como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「太平記」を見る。その19

2012-09-27 22:02:20 | 往年の名作を見る夕べ
第37話「正成自刃」

 湊川で、話にならない寡兵で6時間奮戦し、敗れた楠木正成(武田鉄矢)は、尊氏(真田広之)の降伏勧告を断って敗走します。尊氏はあえて追わず、「無下にその首を争わず、しずかに最期をみとどけよう」と。
 そして正成と正季(赤井英和)、わずかの郎党たちは、無人になった山村のお堂に落ち着くのですが、なぜかこのお堂に、カイコがいっぱいいるんだよね。ぎゃー。わたしカイコって生き物が、もうこわくてこわくて、見ることもできないの。こういうのはなにより勘弁~~!!
 ぜいぜい。いやそれは個人的なことですね。うち捨てられた御堂のなかには、美しい菩薩像が佇んでいます。破れ窓からは、それはそれは美しい落日が見えます。「最期にこの美しい夕陽がみられるとは…」と感動する正成。
 そんな兄貴に、正季は、兄者、長い間わがままを申しました、それがしがこんな脳筋バカで、血気やむにやまれず兄者を巻き込んでしまった、と深く謝ります(けっこう自分のことわかっていたんだね)。でも、正成は「かほどの大事、だれに引かれてするものぞ。そは正成のうちにある運命というものであろう」と。
 そして、人は末期に願ったことで来世が決まるというが、正季はなにを願う、と尋ねます。正季は、「七生鬼と生まれ変わって朝敵を滅ぼしたいと思います」と、懲りてないのですが、正成は、
「家の小庭に花を作り、外に戦無き世を眺めたい。七生、土を担ぎ土を耕す、土民のはしくれであってもかまわぬ。今生では見果てぬ夢じゃったが、来世では、いや、七たび生まれ変わるうちにさような世の中に出会いたいものじゃ」と。
 そして妙に平和な空気のうちに日が落ちる頃、お堂は残党狩りに包囲されます。火矢をかけられ、炎上する中で、一同はなにも抵抗せず、菩薩にむかって読経し、次々に刺し違えて命を絶っていくのでした。

 正成の首級は、東寺にある足利本陣に届けられます(これがデスマスクとかじゃなく、ガチ武田さんの首を合成した特撮!←手品風)。兄と慕った正成の首を見つめる尊氏に、師直(柄本明)が、慣例で、敵将の首は晒して戦勝をアピールしなくてはならないと言いに来ます。
 正成の首をさらすことはとてもできない心境ですが、そこは武将の義務。尊氏は「首札はわしが書く」といい、結局正成の首は、パッと晒されて、パッと回収され、ねんごろに首桶に収められて、河内の国に届けられます。「そなたしか頼める者はない」と託された、一色右馬介(大地康雄)の手で。
 河内で、正成の首桶を受け取った久子夫人(藤真利子)と嫡男正行、郎党たち。あんたちゃっかり生きてんじゃん、の桜金造がいたりして (笑)。
 父の首を正視できない正行を、母・久子が「正行どの」とキリッといさめ、正行はけなげに首と対面、「確かに父のしるし。足利殿のご厚情かたじけのうござりまする」と、受け取りをしっかり果たします。

 正成の敗死は内裏にも衝撃を与え、敗走してきた新田義貞(根津甚八)は吊し上げられて針の筵です。
 今後の展望を聞かれ、とにかく都を死守して足利軍は一歩も入れない、まかせてください!と決意を述べる義貞。ですが帝は、「昔よりこの都は攻めるに易く、守るに難しと言われている」、いまとなっては正成の策が適切だった(ってなんだ今頃―!!)、速やかに動座して足利を都に入れ、兵糧攻めにいたそうぞ、というわけです。さらにそれに坊門清忠(藤木孝)が「まさしくそれが上策、みなみながた、直ちに御動座の準備に取り掛かりましょう」とイケシャアシャアと。
 さすがにムカついた公家さんがいて、坊門殿、あんた正成がそれ言ったときにケチョンケチョンに貶したじゃないの、と突っ込むのですが、「なにを申される、湊川の合戦の前と後では事情は大違いじゃ」なあんて、ほんとシレッとしてて、最高のキャラだよねこの人。
 帝は、これは逃げるんじゃない、叡山に行幸するんだ、と負け惜しみをいいながら、担がれる恐れのある皇族は全員連れて、叡山に引っ越しを指示するのでした。

