いよいよ名作・「独眼竜政宗」もフィナーレを迎えるわけですが、大河ドラマの最終回のお手本のような、悠揚迫らぬ素晴らしい出来…というのは、この50回、堂々たる男の生き様をたっぷり見せられた最終回なら、もう自然にそうなるというものですね。最後なんかは、OPを見るだけで名残惜しさに涙目になるくらいでした。
最終話にいたって、政宗のいままでにの人生にずーっと付きまとってきた影が、爽やかに解消するのですが…それが何かは、後述。この長い長い伏線は、まさに1年続く大河ドラマでなくては描けないものだったと思います。
「政宗」にあって、昨今の大河ドラマでは廃れてしまったもの、それは多々思いつくのですが、それはまた、稿をあらためて書くことにします。最終回を見て涙腺決壊させながらしみじみ思ったのは、このドラマがもたらした喜びは、やはり、一人の男の人生をたっぷりと堪能し、見届けた満足感に尽きるということです。つまるところ大河ドラマというのは、最終回でそういう深い感慨に視聴者を導くことを目指して、1年にわたって物語をつむぎ続ける、地道なドラマなのですよね。そういうことをあらためて感じさせてくれた「政宗」でした。
というわけで、とうとう最後となってしまいました。第49話と50話を見ます。
第49話「母恋い」
プレ最終回です。この回は、このプレ最終回は、驚いたことに、今までに無いユルイ話。最終回1話前でこういう趣向をやるのはなんとも大胆というか、不敵というか…いままで48話にわたってつむいできた話にゆるぎない自信があるものと見えました。
政宗は50代になり、天下のご意見番として地位を築き、仙台城ではカリスマ殿様として君臨しています。すでに片倉景綱亡く、鈴木重信亡く、政宗に苦言を呈する存在はいません。そういう政宗のある一日を、史料に基いてタイムテーブルで再構成してみようというのが、この回の趣きですが、ある一日ったってべつに特別な事件のあった日ではなく、極めて平凡な、ごくふつうの一日のことだったりするわけです。
政宗は、宿直の部屋に舶来の置時計を設置し、毎朝きっかり定刻に家来の者に起こさせます。老人のことで起床の声がかかるはるか前から起きているのですが、「殿、お時間でございます」と言われてゆったり起床。タバコを一服し、二畳の書斎「閑所」にはいって2時間ほど読書、詩作…でも飽きると時間を持て余し、それでも定刻になるまで決してタイムテーブルを崩すことなく、二畳部屋でウロウロしたりしています。
そしてお着替え。閑所のなかから献立を指示した朝ご飯を、これも前もって指名した陪席の重臣たちと一緒に食べます。そして書院で執務ですが、この日は、宇和島にいる秀宗が、家来の讒言でお家騒動を起こしてしまい、仙台から付いていった忠臣の山家清兵衛を処刑してしまったという知らせが入ります。讒言に惑わされて無二の忠臣を斬るとは!とブチ切れた政宗は、秀宗を勘当・絶縁を申し渡し、その旨の書状を送らせます。
五郎八姫は、切支丹狩りを逃れる為に江戸から仙台にきて、家付きお嬢様として気ままな独身生活をしているわけですが、この日は、夕食(もちろん政宗が指示する献立)を一緒に食べながら弟への仕打ちに強く抗議をします。父上はあまりに冷とうございます…とうったえる五郎八に、お前こそいまでも支倉常長とか、隠れキリシタンと交流したりしているではないか、父が知らないと思うのか。そろそろ再婚を考えて父を安心させろと、平凡なお父さんぽいことを言い聞かせる政宗に、五郎八は「わたしは終生忠輝様の妻です。デウス様がそうお決めになりました」と父親の気持ちを逆なでするようなことを言い放ちます。どうもこの人は、あきらかにお祖母さんの気性にそっくりですね。
というわけで、お洒落でグルメで時間に正確で几帳面、という政宗の日常。夜はキッチリ時計にタバコ一服、定刻に就寝。ただ、その夜はなかなか寝付けず、ふと人の気配に寝所から庭をのぞくと、なんと五郎八姫が、人目を偲ぶように何処へか向かっています。おどろいて後をつけた政宗は、そこで、五郎八が別れた夫の松平忠輝(真田広之)と密会しているのを見てしまいます。
