como siempre 遊人庵的日常

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「独眼竜政宗」を見る!(7)

2009-02-28 22:37:48 | 往年の名作を見る夕べ
 このドラマのセリフ偏差値の高さというものは、もうなんてことないダイアローグを聞いているだけでウットリするんですが、22年前にはこういう日本語がまだふつうに通じてたんだよなあ…と思うと複雑な気分になります。
 たとえば成実の三浦さんが口癖っぽく「なんの恐るることやあらん!」ってよく言うんですが、ああいう言い回しが若いイケメン(当時)俳優の口からサラッと出るのが新鮮だったんですよね。ふつうに「恐れることなどござらぬ」とか言ってしまうのとでは、だいぶセリフに漂う気品が違う気がします。
 それから、虎哉宗乙という人物。こういう人物をこのように味わい深く描くには、脚本家にしっかりした教養が必須なんだなあとつくづく思いました。「高僧」ってキャラはドラマのお飾り的に安易に出すもんじゃないですね。あからさまにボロがでます。
 そんなわけで、このあたりではシルバー勢大活躍。脚本もノリノリですぞい、の、第13・14話を見ます。


第13話「人取橋」
 
 仮葬儀がすんだあと、お骨になった輝宗父さんは米沢に無言の帰宅をします。号泣するお東の方(岩下志麻)。米沢を悲しみが覆う中、家臣の後追い自殺が家中に横行しはじめました。殉死した者は手厚く遇して遺児は優遇するようお東の方が命じたため、後追いはエスカレート。二本松で膠着戦をしている政宗(渡辺謙)も頭をかかえます。
 二本松が豪雪で休戦となり、一時米沢に帰還した政宗は、お東の方から、「父上をそなたが討ったとうわさがあるが本当か」と難詰されます。あれはそういう状況でしかたなく、父上が虜にされるのを恥じて自ら討てと命じたのです、と説明する政宗にお東の方は聞く耳をもたず、取り乱して、親不孝者、恐ろしい息子、父上もあの世で嘆いておられるなどなどと罵倒のかぎりを尽くします。
 さらに家中の分裂が拍車をかけて、輝宗の兄弟や親族衆は、政宗が輝宗を謀殺したのではとあらぬ疑いをかけます。家中が沈み込む中、小十郎(西郷輝彦)は、出産間近の妻の蔦(音無美紀子)に、大恩ある大殿の喪中に個人的な慶事はできない、産まれる子が男の子なら命はあきらめてくれ、といい出します。小十郎~!なんてことをいうんだあ!!…いまどきの大河ドラマじゃこんなエピソードはちょっと考え付かないですよ。ものすごい非情!!
…で、輝宗の側近中の側近の遠藤基信(神山繁)が墓前で殉死し、盟友の鬼庭佐月(いかりや長介)は号泣します。基信の一件で家来には殉死厳禁の布令が出、長年密かに輝宗をしたっていた喜多(竹下景子)が、殉死などありえない、大殿の大恩にむくいるためわたしは骨になるまで伊達家に尽くしますと宣言したりもして、小十郎は考え直…せばいいんですが、まだわかりません。
 さらに、恩師の虎哉和尚(大滝秀治)も政宗のもとを去ります。父が死に、ベテラン家臣に後追い自殺され、さらに和尚に去られてどう生きていったらいいのかと弱音を吐く政宗に、「自灯明、法灯明。おのれ自身を頼みとされるが良い」。何時の日か名君となった殿のご尊顔を拝しに戻るのが楽しみでござると、笑って去っていく和尚でした。
 で、雪の中で膠着している二本松攻めの戦ですが、にわかに芦名・佐竹などの連合軍が大量に二本松の救援に押し寄せて、包囲された伊達勢は絶体絶命の危機に陥ります。父の弔い合戦で、全滅しても一歩も引くことはできないと、政宗は全軍一丸で総攻めを下知。敵が押し寄せた「人取橋」を死守すべく、自ら体を張って打って出ます。
 が、伊達は数も少なく劣勢で、ついに人取橋を破られてしまいます。そこへ佐月が、人取橋を自分に任せてほしいと申し出ます。盟友・基信に死なれ、死に場所を得たいと切望する思いを汲んで、政宗は采配を佐月に託します。
 黄色い頭巾(!)を靡かせた佐月は老骨に鞭打って出陣、敵陣に突っ込んで暴れまくり、壮絶な最期をとげます。佐月の奮戦に刺激された伊達勢は気力を取り戻し、敵を押し返して人取橋を奪取します。
 息子の綱元(村田雄浩)の腕にだかれて佐月の最期のことばは、「そなたは長生きをせよ、長生きして殿にお仕えするのじゃ。わしのように若死にをしてはならぬ」でした。いや~、ホロッとくる老臣の最期の場面に、この一抹のお笑いが、実にいい味を出してて。秀逸なシーンでした(笑)。