 ということは、尊氏が義貞追討の院宣を得て担いだ持明院統の光厳上皇も、叡山に連れて行かれるわけです。それを見越した尊氏は、「上皇にはこの男山八幡宮に行幸いただくのだ」といい、ようは、足利の本陣に上皇を拉致してこい、と。
 つまり、これは足利勢で別の帝を担いでしまう、ということですね。天皇をふたり作ってしまうのです。おそるべきことです。口には出しませんが、言った本人も、師直や佐々木道誉(陣内孝則)も微妙に顔を引きつらせてます。
 かくして、光厳上皇と豊仁親王は、ひそかに都から脱出、足利軍の本陣に身を寄せることになりました。南北を二分する皇統分裂の始まりです。

 天皇を担いだ尊氏は、意気盛ん…とはいかず、どっぷり落ち込んで、陰気に写経などしています。道誉は、尊氏にしみじみと、「おもえば不思議な…。あれは三年まえ、この東寺で、高氏殿と、都に還御される帝をまっていた…」といい、気が付けば恐ろしい変わりようで、正成殿もおらず、千種どのも露と消え(って消えてたのかモックン!いつの間に!)、なにより帝が別人になっている。これで良しと思われるのか?と。
 尊氏はすんごく落ち込んでて、これで良いのじゃ…とかいいながら、もう神仏のご加護を願うのみ、じぶんなんかダメだから、「これからはすべて直義に任せようと思うて、はや遁世したい一心じゃ」
 まあ、足利尊氏ってひとは、躁鬱病説もあるくらいで、気持ちの浮き沈みが極端だったらしいんですよね。この気弱な告白も、ほぼ同じ内容の書簡が残ってるとか。尊氏の精神状態を心配した道誉は、「そんなことを言ったら御辺についてきた武士が途方にくれるぞ、なにより、御辺のあとの天下を狙っているわしの苦労が水の泡じゃ、それは困る、困る困る困る」と騒いで、気持ちを引き立てようとします。うっ健気な友情だなあ(爆)。なんだかんだいって、この人がいちばん、欲得抜きに尊氏のことを好きなんだよね。

 尊氏は光厳院をかついで都に入り、後醍醐帝は叡山に。この境遇に納得がいかない帝周りのひとたちは、ストレスがたまり、阿野廉子(原田美枝子)は、義貞を呼びだしてネチネチと言葉責めにします。
「のう左中将どの、そなた鎌倉攻めいらい、名だたる勝ち戦はないそうじゃのう。いちど奇襲でもかけ、尊氏の印、上げてこられぬものか」…などと言われた義貞は、コンプレックスに火を付けられ、おどろくべき奇行に出るんですね。
 京都奪還の総攻撃に打って出た新田軍。この戦で名和長年(小松方正)が討死し、早くも劣勢となると、総大将の義貞は、自ら足利軍本陣の正面玄関に特攻をかけます。「尊氏殿、見参――!!」と呼ばわって、
「尊氏殿、良く聞け。天が乱れてやむことなく、罪なき民を苦しめて久しい。されど、そもそもこの戦は、尊氏殿とそれがしの宿縁によるものではござらぬか。いたずらにいくさを続けていれば、万民の苦しみは増すばかり。されば東国武将の習いにのっとり、尊氏殿とそれがしの一騎打ちによって雌雄を決したい。かようにおもい、義貞自ら軍門にまかりこした」
 うそかまことか、この矢一本受けて知るがよい、と、ほんとに発射する義貞。これに、尊氏の東国武将だましいに火が付き、周囲の制止を振り切って、出撃しちゃうんだよ。そんで義貞と一騎打ちしちゃうんだよ。え、え、マジすかーーー!!…ってそんなんあるわけないが、まあいいじゃないすか、おもしろければ。娯楽として。
 いや、この場面みて、大河ドラマの、ぶっとんだ娯楽シーンというもののあり方について、かなり深くいろいろ考えました。それはまた別途考察する機会を持つとして、この一騎打ちは「結局、勝負がつかなかった」って、そりゃそうだよ(笑)。それよかどう回収するんだこれ。そっちの始末が重大。