「忠輝様、五郎八を連れて逃げてくださいませ。追われて殺されたなら、デウス様のみもとで晴れて夫婦となりましょう…」と、ベタベタなラブシーンが展開するのを呆然と見つめていた政宗でしたが、ふたりが手に手をとって逃げようとするのに「待ったーーーっ!」と飛び出します。「見逃してくれ舅殿」「なりませぬ!」と五郎八を挟んで押し問答が続き、とつぜん、パアーーッと空を飛翔した(!!)忠輝は、ハハハハ~~!さらばじゃ政宗!!とオーバーな高笑いをして夜空に消えゆき…。
…と、いくらなんでもその前から解るんですが、これは夢オチでした(笑)。 ま、とにかく政宗の一番の懸念が、まだこういう形でのこっているということですね。
政宗の懸念はもう一つあって、それは山形にいる保春院(岩下志麻)です。最上家は義光亡き後乱脈を極め、当主が痴情のもつれで妾に殺害されたあと、その跡を襲ったのもどうしようもないバカ殿。ついに改易を申し付けられるのですが、その城受け取りの役目に、親類の誼で政宗が幕府から任ぜられます。
政宗の命をうけ、山形に向かったのは、無二の忠臣の成実(三浦友和)でした。成実は保春院とは天敵で、若いじぶんから散々戦った過去があるのですが、さすがに「おお、成実も年をとったのう」「保春院さまこそ」と、おたがい円満な(?)社交辞令を交せる年になっています。が、保春院を仙台に引き取るという話に、お母さんは態度が硬化。「わたくしは最上の墓を守って生きる、子の世話にはならぬ。そして書状はもそっと大きな字で書くよう政宗に申せ、老眼で読めぬのじゃ」と言い捨てて、政宗との同居をにべもなく拒否します。
この次第を聞いて、政宗は、「もういい…」と、ものすごく脱力して諦めます。思えばまだ梵天丸時代からの母とのすれ違いが、まだ解決していないわけですよ。なんと長い伏線…というか、こうなるとこの母子の確執、というか政宗のマザコン人生は「政宗」全50話を貫くサブテーマくらいの重量はありますよね。
最終回「大往生」
元和元年(1622年)、政宗(渡辺謙)は、母・保春院(岩下志麻)からのSOSを受け取ります。最上家が改易となり、死ぬまで先祖墳墓の地を守り続けると啖呵を切ったものの、住まいを失い、寄る辺も無くなってしまったのでした。政宗はすぐに山形に使いをやり、仙台に保春院を迎えます。すっかり年老いた保春院には、嫁入り前からの侍女の御佐子(鷲尾真知子)が未だに仕えていますが、こっちもすっかり年老いて、お互いに老老介護状態になっているわけです。
母を迎えた仙台城に、江戸から戻った政宗は、20数年ぶりの対面を果たします。最初は、仙台に迎えられたことを感謝し、政宗の家族の繁栄を褒め称えたりしていた保春院でしたが、老いて子に従うという微妙な僻みもあって、だんだん態度が硬化。やはり、この親子は宿命的に、素直になれないんですね…。どんどん険悪になっていって、ついには「天下の副将軍など名ばかり、そんなに偉いならなぜ最上家を救うことが出来なかった。叔父上やいとこ達の霊は故郷を失ってさ迷っておるというに」とかいって責めたりします。
…が、政宗は、そういう母に、若い頃のように売り言葉に買い言葉で立ち向かったりしないんですね。ただ悲しそうな後姿で、老母に言うだけ言わせると、スッと席を立ってしまいます。あとには、母との再会の喜びをストレートに詠んだ和歌「相逢ひて心のほどや 垂乳根の行く末久し 千歳降るとも」が文机に残されていて、保春院はそれを見て涙を流すのですが…それでも、めんと向かって心を全開にすることはできないんですよ、母も子も。この年になっても。なんて悲しいんだろう。
その翌年、将軍秀忠(勝野洋)が隠居して、三代家光(宅間伸)が将軍となります。秀忠は、「政宗を将軍指南役とし、なにごとも意見を聞くように」と申し付けますが、家光は誇り高く、指南などは不要だと思っているわけです。なぜなら「初代・二代とちがい、この家光は初めて生まれながらの将軍の子だからだ!」と。このプライドを政宗はほめたたえ、ぜひそれを諸侯に号令するようにアドバイスします。
若い家光の気高さが即位式で光り輝いた日、政宗は江戸邸で、保春院が75歳で死去した知らせをうけます。とうとうこの世では最後までわだかまりは解けなかったんですね。
泰平の世は着実に軌道に乗り、政宗は、悠々自適の老人として花鳥風月を愛で、酒を愛し、能に入れ込む月日を送ります。そのなかで、若い忠宗(野村宏伸)にこう言うんですね。「思えば我ながらおぞましい生涯だった。武将の道は地獄の道。この生き方が良かったのか、自分でもわからんが…」
