11月24日(木)
このたび某剣道具店さんから、
ドサッと「家紋シール」をお頂きました。
自分のおうちの家紋を調べてみましょう。
おうちの家紋のシールがあれば差し上げます。
こんな感じに楽しめます。
11月24日(木)
このたび某剣道具店さんから、
ドサッと「家紋シール」をお頂きました。
自分のおうちの家紋を調べてみましょう。
おうちの家紋のシールがあれば差し上げます。
こんな感じに楽しめます。
11月19日(土) 某道場様に出稽古
選挙の関係でいつもの剣道場が使用できません。
隣り町の道場様にお願いして小学生だけ出稽古です。
ご指導を先様の師範先生にお任せしている間、
小生、普段の稽古ではチェックしていない、
子供たちの竹刀やコテ、剣道具袋、竹刀袋、
子供たちの移動の所作、見学の父母様の立ち居振る舞いに目がつきます。
穴が開いてるコテを2人発見。
その一つが写真のKosei(小1)君の左コテ。
さっそく家に持ち帰り小生自前で修理。
補修をしながら小学1年生の子供は、
左手の親指第一関節にこんなに力を込めで竹刀を握っているのかと、
思いを馳せます。
母様も今日の子供の練習試合を手を握りしめて見ていたのか?
いや違う、どうやら今は子供の試合はスマホ撮影して、
家に帰ってから小さい画面を見るのが習慣になっている。
リアルに子供の試合を肉眼で見る習慣が少なくなった。
スマホが普及する前、三脚立てて肉眼とビデオカメラと、
両刀使いの平成時代が懐かしい。
11月3日(祝) 日本武道館
第70回全日本剣道選手権大会
全剣連公式動画の決勝戦を視聴して、
決勝戦にふさわしい試合に感動しました。
コロナ禍の暫定的な試合方法により、
剣道界全体で、つばぜり合いからの攻めに乏しい打突や、
避けて近づきこねくり回しての打突を見る機会が少なくなりました。
今回の決勝戦も真っ向勝負の場面が随所であり、
ぜひ子供たちにも見てもらいたいと思い紹介します。
決まり技を、設定→速度設定→0.25にして、
スローで視聴しましょう。
第70回全日本剣道選手権大会 決勝戦
https://www.youtube.com/watch?v=dqWiTsmqO2U
選手同士の右足先の駆け引きに注目。
動画編集者が、
最後までお相手から目を外さない事を訴えているように感じるのは、
私だけか。
11月6日(日)
第59回桑名市民体育大会(剣道競技)
参加者
小学生 54名
中学生 63名
高校生一般 50名
小学生1年生の部
優勝 佐々木
三位 伊藤
小学生2年生の部
三位 本村
小学生5年生の部
二位 渡邉
三位 宮島
小学6年生の部
二位 佐々木
三位 矢野
中学男子の部
宮島 (ベスト8)
一瞬だけマスクを取ってパチリ!
(中学生は写真のタイミングに合流できませんでした。)
写真後列左のジイ様、今回も最高齢出場65歳。
前列小1佐々木、伊藤と年の差59歳。
十何年も前に先輩先生(もう、どなただったか思い出せませんが)に頂いた新聞投稿記事を、
今も小生書き写してパソコンに大事に保管しています。
11月3日、全日本が開かれる本日、厳しい稽古を積み重ねた選手の皆さんの子供のころに思いを馳せ紹介いたします。
「忍耐する剣道を子供らに」/スポーツ体験・観戦記
(産経新聞2005年3月11日夕刊)
四十歳過ぎから始めた剣道もやがて二十年になる。その間、段位は当初の目標に達した。年をとったし、そろそろやめてもいいかなと思ったりもする。しかし、なぜかやめられない。剣道の理念は自らを律し相手を敬い尊ぶことである。この精神のもとで大人も子供も日々の稽古を積むわけである。これがなかなか耐え難く身につかない。
厳寒であろうが胴着一枚であり、酷暑の中でも防具をまとって稽古する。すべて快適な時代に逆行して剣士は淡々と繰り返すだけだ。稽古にしても、基本動作を繰り返すだけで子供たちを引き付けるような派手さは何一つない。
しかし、地味で忍耐を要する稽古を積んできた子供たちは、りりしいものである。背筋を伸ばして正座している姿は子犬のようにじゃれついてきていた子供たちではない。無自覚ながらも気骨を宿した剣士の顔である。
この凛(りん)とした姿を見て胸を熱くするのは私だけではないはずである。地稽古となれば道場は喧躁(けんそう)と怒号の坩堝(るつぼ)と化す。時には暴力と見間違うほどの激しさになる。こんな指導の場にわが子を託している親はわたし以上の熱い思いを抱かぬはずがない。
暑さ寒さの中に身を置くのも修業。子供を見守るのは親の修業。指導者の修業は倦(う)まず飽かずである。道場に集まるものがそれぞれの立場で剣道のなんたるかを問い続けているわけだ。
犯罪に遭う子、走る子。子供が危ないといわれて久しい。それぞれの最たる原因はわがままに放任されてきた子供らに多いという。ならば道場に通うこの子らは大丈夫である。日々の厳しさに耐えている。泣きながらでも稽古をやり通す。アザが出るほどに打たれても逃げ出すことはない。たとえ、泣こうが叫ぼうが稽古は中断されることはないし、親が助けに入ることもない。そんなこと覚悟のうえである。
今の子供たちに必要とされることのすべてが課されているのが剣道である。剣道は礼に始まって礼に終わることを旨とする。正座をし、両手をついて親に礼をする子供たちの姿は剣道の真骨頂である。
何かにつけ年齢を痛感する六十路にあって、彼らはわたしの胸を熱くしてくれる。薄れていく熱いものを蘇らせてくれる。やめられないゆえんである。
DH様
お名前はイニシャルにしました。
今の時代なら新聞には記載されない投稿文だと思います。
「何かにつけ年齢を痛感する六十路にあって、彼らはわたしの胸を熱くしてくれる。薄れていく熱いものを蘇らせてくれる。やめられないゆえんである。」
小生まさに同感である。