goo blog サービス終了のお知らせ 

城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

小原城(長野県伊那市高遠町)

2015年03月16日 | 長野県伊那市の城址

西側、県道付近から見上げた小原城跡。

所在地:長野県伊那市高遠町河南小原
現状:宅地、耕作地等
遺構:空堀跡
状態:わずかに遺構が見られます
表示等:小原丹後守の墓の表示
駐車場:なし

小原氏の館跡と言われています。
別名小原丸山城とも。
城跡の北西側に「小原丹後守の墓」が建てられており、その由来書きに拠れば、
「朝寝朝酒朝湯が大好き」な小原庄助さんの六代前の祖にあたる方と伝えられ
ているそうです。

北東側から周辺を散策してみました。

中央に見える小屋から右側が小原城跡。

道に沿って歩き、南西側から。

中央の林の所に堀跡が残ります。

右側の少し高くなった畑部分が郭跡と思われます。
手前の低い所は堀を埋め立てた跡でしょうか。


堀底を下って西へ。


堀底から見上げた郭跡。


城跡南西側。


道を少し登ると、城跡北側にも堀跡が見られます。


城跡北西側に建てられた「小原丹後守の墓」。


北側から見た郭跡。

橋場城(長野県伊那市)

2015年03月07日 | 長野県伊那市の城址
所在地:長野県伊那市富県南福地竹松
現状:宅地、耕作地
遺構:
状態:地形として郭跡が残る
表示等:なし
駐車場:なし

別名は竹松の小城。
竹松氏の館跡と考えられているようです。
橋場城と呼ばれるのはここに竹松氏の家老であった橋場氏が居住した為とか。

少し離れた県道の駐車帯に車を停めてから、
周辺を道に沿って歩いてみました。

北側から。

雪の残っている土手から奥が城跡のようです。

道はいったん北西へ離れます。

城跡は手前の丘にほとんど隠れてしまいました。
後方の山中には、御岳山砦の遺構が残ります。

再び南に向かって進み、城跡の西側に来ました。

中央の堀跡を挟んで右側が城跡。

道なりに近づいてみます。


さらに進んで南側から。


南東側から。

中央の数本の木のある所から右側は空堀を埋め立てて畑としたようです。

郭と経ヶ岳。


内城(堀之内城)付近( 長野県伊那市 )

2015年03月01日 | 長野県伊那市の城址
現状:宅地等
遺構:なし
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

特に遺構は残っていないようですが、付近の地名等から城館跡と考えられているようです。

今回は道に沿って周囲を散策してみました。

県道脇の現在公民館が建てられている所から東側にかけてが城の中心のようです。

公民館から南側方向。

北側方向。

小路通って県道から東側に抜けてみます。

現在の水路辺りは堀となっていたと考えられます。

南東側から見た城跡付近。段差はそれほどはありません。

北東側から。

小路部分や窪み部分にはそれぞれ空堀があったようにも感じられます。



水路が西側に向きを変える辺りが城の北端のようです。

東側、尾根上には浅間社城がありますが関係は不明です。






上島氏館 付近(長野県伊那市長谷)

2014年10月13日 | 長野県伊那市の城址
現状:美和ダム
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:美和ダム駐車場

非持の領主、上島氏3代70余年の館跡と伝えられる場所です。
その後、保科氏の国替えにより会津へと移っていったそうです。

美和ダムの建設等で地形も変わっていますがこの辺りのようです。
美和ダム駐車場から北側を見る。

西側を下ってダムの見学路があります。

西側下より望む。館跡は中央の鉄塔辺り。右側はダム壁。

館跡下段を通る秋葉街道。

北側から見る。

桑田砦 付近(長野県伊那市長谷)

2014年10月12日 | 長野県伊那市の城址
現状:耕作地等
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

大徳王寺城址の案内板に載っていましたので訪れてみました。
圃場整備事業によって地形も変わり、遺構も残ってはいません。
地名から城跡があったのではと考えられているようです。

南側から。

春に訪れたい、桑田薬師堂の枝垂れ桜。

北東側から。

南東側から。





大徳王寺城址 石碑(長野県伊那市長谷)

2014年10月11日 | 長野県伊那市の城址

先日、石碑が建立されたとのことで、久しぶりに周辺を散策してみました。

鎌倉幕府滅亡後、鎌倉奪還を目指し南朝方についた北条時行と、北朝方の信濃守護小笠原定宗の軍との間の4ヶ月に及ぶ戦い、大徳王寺城の戦い、の比定地とされる場所です。

城域は広く、上ノ城から下ノ城の辺りを中心に南北に砦を設け、地域全体が要塞化していたと考えられているようです。

案内に従って脇道へ。

立小路を上がって行きます、正面が上城。

再び案内があり、左へ入ります。

すぐに今回建立された石碑が見えました。(右側の案内板は2年程前に建てられたものです。)

西側より。
碑の背後、一段高くなった場所が丸山(六角城)。

北側から見る丸山。

丸山上部。

東側から。

背後の御殿山。

南東側、上垣外付近から見る上城、丸山方面。

羽場の城 付近(長野県伊那市)