70歳になり、癌に冒されて死期を悟った政宗は、経が峰というところに忠宗と家臣たちとともに登り、山頂の一点に立って「ここにわしの墓を作れ」と言います。というのは、「わしは幼少のころ万海上人の申し子と言われていた。その万海上人が行きながら入寂されたのがここだ」と。
墓も決め、思い残すこともない政宗は、最後の力を振り絞って江戸の将軍に暇乞いに向かいます。「家康公も、秀忠公も、さっさとこっちに来い、天下は安泰ゆえ指南などは無用だと仰るのです」という政宗の手を握り、家光は「そちのおかげで今日に至った。政宗、礼を申すぞ」…と。ね。手放しのマンセー劇場というのは、このくらいの状況で初めて恥ずかしくなく成り立つもんなのよ(笑)。
江戸邸で床についた政宗は、愛姫(桜田淳子)に「めごとの約束を守れなくてすまなかった。天下を取ると言うたではないか…」と、しみじみ述懐し、わしが死んだら画像にも木造にも、すべて両目を入れてくれ。わしはこの世でめごの姿を半分しか見られなかった。せめて来世では両目で見たいのだ。あの世でも再び夫婦になろうぞ…と。ううっ(泣)。
そして「さらばじゃ!」と愛妻に別れを告げた政宗は、臨終の姿を誰にもみせぬよう、ひとり端然と死に向かいます。死を待つ政宗のまえに現れたのは…
「政宗、おお、ここにいたのかえ」…若く美しい姿の母・義姫でした。そして、梵天丸(藤間遼太)と藤次郎(嶋英二)のふたりの子役が政宗を挟み、三人の政宗が並んで、「そなたはわが子じゃ。いとしいわが子じゃ…」という、義姫の声を一緒に聞きます。
「母上、いま政宗の心は一点の曇りもなく晴れ申した」。梵天丸時代からずっと引きずっていた確執は、ここにいたってついに昇華したんですね。
そして、梵天丸と藤次郎を両脇に政宗は冥土へ旅立ち、その朝、結跏趺坐のまま大往生している政宗を、成実(三浦友和)と綱元(村田雄浩)が見つけます。「殿はお帰りになられたのだ。この世には客として来たのだと常々申しておられたではないか」。
…そして、380余年をへて経が峰から発掘された、政宗本人のシャレコウベが最後をしめます。これは、第1話のアバンタイトルに登場したのと同じ趣向なんですね。全50話にわたる政宗の物語を見終わって、同じシャレコウベを見るこっちの目はまったく変っているのに気づくという…。いやはや。最後の最後でこれには恐れいった~!
かくして、昭和の名作大河ドラマ「独眼竜政宗」、ここに完。
最終話にいたって、政宗のいままでにの人生にずーっと付きまとってきた影が、爽やかに解消するのですが…それが何かは、後述。この長い長い伏線は、まさに1年続く大河ドラマでなくては描けないものだったと思います。
「政宗」にあって、昨今の大河ドラマでは廃れてしまったもの、それは多々思いつくのですが、それはまた、稿をあらためて書くことにします。最終回を見て涙腺決壊させながらしみじみ思ったのは、このドラマがもたらした喜びは、やはり、一人の男の人生をたっぷりと堪能し、見届けた満足感に尽きるということです。つまるところ大河ドラマというのは、最終回でそういう深い感慨に視聴者を導くことを目指して、1年にわたって物語をつむぎ続ける、地道なドラマなのですよね。そういうことをあらためて感じさせてくれた「政宗」でした。
というわけで、とうとう最後となってしまいました。第49話と50話を見ます。
第49話「母恋い」
プレ最終回です。この回は、このプレ最終回は、驚いたことに、今までに無いユルイ話。最終回1話前でこういう趣向をやるのはなんとも大胆というか、不敵というか…いままで48話にわたってつむいできた話にゆるぎない自信があるものと見えました。
政宗は50代になり、天下のご意見番として地位を築き、仙台城ではカリスマ殿様として君臨しています。すでに片倉景綱亡く、鈴木重信亡く、政宗に苦言を呈する存在はいません。そういう政宗のある一日を、史料に基いてタイムテーブルで再構成してみようというのが、この回の趣きですが、ある一日ったってべつに特別な事件のあった日ではなく、極めて平凡な、ごくふつうの一日のことだったりするわけです。
政宗は、宿直の部屋に舶来の置時計を設置し、毎朝きっかり定刻に家来の者に起こさせます。老人のことで起床の声がかかるはるか前から起きているのですが、「殿、お時間でございます」と言われてゆったり起床。タバコを一服し、二畳の書斎「閑所」にはいって2時間ほど読書、詩作…でも飽きると時間を持て余し、それでも定刻になるまで決してタイムテーブルを崩すことなく、二畳部屋でウロウロしたりしています。
