。
圃場整備等により地形も変わり、遺構等は残っていません。

地図は1976年の航空写真です、圃場整備事業終了した後で現在とほぼ同じ、城跡を感じさせるものも既にありません。
白囲みの耕作地の部分が城の主要部分と思われる場所です。
塩嶺館(塩木いきいき交流センター)に車を停めて周囲を歩いて見ました。
※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。

国道153号線バイパスの南田経塚の信号から西側の中ア山麓方向へ入る。
塩嶺館へは一本道です。

1.駐車地よりみる城跡方向。

2.南東側から。
段差は見られますが往時とは別物でしょう。

3.南西側から。

4.北西側。

5.北東側。

特に見るべきものはありませんでした。

塩嶺館。

所在地:長野県駒ヶ根市赤穂北割塩木
現状:耕作地、宅地等
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:塩嶺館脇
参考文献:
「図解 山城探訪 第四集 上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「信濃の山城と館」(宮坂武男著 戎光祥出版刊)


上穂城 付近(長野県駒ヶ根市)

2021年12月15日 | 長野県駒ヶ根市の城址
駒ヶ根駅の西南西に5.3km程、五十鈴神社の南側に在ったお城です。
現在は耕作地や宅地に変わっていて痕跡等もほぼ残っていません。
今回は文化センターの駐車場に車を停めて付近をぐるっと散策してみました。

地図は1976年の航空写真です、現在よりも少しだけ雰囲気が残っています。
白囲みの耕作地の部分が主郭と思われる場所で現在は宅地となり一部のみが耕作地として残っていました。
青いラインは現在道路となっています。
丸囲み数字順に歩いてみました。
※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。

1.五十鈴神社東側、奥に向かって高くなっています。

2.城は明治初期まで三重の堀が残っていたと言うことなので、これが痕跡かな、とも思える用水路(川?)。

3.この辺りから城内か?

4.主郭跡の名残と思われる耕作地を南側より見る。

5.少し南に離れて。
耕作地付近が少し高くなっているのが判る。

6.更に南に離れて。

7.東側。大法寺駐車場付近より。
中央に見える大法寺も少し高い場所にありますが、城跡はその裏手の更に一段高い場所となります。しかし上手く見える場所がありませんでした。

8.更に東に離れて。
城跡のある段丘はやはり上手く見えない。

城は上穂氏の居城と考えられますがいつ築城されたかは不明。
城の痕跡は付近に残る地名だけのようです。

付近で見つけたわずかに城跡が感じられる表示板。

所在地:長野県駒ヶ根市赤穂北割大手
現状:耕作地、宅地等
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:駒ヶ根市総合文化センター駐車場
参考文献:
「図解 山城探訪 第四集 上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「信濃の山城と館」(宮坂武男著 戎光祥出版刊)

永見山の城山(長野県駒ヶ根市)

2019年01月29日 | 長野県駒ヶ根市の城址
(南側から眺める城山)


永見山諏訪神社の裏山が城山と呼ばれるようなので訪ねてみる。

高見城跡から下間川沿いに南に向かうと左右から山が迫る。
やがて西側が開けるがその直前の山が城山である。

西側から流れてきた永見山川もここで下間川に合流する。

永見山の集落からさらに南へ向かうと南入の集落を経て日曽利へと道は続く。
また尾根を辿れば陣馬形山にも行きつく。
そして永見山川沿いに西へ向かえば吉瀬へと抜けられたようである。

上記のように城山のある場所は立地的には重要な場所と見ることができる。

余りにも大雑把な覚書図

まず、社殿裏北側の尾根まで登る。(1)

尾根北側。

目指す東側方向。

東側に登ると尾根は少し南に向きをかえ少しずつ高くなる。

微妙なピークを越えると、1つ目の堀切状の跡が見られる。(2)

堀切を越え振り返ってみる。

更に進む。
堀切の先はすぐに2つ目のピークがある。

ピークの北側には少しの平場。(3)

ピークを下ると2つ目の堀切状の跡。(4)

そして尾根の先端へ。

南側は急斜面。

北東側下に少しの平場。(5)

北側も急斜面。

歩いた感じでは、城山東側下を通る道筋の監視目的の砦のように思える。
尾根先端部に物見の櫓、2条の堀切跡の間にあるピークに狼煙台でも置いたのであろうか。






曽倉城(長野県駒ヶ根市)

2016年12月30日 | 長野県駒ヶ根市の城址
南側の民俗資料館付近からみる曽倉城跡。

県道49号線が新道になってどのくらいだろう、天竜大橋から数分で中沢小学校に着く。
学校へは登らずに、北側の道を下り新宮川を越える。

新宮川にかかる橋の辺りはちょっとした谷になっており館跡と伝わる城跡は
その北側となる。

城跡は個人宅となっており、敷地入り口に土塁と堀跡が僅かに見られました。

入り口南側に残る堀跡。

土塁跡。

入り口北側の土塁の名残り。


現状:宅地
遺構:土塁、堀跡
状態:遺構が僅かに残る
表示等:なし
駐車場:なし


中村の城(中村城 長野県駒ヶ根市)