2014年10月05日 | 長野県伊那市の城址
現状:宅地、耕作地、山林
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

火山峠から県道を伊那市側へ。下りきった所を東に入った辺りが城跡となります。
ここから北に進むと道沿いに城跡が続くので、時間に余裕が有る時には度々通ります。

さらに暇があったと或日に少し散策してみました。
館跡と城山からなる城跡ですが、城山は半分が削られて無くなっています。

南側から。
ビニールハウス背後の一段高く見える住宅から右側にかけてが城跡。

西側。左手から上がってみました。

途中。

平坦部、正面に城山があったようです。

山側に道が続きます。

城山の残り部分が見えてきました。

少し進んで城山部分を振り返ってみますが、とくに堀切が有るようには見えません。

道は北東側に尾根を割って続きます。この部分が城山と尾根を分ける東側の堀切と思われます。

戻って館跡を北側から見る。

上の城 付近 (長野県伊那市貝沼)

2014年06月03日 | 長野県伊那市の城址
所在地:長野県伊那市富県貝沼
現状:
遺構:不明
状態:
表示等:
駐車場:

手元の伊那市教育委員会の資料に貝沼公民館の建つ丘陵端に印がありましたので少し周囲を歩いてみました。

「伊那の古城」(篠田徳登著 ほおずき書籍刊)では、埋橋の城の東の方二百米位の所に、殆ど円形で五米から八米ほどの濠をもっている、と記されていますので、今回歩いた場所とは少し違うようです。

上の城はその埋橋の城と同じ埋橋氏の城と考えられるようです。

南側より。

庚申碑の左側に貝沼公民館があります。正面奥が荒城。

北側、荒城方向から見る公民館敷地。

敷地上から見る北側方面。中央の森が宮花八幡神社、一夜の城はその右側辺り。

公民館敷地の北側下を西に進む。中央に埋橋の城が見えます。
左端奥の木立のある辺りが「伊那の古城」に記された上の城辺りか。

振り返って公民館方向。背後の中央右の山頂が貝沼の物見ヤ城。



後日、木立の近辺へ。

この辺りが「伊那の古城」に記された上の城跡か。
ほ場整備事業により地形も変わってしまったようです。

西北西から丘陵全体を遠望。


原勝間の城山(長野県伊那市高遠町)

2014年05月12日 | 長野県伊那市の城址

西勝間から見る城山。

所在地:長野県伊那市高遠町勝間原勝間
現状:山林
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)に、
記載がありましたので訪ねてみました。

「上伊那郡誌」の城塞一覧の河南の項に「勝間の城山 勝間の南東山頂」とあるのみで
掲載の地図上も大雑把な図の為、場所は不明です。

尾根上に送電線の鉄塔がありその南の尾根上の小山、またはそのすぐ上の990.2mの三角点
のある小山ではと推察されています。

原勝間には東側に古城、西側に荒城の地名があり、城山は荒城から南側に上がって行く
尾根上にあります。


今回は西側の龍勝寺下の林道から向かいました。

登り始めて10分ほどで尾根上へ。

左側へ下ります。

小山へ下る尾根。


鞍部から振り返って見る下ってきた尾根。


これから向かう小山方向。


少し登ればすぐに小山山頂。

狭いですが平地になっています。

山頂から尾根は北東と北西に延びています。

尾根北東側。


尾根北西側。


北西側の尾根を鉄塔方向へ下ると尾根上に平地があります。

左手をさらに下ると鉄塔があります。

鉄塔の所で西側送電線方向に少しだけ視界が開けますが、それ以外は樹木に遮られ展望はききません。

戻って990.2mの三角点へ。

林道から見上げる。

林道で削られてしまって本来の地形は残っていません。

三角点付近。


三角点。




貝沼の物見ヤ城(長野県伊那市)

2013年10月11日 | 長野県伊那市の城址
所在地:長野県伊那市 富県貝沼
現状:山林
遺構:郭、土塁、空堀、等
状態:遺構は良く残っています
表示等:あり?
駐車場:なし

富県小学校の東、高鳥谷山から北側に伸びる尾根上が城址となります。
尾根の一番北側のピークに土塁を巡らした主郭と北側に2つの郭が見られます。
それぞれの郭の南北の尾根には堀切、東側の斜面上には段曲輪が築かれています。

物見とも狼煙台とも、城主城歴等不明の城跡ですが遺構は良く残っています。
山全体が茸山でシーズン中は入山禁止となっています。

以下、と或る初冬に訪れました。

御殿場遺跡から高鳥谷山スカイライン(普通の林道です)を尾根上へ。
北林に下る峠部から尾根上を北に進みます。


一つピークを越えて再び登りにかかると主郭南側の二重の堀切が現れます。


主郭東側下の曲輪。


見上げると急斜面上に虎口が。


更に北西に回り込むと北の郭との間の堀切が見えてきます。


北の郭の土塁。


東側下に段曲輪。


戻って斜面を登り主郭へ。


北西隅に三角点。


判読は難しいですが、物見ヤ城の標柱が中央に建てられています。


主郭から見下ろした南側の二重堀切。