そしてお着替え。閑所のなかから献立を指示した朝ご飯を、これも前もって指名した陪席の重臣たちと一緒に食べます。そして書院で執務ですが、この日は、宇和島にいる秀宗が、家来の讒言でお家騒動を起こしてしまい、仙台から付いていった忠臣の山家清兵衛を処刑してしまったという知らせが入ります。讒言に惑わされて無二の忠臣を斬るとは!とブチ切れた政宗は、秀宗を勘当・絶縁を申し渡し、その旨の書状を送らせます。
五郎八姫は、切支丹狩りを逃れる為に江戸から仙台にきて、家付きお嬢様として気ままな独身生活をしているわけですが、この日は、夕食(もちろん政宗が指示する献立)を一緒に食べながら弟への仕打ちに強く抗議をします。父上はあまりに冷とうございます…とうったえる五郎八に、お前こそいまでも支倉常長とか、隠れキリシタンと交流したりしているではないか、父が知らないと思うのか。そろそろ再婚を考えて父を安心させろと、平凡なお父さんぽいことを言い聞かせる政宗に、五郎八は「わたしは終生忠輝様の妻です。デウス様がそうお決めになりました」と父親の気持ちを逆なでするようなことを言い放ちます。どうもこの人は、あきらかにお祖母さんの気性にそっくりですね。
というわけで、お洒落でグルメで時間に正確で几帳面、という政宗の日常。夜はキッチリ時計にタバコ一服、定刻に就寝。ただ、その夜はなかなか寝付けず、ふと人の気配に寝所から庭をのぞくと、なんと五郎八姫が、人目を偲ぶように何処へか向かっています。おどろいて後をつけた政宗は、そこで、五郎八が別れた夫の松平忠輝(真田広之)と密会しているのを見てしまいます。
「忠輝様、五郎八を連れて逃げてくださいませ。追われて殺されたなら、デウス様のみもとで晴れて夫婦となりましょう…」と、ベタベタなラブシーンが展開するのを呆然と見つめていた政宗でしたが、ふたりが手に手をとって逃げようとするのに「待ったーーーっ!」と飛び出します。「見逃してくれ舅殿」「なりませぬ!」と五郎八を挟んで押し問答が続き、とつぜん、パアーーッと空を飛翔した(!!)忠輝は、ハハハハ~~!さらばじゃ政宗!!とオーバーな高笑いをして夜空に消えゆき…。
…と、いくらなんでもその前から解るんですが、これは夢オチでした(笑)。 ま、とにかく政宗の一番の懸念が、まだこういう形でのこっているということですね。
政宗の懸念はもう一つあって、それは山形にいる保春院(岩下志麻)です。最上家は義光亡き後乱脈を極め、当主が痴情のもつれで妾に殺害されたあと、その跡を襲ったのもどうしようもないバカ殿。ついに改易を申し付けられるのですが、その城受け取りの役目に、親類の誼で政宗が幕府から任ぜられます。
政宗の命をうけ、山形に向かったのは、無二の忠臣の成実(三浦友和)でした。成実は保春院とは天敵で、若いじぶんから散々戦った過去があるのですが、さすがに「おお、成実も年をとったのう」「保春院さまこそ」と、おたがい円満な(?)社交辞令を交せる年になっています。が、保春院を仙台に引き取るという話に、お母さんは態度が硬化。「わたくしは最上の墓を守って生きる、子の世話にはならぬ。そして書状はもそっと大きな字で書くよう政宗に申せ、老眼で読めぬのじゃ」と言い捨てて、政宗との同居をにべもなく拒否します。
この次第を聞いて、政宗は、「もういい…」と、ものすごく脱力して諦めます。思えばまだ梵天丸時代からの母とのすれ違いが、まだ解決していないわけですよ。なんと長い伏線…というか、こうなるとこの母子の確執、というか政宗のマザコン人生は「政宗」全50話を貫くサブテーマくらいの重量はありますよね。
最終回「大往生」
元和元年(1622年)、政宗(渡辺謙)は、母・保春院(岩下志麻)からのSOSを受け取ります。最上家が改易となり、死ぬまで先祖墳墓の地を守り続けると啖呵を切ったものの、住まいを失い、寄る辺も無くなってしまったのでした。政宗はすぐに山形に使いをやり、仙台に保春院を迎えます。すっかり年老いた保春院には、嫁入り前からの侍女の御佐子(鷲尾真知子)が未だに仕えていますが、こっちもすっかり年老いて、お互いに老老介護状態になっているわけです。