第38回 「一天両帝」

 ってなことで、尊氏と義貞の、んなことあってたまるか大将一騎打ち(笑)シーンのあとのことは、回収されずにスルーして(あたりまえだが…)、太平記はここから第三幕に入ります。
 吉野に動座した後醍醐帝に、尊氏が使者を送って和睦を申し入れた、ときいた直義は、怒りで真っ赤に火い吹いて兄・尊氏のところに怒鳴り込みます。
 すると、尊氏は、お地蔵様の絵などを描いているわけですね。「日課じゃ」とか言って。いや実際、尊氏は仏画が趣味、というか心の安らぎを求めていたようなんですけど、思えば鎌倉幕府滅亡直前の北条高時も、同じようなことやってんだよね。そのときは、遁世気味に仏画を書く高時のとこに火い吹いて乗り込んでいったのが高氏(当時)だった。
 直義は、そういう尊氏を「大殿(と、この回から呼んでいる)もすっかり抹香くさくなったものよ」と皮肉り、自分に政はまかせるといったのに…と、怒りをぶちまけます。が、尊氏は、「帝が体面を保ったまま戦をやめるには、足利に下るのではなく、持明院の帝(光明天皇)と和議を結ぶという体裁にすること」と。そして帝が山を下りて京都に入れば、帝の出先として京都で戦っている新田義貞の立場がなくなる、と。ようはそこがツボってことですね。

 それは当然、義貞の耳にも入り、二階に上がって梯子を外されそうだと気付いた義貞は、激しい焦慮にかられます。
 そして義貞に替わって、郎党の堀口貞光(門田俊一)ってのが、比叡山の帝の行在所に乗り込んで行って「義貞を見殺しになさるおつもりか!」抗議の直訴をするのですね。「下がれ下郎」とかいわれて、まったく相手にされないのですが。  そんな家来を回収しにきた義貞も、「無骨ものの主人を思う故とお許しくださいませ」と陳謝しつつ、「この義貞すらもこれへ参るまではまったく逆上ぎみでございました」と、便乗して帝に抗議、真意を問いただそうとします。
 そんな義貞に、帝は、おまえを見捨てるのじゃないのだ、と。和睦するとみせて尊氏を油断させ、京都を手の者で取り囲む。すでに奥州の北畠軍をはじめ、各地に軍を配しているので、おまえもその一環として、越前にいって布陣しろと。「義貞、そちが頼りぞ

…ってなこと言われてその気になって、北の僻地に向かう義貞。季節は冬。吹雪の中、義貞の軍は大変な苦労を強いられます。
 そんな苦労の道中に、ふいに、匂当内侍(宮崎萬純)があらわれます。「来てしまいました…お会いしたくて…」。驚きながらも内侍をひしと抱きしめる義貞。
 そして次のシーンでは、すでに事後、下着姿でしっぽりと抱き合うふたり。「どこまでもお連れくださいませ…」とすがる内侍を、いまは冬、越前の冬はとてもそなたには耐えられない、春になったら呼ぶので待っててくれ、と義貞は宥めます。ですが、「もう待つのはいやでございます…」と、いつになく頑なな内侍。あなたに愛されて、帝の気まぐれなご愛顧を待つ人生から解放されて生きる喜びを知りました、みたいなことを言うのですが、なにか察するものがあったのでしょうね。
 結局、この一夜が義貞と内侍の今生の別れとなり、太平記を彩ったラブロマンスも一巻の終わりです。