 第14話「勝ち名乗り」

 人取橋の激闘で、芦名・佐竹などの援軍は押し返したものの、堅牢な要害の二本松城はなかなか落ちず、伊達の武将も帰宅できずにいます。
 前回の小十郎(西郷輝彦)の子供の殉死問題はまだ片付いていませんで、愛姫(桜田淳子)からの助命嘆願で事態を知った政宗(渡辺謙)は、そんなことは決してするなと小十郎を強く叱責します。さらに成実(三浦友和)が、殺すくらいなら門前に捨てておけ、オレが拾ってりっぱに育てる!と友情溢れる言葉で、感涙した小十郎は米沢の喜多(竹下景子)に手紙を送ります。喜多が小十郎の留守宅に駆けつけると、蔦(音無美紀子)が男の子を産み落としたばかりでした。すんでのところで知らせが間に合い、殺されそうになっていた男児は命拾いします。
 二本松攻めは難渋し、政宗は気持ちを静めるために京から呼んだ茶人・鈴木重信(平田満)と茶をたしなんだりしています。これからの戦は経理や武器調達なども重要になってくると感じた政宗は、この重信に「有能な経理はいないか、身分も問わない」と相談。そんなことしているうち、兵糧が尽きた二本松城から開城の申し出があり、伊達勢は戦わずに敵城を手中に収めることになりました。が、敵をすべて討ち取って伊達の勇名を轟かせるべきだと主張する成実ら好戦派と、城主の妻子と残党を穏便に逃がして、東北平定の重要な拠点になりうる二本松城を確実に手中にすべきという小十郎らで意見が割れます。
 結局、政宗が選択したのは穏便解決の道でした。無傷の二本松城を手に入れた政宗は、領主となってはじめての戦勝による領土仕置をおこないます。はじめての体験で感無量の政宗。二本松は成実にあたえられ、小十郎も一城のあるじとなりました。また、例の経理係は、相談をうけていた鈴木重信がみずから「考えたら、わたしほどの適任はいません!!」と申し出て、一同目が点に…。
 かくして政宗は米沢に凱旋。輝宗の死であんなに政宗を罵倒したお東の方(岩下志麻)も満面の笑みで政宗を迎えます。この人、表裏がある性格なんじゃなく、単にすごく正直なんでしょうね。で、子宝にめぐまれない愛姫が「次はお世継ぎ」と子宝祈願のお札を渡され、落ち込む場面もあります。
 この回は、天下の情勢にも視点がうつります。なかなか軍門に降らない徳川家康(津川雅彦!)を懐柔するため、秀吉(勝新太郎)は、妹の旭姫(野川由美子)を夫と離婚させて嫁として送り込みます。秀吉の怪演はあいかわらず凄く、そのキョーレツさは、そのあと家康が登場して、有名な、家康・秀吉会談前夜に秀吉が家康と密談におよぶ場で最高潮にたっします。
 秀吉が家康に向かい、「明日はそなたに頭を下げてもらわねばならぬ。今宵はこの秀吉が頭を下げまする、このとおりじゃ」といって手をつく場面。ここは定番の場なので、いままで数多の秀吉・家康が演じてきたわけですが、この顔合わせは歴代1,2じゃないでしょうかね。濃い濃い。家康役者の津川雅彦、今よりだいぶ若いんですが、家康の粘着質なというか、なんともいえず食えない感じがにじみ出ていていいんです。
 というわけで、天下がこんなふうに大きく動こうとしているとき、政宗は片田舎の米沢で、はじめての戦勝に大満足して、おとうさんの墓前に報告をしています。このとき、40代の両雄にたいし、政宗はまだ19歳です。


(つづきます)     


14 コメント

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小十郎の忠義はズレてる (ぽんつく)
2009-02-28 23:31:13
いくら戦国時代で、今ほど人権重視でなくても、家臣に子殺しされたら主ドン引きですよね。重い、重すぎるよ。ストーリー的に、政宗に子供ができないのに俺が先越すのは・・・ってニュアンスも感じられ、逆に失礼だろうと思いました。
遠藤基信の殉死は悲しかったけれど、同時にいい主君に仕えて幸せだったという真情も伝わってきて、なんとも切なくうらやましかったです。