母を迎えた仙台城に、江戸から戻った政宗は、20数年ぶりの対面を果たします。最初は、仙台に迎えられたことを感謝し、政宗の家族の繁栄を褒め称えたりしていた保春院でしたが、老いて子に従うという微妙な僻みもあって、だんだん態度が硬化。やはり、この親子は宿命的に、素直になれないんですね…。どんどん険悪になっていって、ついには「天下の副将軍など名ばかり、そんなに偉いならなぜ最上家を救うことが出来なかった。叔父上やいとこ達の霊は故郷を失ってさ迷っておるというに」とかいって責めたりします。
…が、政宗は、そういう母に、若い頃のように売り言葉に買い言葉で立ち向かったりしないんですね。ただ悲しそうな後姿で、老母に言うだけ言わせると、スッと席を立ってしまいます。あとには、母との再会の喜びをストレートに詠んだ和歌「相逢ひて心のほどや 垂乳根の行く末久し 千歳降るとも」が文机に残されていて、保春院はそれを見て涙を流すのですが…それでも、めんと向かって心を全開にすることはできないんですよ、母も子も。この年になっても。なんて悲しいんだろう。
その翌年、将軍秀忠(勝野洋)が隠居して、三代家光(宅間伸)が将軍となります。秀忠は、「政宗を将軍指南役とし、なにごとも意見を聞くように」と申し付けますが、家光は誇り高く、指南などは不要だと思っているわけです。なぜなら「初代・二代とちがい、この家光は初めて生まれながらの将軍の子だからだ!」と。このプライドを政宗はほめたたえ、ぜひそれを諸侯に号令するようにアドバイスします。
若い家光の気高さが即位式で光り輝いた日、政宗は江戸邸で、保春院が75歳で死去した知らせをうけます。とうとうこの世では最後までわだかまりは解けなかったんですね。
泰平の世は着実に軌道に乗り、政宗は、悠々自適の老人として花鳥風月を愛で、酒を愛し、能に入れ込む月日を送ります。そのなかで、若い忠宗(野村宏伸)にこう言うんですね。「思えば我ながらおぞましい生涯だった。武将の道は地獄の道。この生き方が良かったのか、自分でもわからんが…」
70歳になり、癌に冒されて死期を悟った政宗は、経が峰というところに忠宗と家臣たちとともに登り、山頂の一点に立って「ここにわしの墓を作れ」と言います。というのは、「わしは幼少のころ万海上人の申し子と言われていた。その万海上人が行きながら入寂されたのがここだ」と。
墓も決め、思い残すこともない政宗は、最後の力を振り絞って江戸の将軍に暇乞いに向かいます。「家康公も、秀忠公も、さっさとこっちに来い、天下は安泰ゆえ指南などは無用だと仰るのです」という政宗の手を握り、家光は「そちのおかげで今日に至った。政宗、礼を申すぞ」…と。ね。手放しのマンセー劇場というのは、このくらいの状況で初めて恥ずかしくなく成り立つもんなのよ(笑)。
江戸邸で床についた政宗は、愛姫(桜田淳子)に「めごとの約束を守れなくてすまなかった。天下を取ると言うたではないか…」と、しみじみ述懐し、わしが死んだら画像にも木造にも、すべて両目を入れてくれ。わしはこの世でめごの姿を半分しか見られなかった。せめて来世では両目で見たいのだ。あの世でも再び夫婦になろうぞ…と。ううっ(泣)。
そして「さらばじゃ!」と愛妻に別れを告げた政宗は、臨終の姿を誰にもみせぬよう、ひとり端然と死に向かいます。死を待つ政宗のまえに現れたのは…
「政宗、おお、ここにいたのかえ」…若く美しい姿の母・義姫でした。そして、梵天丸(藤間遼太)と藤次郎(嶋英二)のふたりの子役が政宗を挟み、三人の政宗が並んで、「そなたはわが子じゃ。いとしいわが子じゃ…」という、義姫の声を一緒に聞きます。
「母上、いま政宗の心は一点の曇りもなく晴れ申した」。梵天丸時代からずっと引きずっていた確執は、ここにいたってついに昇華したんですね。
そして、梵天丸と藤次郎を両脇に政宗は冥土へ旅立ち、その朝、結跏趺坐のまま大往生している政宗を、成実(三浦友和)と綱元(村田雄浩)が見つけます。「殿はお帰りになられたのだ。この世には客として来たのだと常々申しておられたではないか」。
…そして、380余年をへて経が峰から発掘された、政宗本人のシャレコウベが最後をしめます。これは、第1話のアバンタイトルに登場したのと同じ趣向なんですね。全50話にわたる政宗の物語を見終わって、同じシャレコウベを見るこっちの目はまったく変っているのに気づくという…。いやはや。最後の最後でこれには恐れいった~!