2016年12月29日 | 長野県駒ヶ根市の城址
南側から眺める、春の中村城跡。

東側から。

高見城跡から東側の新宮川まで下り、そこから支流の中曽倉川に沿って北側へ登って行く、谷が開け、前方左手の小高い丘に畑地と住宅が見える。

その一番高い畑地が城畑と呼ばれ、周辺を含めた辺りが城跡となります。
城跡に関する史料無いようですが、中沢氏と関係があるものと考えられるようです。

一番高い所が城畑、宅地はそのまま郭跡と思われる。

丘の東側から登って行く、小路の両側の宅地は往時もこんな感じに屋敷があったのではと思わせる。

小路を一番上まで上がり南側に城畑を望む。

城畑と北側の裏山との間を通る小路の辺りが堀跡のようだ。

裏山方向。

東側には曽倉城山が見えた。


現状:耕作地、宅地
遺構:郭、堀跡
状態:僅かに遺構が残る
表示等:なし
駐車場:なし









善福寺(長野県駒ヶ根市)

2016年03月26日 | 長野県駒ヶ根市の城址
東伊那大久保の善福寺に館(城)跡との伝承があるということで訪れてみました。

善福寺は、至徳元年(1384年)に臨済寺として開山したのが始まりのようです。
館跡であったとの伝承のみで遺構等はありません。

旧道沿い、参道前。

50mほど進むと一段高くなる。

左(西)側脇に、廃寺となった光福寺から移転された六地蔵石幢。
上塩田の光福寺跡も塩田城の城主の館跡ではと考えられています。

向かう先に立派な石垣と本堂。

本堂のある上段へ上がる。
左右の石垣は造られた年代が違うようだ。

上段西側から境内を見る。

上段西側から南側を望む。

境内裏山の三十三観音は駒ヶ根市文化財に指定されています。



京宗寺跡(長野県駒ヶ根市)

2016年03月23日 | 長野県駒ヶ根市の城址
現在、観音堂が建立されている所が寺跡で、京宗寺は昭和13年に
廃寺となったようです。

「伊那の古城」(篠田徳登著 ほおずき書籍刊)にて、中沢氏が最初に拠った城跡ではないか、と触れられていましたので訪れてみました。

原城跡の北側からつづく道を東側へと登って行くと気になる高みが見えてくる。

そして参道の手前に到着。
参道の両側には多くの石碑が見られます。

城とするには先ほどから気になる左側のこの辺りが良さそうである。

参道を登りきった先には観音堂。

左手に一段高く気になる平場を見る。


観音堂左側奥には天神様が祀られていました。

南側を見下ろす。






射殿城(長野県駒ヶ根市)

2016年02月02日 | 長野県駒ヶ根市の城址
大城から道沿いに500m程南下し如来寺川を越える辺り、西側が少し高くなった所が射殿場の遺跡となる。

東側、西側、南側の三辺に土塁跡が残り城館跡と考えられているようです。

北東側から遺構の残る山林を見る。
手前が如来寺川。

北西側から。

近づいて一段上がる。
林の手前に僅かに堀跡が残る。

山林内、南側の土塁跡。

西側、耕作地との間にも僅かに堀跡が見られました。


現状:山林、墓地等
遺構:土塁
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

大城 付近(長野県駒ヶ根市)

2016年01月30日 | 長野県駒ヶ根市の城址
駒ヶ根市の南割地籍、上穂沢川北側の南割集会所から東側の辺りが地名の
大城林(おおしろばやし)と呼ばれることから城館があったのでは、と
考えられているようです。

上穂城の東側を通って南へと続く古くからの街道沿いで大北城、大城、射殿城
と続いています。

遺構等は無く、昭和47年に発掘調査が行われたようですが、南北に伸びる堀状の跡が一部見つかるものの、城館が存在したと推測出来るような中世の遺物は見つかってはいません。

南割集会所に車を停めて周辺を散策してみました。

北西側から北側、東側、南側へと歩く。
右に集会所。

東に進むほどに段差がはっきりとしてくる。

北側から歩いてきた北西方向を見る。

これから向かう東方向を見る。

東側から西方向。
城館を築くとすれば、この一段高い辺りか。

南東側から。

南側を上穂沢川が流れる。

南側から。

そして南西側から東方向を見る。

集会所に戻る。


現状:耕作地等
遺構:
状態:
表示等:なし
駐車場:なし