数多の役者さんが家康を演じてきた中で、津川雅彦さんの家康が別格の「それらしい」オーラを放っているのは、どなたも認めるところだと思います。驚いたんですがこの「政宗」当時、津川さんはまだ40代なんですね。ドラマ中盤中年期の家康も、落ち着いた中に不思議な温かさがあり、でも食えない粘っこさもあるという、奥深い人間性を見せてくれて素晴らしかったですが、その中年期をへて、お馴染み(笑)大御所時代の家康に変貌した姿は…とても40代とは思えない(笑)。
つまり「家康」という記号を演じるのではなく、若い頃からそこにいたるまでを、丁寧な役作りで埋め、丹念にひとつの人格を作り上げたような。津川さんの家康には、だから、格別の風格が漂います。よくいうところの「食えない狸オヤジ」ではなく、天下泰平という理想を初めて我が物とし、実現に身を捧げた…という解釈も、キレイ事ではなく、しみじみと腑に落ちるのでした。
というわけで、いよいよ大詰め・第47と48話を見ていきます。
第47話「天下の副将軍」
病篤く、死期をさとった家康(津川雅彦)は、将軍秀忠(勝野洋)に、様々な申し送り事項を伝えます。が、その中には忠輝(真田広之)の処遇が入っていません。「命だけは助けてやる。あとは将軍にまかせる」と、すでに見放した感じの家康のところに、なんと、忠輝が深谷の蟄居所を出奔し、行方をくらましたとの知らせが。すっかりガッカリしてしまった家康でした。
が、忠輝は、父親の最期をみとるために、駿府に向かおうとしていたんですね。その途上、江戸の伊達邸に押し込み、五郎八姫(沢口靖子)の寝室に乱入します。久々の逢瀬ですが、これで忠輝は間違っても恩赦の目はないと、ガックリ力を落とす五郎八。これを最期に切腹を申し付けられるのも覚悟で、父の死に目に会いたかった、そのまえに五郎八にも会っておきたかったといわれて、メロメロと崩壊します。「おれは父に叱られたかった。おれのほうを見てもらいたかったのだ…」と真情を吐露する忠輝。「この世では縁の薄い夫婦だったが、デウスのおわす天国でふたたび夫婦になろうぞ」といってヒシと抱き合い、愛し合う二人は永遠に別れていきます。
愛姫(桜田淳子)は、忠輝に従者を付け、政宗への書状も持たせて駿府に送り出してやります。駿府にいる政宗は、愛姫の手紙つきで忠輝が現れたことに仰天しますが、とにかく、親子の最期の別れに一肌脱いでやらなければなりません。病床の家康を見舞った政宗は、忠輝が側まで来ていること、対面を切望していることを告げますが、家康の返事は「会わぬ」。あまりにもにべもない拒絶でした。
人払いして政宗と二人きりになった家康は、「法を曲げては泰平の世は立たぬ」と、忠輝を切る理由を語ります。そして、「秀忠は、将軍としては覇気に欠けると思うだろうが、これからの将軍はあれでよい。よい耳と目を持ち、良い家臣に恵まれて、覇者ではなく王者あればよい」。忠輝の覇気は泰平の世には無用の長物だ…といいながら、一本の笛を取り出し、形見として忠輝に渡してくれるよう託します。それは、かつて信長から拝領した品で、覇者・信長も風流を愛でる優しい心をもっていたことに思いをいたすように。そして、「父も、忠輝に会いたかったと…」と。
政宗には、「天下の副将軍として秀忠を支えてほしい」と言い残し、これを最期の遺言に、舞い散る花のなかに家康は消えました。
家康が亡くなり、忠輝は改易のうえ伊勢に配流となり、五郎八姫はどっぷりと沈み込んでいるものの、一応の片はつきました。が、近頃江戸では、将軍秀忠が伊達討伐の兵をだすともっぱらの噂…という話が仙台にも届きます。
忠輝を担いでの謀叛の疑いがまだ晴れていなかったんですね。家康じきじきに、秀忠を支える副将軍にと指名された政宗には心外きわまりありません。江戸からは、柳生宗矩と内藤外記(中野誠也)が使者としてやってきますが、この人たちは「仙台討伐などありえません」とかいいながら、その実、政宗を尋問しにきたんですね。
というのは、ちかごろ、浦賀に来たったイスパニヤ王の側近に容易ならぬ話を聞いた。伊達政宗は30万の切支丹を糾合し、幕府を乗っ取って覇を唱えようというではないか…と、これは実はホントの話なので、政宗もギクッとするのですが、保険のため、支倉常長には書状などの証拠物件は持たせていません。証拠がないといって切り抜けたものの、幕府の伊達つぶしは本気らしい…。
政宗は、成実(三浦友和)に、「おれはかつて太閤の力の前にひれ伏し、家康には感服して自ら折れた。このふたりの他には頭を下げるつもりはない。こうなったら討ち死に覚悟で合戦に及ぼうではないか!」とぶち上げ、成実も「久々に独眼竜の咆哮を聞いたわ!」と大喜びです。やっぱり、泰平の世となっても戦となると本能的に血が騒ぐ男たちなんですね。
第48話「伊達流へそ曲がり」
幕府を敵に回して、滅亡覚悟の戦を決意した政宗(渡辺謙)は、仙台に立てこもり、ちゃくちゃくと戦の準備を整えます。江戸邸に置かれている愛姫(桜田淳子)、五郎八姫(沢口靖子)、忠宗(野村宏伸)は、イザというときは見捨てなければならぬから覚悟をしておけと非常な言伝をうけますが、この人たちも伊達に政宗の(笑)妻子をやっておらず、「はい父上、わかりました」と少しも騒がないわけです。