かくして、昭和の名作大河ドラマ「独眼竜政宗」、ここに完。
コメント一番乗りさせていただきます。
ついに『政宗』完結ですね。おめでとうございます。
実は私もこの前、猫御前が宇和島行く回まで見て、ようやっと庵主様に追いついたぁ!と思ってのんびりしてたらあれよあれよと最終回までレビューがUPされてこりゃいかん!と思っている次第です。
早速あと2巻分借りて見ようと思います。
>わしはこの世でめごの姿を・・・
高校時代に政宗の総集編を借りてみた時、私はこのシーンでウワァッと涙が溢れてしまいました。
政宗の見事な成長ぶりの影に隠れがちですが、愛姫も同じくらい成長してるんですよね。
最初は侍女成敗や子供が出来ないなどのわだかまりで暗く、自信なさげな様子だったのが、上洛や出産を経て正室の顔・母の顔になって来て、後半なんかいつまでも夢見る少年の心を捨てられないちょっと危なっかしい政宗の言動(正にB型って感じ)に対し、愛姫の言ってることのほうが現実的でしっかりしてるな(笑)なんて思って見ていました。
男主体のドラマゆえ、わずかなシーンの登場ながらも、少女から大人の女性への変遷を見せてくれた桜田淳子さんの繊細な演技に私もすっかりヤラれてしまいました。
2人の見事な成長の演技で紡がれてきた夫婦の道を思い出して、しかも普段へそ曲がりの政宗があんなロマンチックなことを言うものですからブワァッと来ちゃったのを覚えてます(T.T)
少ないシーンでも力のある脚本家・役者ならその人物の歩んだ道を十分表現できるんですよね。どっかの粗忽者にも見習って欲しいものです(笑)
それにしてもジェームズ三木さんの脚本は役者を選びますね。
『政宗』は典型的な王道脚本という印象を受けました。王道って実は一番難しいと思います。小細工が出来ないですから、本当に実力のある人じゃないと「絵」にならないと思うんです。
下手な役者が演じればそれこそ「クサイ芝居」で片付けられちゃうものを、そこに「説得力」を持たせ、さもあの時代にいるかのようなリアリティを出せたのは渡辺謙という逸材あったからだと思います。起用した人、グッジョブですよホントに。
つくづくこんな名作とあんなのが大河ドラマでひと括りにされると思うと、別の意味でブワッと泣けてきます。
長々書いてしまって失礼いたしました。
次は何を御覧になられるんですか?楽しみです★
「わしはこの世でめごの姿を半分しか見られなかった。せめて来世では両目で見たいのだ…」。
これは凄い台詞です。最近の映画「60歳のラブレター」でも、こうはいかないだろうと思います。隻眼であるということの想い、母親への想いなどが、最初から最後まで一本の線で繋がったドラマの展開でした。
筋書きに破綻がないというのは、ドラマの最低条件だと思いますが、最近は、その最低条件も弁えていませんな。大河ドラマは、「消費財」ではなく「文化財」だと思って作ってほしいものです。
ありがとうございます。
終盤はもう涙無しには見られず、50話しっかり見てきてホントよかったなあと思いました。あと2巻、どうぞご堪能くださいね。
>政宗の見事な成長ぶりの影に隠れがちですが、愛姫も同じくらい成長してるんですよね
そう、そうなんですよね!おとなしく控えめな人だったので、あからさまではないんですが、猫御前との対話などを見ていると、この人も本当に強く成長したんだなあと感慨を覚えます。
某ドラマや某某ドラマみたいに、なんでも「おまかせくださいませー」とかいってシャシャリ出るとか、かかわる男をみんな落として日本史を黒幕のように操るとか(笑)、白々しい仕掛けはいっさいなく、無力な一人の女性の成長を、まっとうに描いて、こんなに感動的。
ほんとに、大河ドラマの女性の鑑のようなキャラです。淳子さんがまた良いんだー。どうしてあっちの世界に消えてしまったのかと、これを見てるとつくづく残念で堪らないです。
>小細工が出来ないですから、本当に実力のある人じゃないと「絵」にならない
まったくですね。この脚本でこの人ありなのか、この人でこの脚本ありなのか。
とにかく、脚本と俳優がお互いに高めあったような、稀有なドラマだったと思うんですよ。
とにかく全てが有効に機能しましたからね。カツシンさんと謙さんの共演イメージが、そのまま秀吉と政宗の関係に投影されるところなんかは、ドラマに神が降りたのか?と思うほどで。
そういう奇跡をまた期待するというのは難しいのかもしれませんが、せめて、真面目にまっとうに、志高く大河ドラマを続けてもらいたい…続くものなら…と、切に願ってしまうのでした。
>それだけの価値のある「映像文化財」
そうですよ!