こうしてレビューを読んでいるとお東の方って、完全に悪の姑、昨今認知されだした毒親そのものの言動だったんですね。
19歳の政宗、背負う荷が重過ぎますねー。


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鈴木重信=平田満さん (そら)
2009-03-01 02:23:16
はじめまして、こんばんは。
いつも楽しく読ませてもらってます。
勉強にもなりますし。

ところで記事の文章中の鈴木重信=岡本信人さんではなく、平田満さんですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E7%9C%BC%E7%AB%9C%E6%94%BF%E5%AE%97%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

何話か忘れましたが、横暴な振る舞いしてる
幼少の梵天丸が庭に居て、お東の方が駆け寄り母子の心温まるシーンがありますが、2人の身体か着物が当たってるのか、はりぼての庭石が動いてるのが笑えます。

管理人さんのレビューを読みながらDVDを観てると面白いです。

輝宗様は、北条時宗の時の謝国明で商人の割りに国のトップ時頼(渡辺謙さん)と気軽に話したり、謝国明の息子・太郎(松重さん)は必殺仕事人の元締めみたいなことやってたのが思い出されます。太郎に派遣された仕事人・狂犬ハチが、景勝様(北村一輝さん)ですし。
北条時宗は、結構子役が達者だったのも覚えてます。全体としてはとんでもな迷・珍作大河でしたが。
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鬼母も可愛く… (庵主)
2009-03-01 18:28:18
ぽんつくさん

>今ほど人権重視でなくても、家臣に子殺しされたら主ドン引きですよね。

ほんと(笑)。実際に小十郎が子供を殺していたことを後で知ったら、消えないトラウマになってたでしょうね。

でも、もしかして「喪中に家臣の慶事はNG」というほうが戦国時代の常識だったのかもしれない、そんなこと気にするな、子が産まれるのは目出度いと鷹揚にわりきる政宗のほうが破格だったのかもな~、などとも思いました。戦国の世のキビシサがこんなところにもにじみ出るようで…。

>お東の方って、完全に悪の姑、昨今認知されだした毒親そのものの言動だったんですね

モンスターペアレントですよね(笑)。むしろ今見たほうが新鮮で、リアルに感じたりします。リアルタイムで見た当時は、とんでもない鬼母としか思わなかったですが、なんか今見ると、可愛く感じたりします。
ま…この先かわいいなんていってられないことになるんでしょうけど…。
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いらっしゃいませ♪ (庵主)
2009-03-01 18:36:23
そらさん

ようこそいらっしゃいました。いつも読んでいただいてありがとうございます♪

>鈴木重信=岡本信人さんではなく、平田満さん

アチャー
なにを勘違いしてたんだ私(笑)。さっそく訂正いたしました。ご指摘ありがとうございます。
でも岡本さん=平田さんって意外と似てるような気が…キャラ的に…(←言い訳)

2人の身体か着物が当たってるのか、はりぼての庭石が動いてる

(笑)。
ことしの大河ももーちょっとビシッとしてれば、ハリボテ毘沙門堂もご愛嬌ですみますのにね。

謝国明はかっこよかったですよね。あのドラマは、謙さんが退場したあとあんまり見なくなってしまった(迷走についていけなくなり…笑)のですけど、藤達也さんとの組み合わせは渋くセクシーで目の保養でした。また大河ドラマに一緒に出てくださらないかしら。
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こんばんはです (ikasama4)
2009-03-01 19:27:29
改めてこうして物語を追いかけるだけでも
この作品はよく考えられていると共に
その時代に生きた人の人柄などをよく描いているなぁと思います。

>わしのように若死にをしてはならぬ
なるほど、左月ならではの台詞ですね。

ちなみに鬼庭家は代々長寿の家柄で
綱元も92歳で亡くなっています。

その歴代鬼庭家の中で
左月だけが七十代で亡くなった(戦死ですが(; ̄∀ ̄)ゞ)そうで

後日、綱元は父・左月を語る時
「父は運悪く73歳で早死にしてしまいました」って
逸話があるそうですからね。


これを読んでいるだけでも
今年の大河にはもう期待は出来そうにないです(苦笑)
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ほぉ!! (庵主)
2009-03-01 22:51:46
ikasama4さん