 帝は京都にはいり、花山院に幽閉されます。そこを尊氏が訪問し、ふたりは久々の対話の時を持ちます。
 わずか一年の間にそなたは変わった、あんなに忠実だったのに、となじる帝に、尊氏は、「この一年、天下のうねりにのり、諸国を経巡り、九州から西国と見聞きして、得難いものを得た。もはや尊氏は一年前の尊氏と違うておりますのはやむを得ぬこと」、そして世の中も激変し、もう古い形態は通用しない。帝の理想とする延喜天暦の世のように「朝廷が武家を養い、武力を統御するのはもう無理かと存じまする」とハッキリ言いきってしまいます。
 お前は裏切っても義貞は命を懸けて朕を助けてくれるだろう、という帝に、尊氏は、
「されどその義貞も、時を得れば一大将ではおりますまい。かりにこの尊氏を破り、時代の覇者ともなれば、かならずや幕府を作ることになりましょう。武士とは、さようなものにござりまする」
「武士とはそのようなものなれば、朕と武士とは永久に相容れぬものぞ…」

 この帝のことばに、尊氏は、「無念にござりまする…」と。自ら、帝との和解の道をさぐる旅に、終止符を打つのでした。

 帝との関係を断ち切って辞去した尊氏を、阿野廉子が呼び止めます。どんな状況でも手を打って保身の道を確保する、すごい生命力の廉子は、尊氏を色仕掛けで攻略しようと迫りますが、尊氏は、やんわりと、「いままでの慣例に乗っ取ると、いまの持明院統の帝の次は、准后様のお子である成良親王…」といって、廉子の気持ちをくすぐるのですね。
 これでフワーッと心が動いた廉子にすかさずつけこみ、成良親王への譲位をスムーズにするため、帝が握って離さない三種の神器を、持明院にいったんお渡しになってはどうか。その点、准后様から帝にお口添えあそばしては…と、親切ごかしてすすめる尊氏に、廉子は、「これからは足利殿におすがりいたします」と、じつにアッサリ転びます。
 かくして神器は手にはいり、もう尊氏は気持ちもサッパリして、京都に新しい幕府を開き、堂々と武家政治を始めるのですね。尊氏自身は、頼朝と同じ権大納言に任ぜられ、建武式目も制定されます。室町幕府の始まりですね。

 ですが尊氏は、政治の実権は直義に預け、自分は大御所として一線から退くと宣言します。それを聞いて、ものすごく複雑な、厳しい顔をする師直。この人は、もともと直義がきらいだからね。
 あと、そのうしろに貼り付いていてセリフもないのが、師直の兄の高師泰なんだけど、これはなにげに塩見三省さんが演じてます。
 直義の実務、尊氏の院政が始まって間もなく、花山院の帝が逃亡してしまいます。もともと尊氏は、帝の扱いには腰が引けてたのかなんなのか、警備もあまかったんですね。パニクる直義や郎党たちに、尊氏はアッサリ笑って、「はっきり言ってあの先帝をどうすればいいか困ってた。自分で姿を消してくれたならそれで結構じゃないか」みたいなことを言い、みんなを拍子抜けさせます。

 ですが、当然ですが逃げた帝はすぐに逃げた先の吉野で復位を宣言するわけです。北畠親房(近藤正臣)がブレーンとなり、顕家(後藤久美子)も奥州から足利討伐の旗を挙げて、これで形としては、天下に天皇がふたり。一天両帝という、異常な時代のはじまりです。
 ふたたび世が乱れる。それを見越しながら、尊氏は一心に仏画を描いてます。それを例によって佐々木道誉がちょっかい出しにきて、「こんどこそ吉野の先帝を敵として戦わねばなりませぬな。それもこれも足利殿のあいまいな態度ゆえ」、いつまでも先帝LOVEでいるからこんなことになったんだ、と暗に皮肉る。
 尊氏は仏画をみつめながら、「一度つけた墨は白くはならぬな…」と。
 そうそう、あの高時も、仏画を描きながら、「先帝を(先帝は同じ人だよね)殺してしまえというけど、先帝を殺して極楽も見なくちゃならんのか」とか言って悩んでいたんですよね。なんとなくそこと通底するような感じもするのが、なんとも、なんとも。


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