大河ドラマは映像文化財なんだという意識で、ドラマを作っていただきたいと思うのですね。
たぶん、3年がかりのスペシャル大河のほうはそのくらいの気合いで臨んでいるんだと思いますけど…。だからって日曜8時に手を抜かないでほしい。
>隻眼であるということの想い、母親への想いなどが、最初から最後まで一本の線で繋がった
ほんとうに良かったですね。ボロボロ泣いてしまいました。
政宗が、自分の画像関係には両目を入れるようにと言い残した話は、コンプレックスのたまものかと思ってましたが、それを妻への深い愛に読み替えるのが見事でした。
また、マザーコンプレックスを最終回の最後まで引きずって、そこで昇華させるという、腰の座った作劇にも感嘆しましたね。
大河ドラマというからは、大河のように、物語は長く太く流れてほしい。そのお手本のようでした。
岩下志麻さん、お綺麗でしたね。私は北条政子の印象も強いのですが、内心思っていても口には出せない誇り高き女性を演じたらこの方の右に出る方はいませんね。以前俳優の山本学さんが「最近の俳優さんはこんなに大げさな表現をしないと演技できないのかねえ、と思うんです。」という意味の事を発言されておられました。そのとおりなんですよね、最近は言葉の裏側を感じられない俳優さんが多いような、こちらの感性にも鈍りがでてきたのか…。
渡辺謙さんも「ラストサムライ」成功の後、「これでようやく政宗から脱け出せたかな」とおしゃったやに聞きましたが、やはりこの役は何か降りてきてますよね。今やハリウッドスターなので望むべくもありませんが、できればもう一度大河の主役をやって欲しいです(祈)。自分で役を選べる立場になっていらっしゃるので、良い作品で交渉すればO.K.して下さると思うのですが…(楽観的過ぎる?)。
最近「天地人」ですっかりネガティブ思考になっていましたが、そもそも私が歴史好きになったのも大河ドラマのおかげでした。
「国盗り物語」を見て、司馬遼太郎を読み始め、女流作家の永井路子、杉本苑子、そこから「源氏物語」や「枕草子」など古典にも興味が広がりました(私の中学時代は「ベルサイユのばら」と「エースをねらえ」が女子を席巻していました。そんな時に変わり者ですね(笑)、あ、今もか)。
ただ、その時の蓄積が本当に人生を豊かにしてくれる、40代になるとつくづくそう思います。だから今の若い人たちに、そういう影響を与えられるクオリティーの高い大河ドラマを切望するんですよね、オバちゃんとしては。
50話のレビュー、お疲れさまでした。
庵主様のおかげで、さらに楽しく勉強しながら、この歴史に残る大河ドラマを心から堪能することができました。本当にありがとうございました。
最初は、岩下志麻さんや勝新太郎さんをはじめとする、役者さんたちの迫力ある演技に魅了されながら、歴史好きにはたまらないであろう「重厚なドラマだな~」と感嘆していました (ちなみに、私は歴史に詳しくないですし、あまり過去の大河ドラマを観ていません)。
ただ、この「独眼竜正宗」は、役者さん云々、歴史云々以前に、人間ドラマとして、しっかり描かれているんですよね。だから、お目当ての役者さんがいなくても、歴史に興味がなくてもおもしろい。
親子、夫婦、兄弟、主従、敵味方の関係・やりとりを、緻密に描写しているからこそ、ホームドラマとして、揺るぎないポジションを確立したんだと思いました。
しかも、主人公のみならず、その周囲の者たちにも、しっかり光を当てているので、最後、彼らが亡くなる時の悲しいことといったら・・・(涙)
出演者の誰をとっても、楽しく語れるくらい、どの役も意味があり、キラキラしてました(天●人と大違いだ・・・)。
最後は本当によかったですね。正宗の安らかさも、これまでの紆余曲折の人生を見てきたからこそ、感じられたもの。梵ちゃんと藤次郎くんに戻ることで、やっぱり、その頃だって母に愛されていたんだと思うことができたのではないでしょうか。う~ん、よかった、よかった(感激)
1人の武将の生き様を辿れた事は、本当に幸せな時間でした。1年間だからこそ描ける骨太のドラマ、今後もNHKさんには、期待したいですね(今年は興ざめですが・・・。)
次はどの大河ドラマをレビューするんでしょうか。
楽しみにしてます!!