佐月の「わしのように若死にしてはならぬ」はギャグだとばっかり思ったんですが、

>その歴代鬼庭家の中で左月だけが七十代で亡くなった

それは目からウロコでした!
ほんとに若死にだったとは…(笑)

そういう小ネタを仕込むのも心憎いばかりですね。
そうか~、綱元はちゃんとお父さんの遺言を守ったんだなあ。
92歳で大往生した人から見れば、70代で戦死は、たしかに若くして非業の死かもしれない。
綱元は、あの黄色い帽子を家宝として最後まで持ってたんでしょうか(笑)。
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第13話見ましたッ (レビュ丸)
2009-03-02 20:19:34
庵主様こんばんは。「人取橋」って何のことだろう・・・と思っていたら、そういう場所が実際にあったのですね。今回はこの橋を舞台にしての悲喜こもごもが主題として描かれたわけですが、新旧の交代劇あり、母子の葛藤ありと、なかなか面白かったです。それにしても「産まれてくる子が男だったら、命をあきらめてくれ・・・」って小十郎、ホントに何てことを言うんだ~!! そんな今では考えられないような表現も、かえって重厚さに拍車をかけているように感じました。

ここ数話に出てきた表現に、「二本松の松はフタマタだ」というのがありました。これって日和見主義を決め込んでいた二本松の外交を端的に示すものとして、非常に的確!! だと思うのですが、今の大河ドラマは「町おこし」の役割を担っている部分が大きいので、今だったらこんな表現は絶対にボツなのだろうな~と思ったりしました。

輝宗、基信に続き、いかりや長介さんの左月も退場。登場人物が次第に「新旧交代」してゆくのも、長い大河ドラマの醍醐味のひとつですよね。
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昔の価値観は今と違って… (庵主)
2009-03-02 22:12:33
レビュ丸さん

>今では考えられないような表現も、かえって重厚さに拍車をかけている

ありえないですよねえ…。ふつうそんなことを夫に言われたら、人間不信になってしまうと思うんですが、小十郎妻はこのあと、無事に出産してから赤ちゃんを抱いて、「よかった、わたしは幸せです」とか言うんですよね。そのあたりも…いまの価値観とはあきらかに違うなあと。
そういう女性何気ないリアクションとかをきめ細かく拾っていくのも、ドラマの雰囲気づくりに貢献していると思います。

>今の大河ドラマは「町おこし」の役割を担っている部分が大きいので、今だったらこんな表現は絶対にボツ

ですよね~、とくに二本松は、毎年大河ドラマをフィーチャーした「菊人形」で話題づくりに貢献している自治体ですので、いまだったら絶対ヘンな気遣いで表現を変えたと思うんですが。
でも「二本松の松は二股」で押し通し、畠山義継の石田太郎さんの壮絶な演技で報いたところが凄い!とあらためて思いました。
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第14話見ましたッ (レビュ丸)
2009-03-03 20:48:45
庵主様こんばんは。早朝の『政宗』鑑賞もすでに日課になり、最近はノート、ボールペン、地図帳・・・のほか、電卓(!!)を手元に置いてテレビを見ております。登場人物の現時点での年齢を計算するとき、あるいは放送当時の役者さんの年齢を計算するときなどに使っているのですが、「22年前」ってひと口に言うけれど、やっぱそれなりに年月を経ているのですねェ~。今回は当時47歳の津川雅彦さん演じる徳川家康が初登場でしたが、さすがに若い!!という印象。粘着質な感じ、食えない感じが本当によく出ていました。津川さんの家康って、『葵・徳川三代』のインパクトが強いのですが、『政宗』ではどのような家康を演じてくれるのか、楽しみです。

カツシンをはじめ、いかりや長介さん、山形勲さんなど故人となられた方も多く、改めて「確かに22年が経っているんだな・・・」ということを感じております。
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若き家康 (庵主)
2009-03-04 21:17:58
レビュ丸さん

早朝見てらっしゃるんですね(それも電卓と!)。ご苦労様です。気合いたっぷりの一日が始められそうですね(笑)。

>当時47歳の津川雅彦さん演じる徳川家康が初登場でしたが、さすがに若い!!という印象

そうですね、若い若い家康でした。ちょうど、関白を手玉にとってジーッと機をうかがっている時代にピッタリなお年頃と、風貌だったと思います。

ほんと、たくさんの亡き名優さんの演技が眼福ですね。わたしは高品格さんもとても懐かしかったです。よく、時代劇で下っ引きの役などでよい味を出しておられました。

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