× 正宗
○ 政宗 でした。
訂正のほど、お願いします。
いよいよ最終回となりました。50話完走おめでとうございます。そして、お疲れ様でございます。
つらつら思んみるに・・・
政宗公を知る上で代表的な史料に『貞山公治家記録』や『伊達政宗卿傳記史料』などがありますが、政宗公の生涯を過不足なく人間味豊かに、それでいてダイナミックに謳い上げた本作は、仰る通り映像文化財であると同時に、もはや大切な史料ですね。何と言っても、ご本人の登場で始まり、ご本人の登場で締めるのですから。観ようによっては政宗公研究の第一級の資料にもなっているんですね。いや~ホント良い仕事してますねぇ。
>最後なんかは、OPを見るだけで名残惜しさに涙目になるくらいでした。
アバンタイトルに流れていたBGMは”青葉城恋歌”。常長役のさとう宗幸さんの曲ですね。高校野球で紹介される地元VTRみたいで(仙台は私の地元ではありませんが)、どこか懐かしく、そして切ない想いに駆られます。ホント名残惜しいですね。とは言うものの、こんな名作大河がDVDで観たいときに観れるなんて、有難い時代になったものです。
>相逢ひて心のほどや 垂乳根の行く末久し 千歳降るとも
ドラマのために創作された歌かと思っていたのですが、本当に政宗公と母保春院との間で交わされた贈答歌なんですね。『貞山様御筆御歌』という歌集に二人の歌が対になって残されています。しかもこの歌集、筆まめだった政宗公の自筆だそうで、推敲の痕まで残っています。数年前に偶然この事実を知ったのですが、ドラマという虚構がまたひとつ現実のものとなって眼前に迫ってきたようで、思わず鳥肌が立ちました。大河ドラマは、というか本作『独眼竜政宗』はやっぱり伊達じゃない!ホント、懐の深い作品だったんだなぁと感心するばかりです。
60歳を過ぎて老いらくの身となった政宗が、成実、綱元らと能を鑑賞していると、太夫の舞にディゾルブして父輝宗の舞う姿が見え、初代小十郎、虎哉禅師、喜多といった若かりし頃の懐かしい人々の回想シーンが入りますが、王道演出と分かっていながらもグッときますね。観てるこっちも思わず胸が熱くなってしまいました。こういう演出も1年間をかけて人物をじっくりと描いてきた大河ドラマだからこそ味わえる醍醐味というものですね。
大河ドラマは、かくありたいものです。
最後に・・・
政宗公42歳のときに生まれた次女に牟宇姫という人がいます。この姫は76歳で亡くなりますが、次のような辞世の和歌を残しています。
こしかたの しらぬ身なれば 曇りなき
月をしるべに 西へこそゆけ
父政宗の辞世にどことなく似ていると思いませんか?きっと、お父さんが大好きだったんでしょうね。
またどこかで・・・。
ありがとうございます。私も最終回を見終わって燃え尽きた感がありました(笑)。
>最近は言葉の裏側を感じられない俳優さんが多いような、こちらの感性にも鈍りがでてきたのか…
なにか悪循環なんだろうな、と思います。視聴率に振り回されるあまり、視聴率度外視で長い眼で人間ドラマを描くということをしなくなり、脚本化が書けないから演じる役者も技量が落ち、視聴者もそういうものばっかりみせられて感性が鈍る。
いまの大河ドラマで、そういう低レベルのどん底を見せられている気がするので、これを機会に初心に帰って志を高く持つきっかけになれば、こんなドラマも無駄じゃないと思っているのですが…。
>やはりこの役は何か降りてきてますよね。
ええ、大河ドラマの主役としてはそこが究極だろうと思います。
初主演で、その境地にいたってしまったのは、ご本人にとって肉体的にも精神的にも負担が大きかったと思うのですが、見ているこちらにとっては奇跡を見るような至福の映像でした。
いまの渡辺謙さんが、歴史ドラマの大きな役を演じるのをもう一度見たい!と「ラスト・サムライ」に納得できない私は思います(あれって、歴史ものとしては話があまりにもいい加減なので……)
>今の若い人たちに、そういう影響を与えられるクオリティーの高い大河ドラマを切望するんですよね
ほんとに同感ですね。NHKはすこし責任感をもって、見た人の将来のことまで考えてドラマ作りをしてほしいのです。
ま…「坂・雲」でそこはカバーしてくれるものとは思ってますが…。
>親子、夫婦、兄弟、主従、敵味方の関係・やりとりを、緻密に描写しているからこそ、ホームドラマとして、揺るぎないポジションを確立したんだと
そうなんですよね!硬派な「これぞ大河ドラマ!」というイメージがひとりあるきしているのですが、これぞホームドラマ!という見方もできるのが凄いところだと思います。
政宗と義姫の母子の確執はもちろんですけど、頼りない若いお嫁さんが、しっかりした家庭の柱に育っていく愛姫の成長とか。さらに豊臣家、徳川家、最上家などの家庭劇も共鳴させて、壮大なホームドラマ大交響楽の趣き?(笑)
>梵ちゃんと藤次郎くんに戻ることで、やっぱり、その頃だって母に愛されていたんだと思うことができたのではないでしょうか
そうそう、そうですよね!あそこはほんとにジーンときました! 梵天丸と藤次郎の時代に、お母さんに十分愛され足りなかったという思いが、臨終の時でやっと解消されるんですから…。
あのときの岩下志麻さんの涙が、またホンモノな感じでね。思い出しても涙がでる~~。
次回のレビューは、1、2検討中であります。とりあえず「真田太平記」を最後まで仕上げます。この終盤が、また楽しみなんだ~。