が、将軍秀忠(勝野洋)の側では、泰平の世が固まりつつある今、外様大名代表の伊達家と戦をするのはまずいのでは…という向きに傾いていたんですね。柳生宗矩(石橋蓮司)の進言で、秀忠は政宗討伐ではなく懐柔に乗り出します。秀忠の姪である池田輝政の娘・振姫を忠宗の嫁にと申し出てくるわけです。
が、これでホイホイ話にのって懐柔されるほど、政宗も甘い人生を送っていませんので、ここでいったん話を蹴って、なんと秀忠にケンカを売ります。ようは、姪を嫁にくれるとはバカにしているではないか、政宗を味方につけたいなら将軍の娘をよこせ!と。
これには秀忠もブチ切れ寸前になって激怒します。が、「ここが器量の見せどころです」と柳生にヨイショされて、グッとこらえ、振姫を自分の養女になおして輿入れさせると、折れてでるわけですね。
これでもう政宗は十分! 堂々と秀忠の前にひれ伏し、このうえなく丁重に、臣下の礼をとります。一流の男たちが、太っ腹にすべてを飲み込んで腹を割ったような、なんともいえないいい和解であります。
思えば政宗は幾度となく絶体絶命の窮地を切り抜け、切り抜けたところで大きく飛躍をしてきました。そんなスリリングな出世階段も登りつめたのかもしれません。政宗は完全に幕府の意向に従うこと、将軍を立てることを了解事項として飲み込みました。五郎八姫の懸念する、切支丹迫害すら支持しなければなりません…が、ひたすら純粋な娘に、「仙台では、心で信仰を保つぶんには勝手とする」と苦渋の決断を伝えます。
このとき、政宗が着ている羽織の背に派手な三日月の模様があるんですが、三日月は、キリスト教の図像ではアンチ・キリスト=イスラム教徒のシンボルですよね。こころならずもアンチ・キリストとなる=幕府に完全降伏する政宗の複雑な苦渋を、三日月を背負った背中がたっぷり物語っているわけで、この暗喩が心憎いばかり!
そして政宗は、成実(三浦友和)に宣言します。俺は今からアホになる!と。政宗はその日から数年間、腑抜けたような遊び人になり、奇矯な言動をし、ウツケのふりを続けます。そうして、改易・転封で典型的な戦国大名たちを淘汰していく、徳川幕府初期の恐怖政治を切り抜けていくんですね。
政宗は、ある日、将軍との内輪の酒席で「およそ人の上に立つ者の器量とはいかなるものであるか」と問われます。それは仁・義・礼・智・信でありましょう、と平凡なことをいう柳生宗矩に対し、政宗は「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば硬くなる。礼に過ぎればへつらいとなり、智にすぎるとウソをつく。信にすぎれば損をする」と。なんていいこというのかしら(笑)。ようするに、支配者たるものは、これら上辺の美徳に眩まされない心構えが肝要、とくに譜代旗本への偏った信頼はこれからの幕政に大きな損を招きます…と、天下のご意見番として釘を刺すのも忘れません。
そうして、政宗が年を重ね、幕政が軌道にのって月日は過ぎて、そのあいだに、伊達家の会計係として辣腕を振るった鈴木重信(平田満)が亡くなります。御用部屋で、ソロバンをはじきながら卒中で急死…(涙)
そして、ついにあの男・支倉常長(さとう宗幸)が帰ってきました! 7年もの間の激変も知らず、切支丹となって南蛮服で帰ってきた常長を、政宗は最初は和やかに迎えますが、「世界に伍するためには日本も切支丹に改宗せねば。切支丹大名を糾合してイスパニヤ国とともに日本を征服する話はどうなりました」と言われ、態度が急変します。
「なんの話だ。そんな話をした覚えはない。夢でもみたのではないか」と冷たく言い放ち、常長を見捨てる政宗。やむないこととはいえ、あまりにも冷酷な仕打ちに、おなじ切支丹として五郎八姫の怒りが爆発します。が、「五郎八、わしはお前がいとおしい。常長と同じ目にあいたくなければわしを怒らせぬことだ」と娘を突き放す政宗の目は、冷たく座っておりました。…
(つづきます)
つまり「家康」という記号を演じるのではなく、若い頃からそこにいたるまでを、丁寧な役作りで埋め、丹念にひとつの人格を作り上げたような。津川さんの家康には、だから、格別の風格が漂います。よくいうところの「食えない狸オヤジ」ではなく、天下泰平という理想を初めて我が物とし、実現に身を捧げた…という解釈も、キレイ事ではなく、しみじみと腑に落ちるのでした。
というわけで、いよいよ大詰め・第47と48話を見ていきます。
第47話「天下の副将軍」
病篤く、死期をさとった家康(津川雅彦)は、将軍秀忠(勝野洋)に、様々な申し送り事項を伝えます。が、その中には忠輝(真田広之)の処遇が入っていません。「命だけは助けてやる。あとは将軍にまかせる」と、すでに見放した感じの家康のところに、なんと、忠輝が深谷の蟄居所を出奔し、行方をくらましたとの知らせが。すっかりガッカリしてしまった家康でした。
が、忠輝は、父親の最期をみとるために、駿府に向かおうとしていたんですね。その途上、江戸の伊達邸に押し込み、五郎八姫(沢口靖子)の寝室に乱入します。久々の逢瀬ですが、これで忠輝は間違っても恩赦の目はないと、ガックリ力を落とす五郎八。これを最期に切腹を申し付けられるのも覚悟で、父の死に目に会いたかった、そのまえに五郎八にも会っておきたかったといわれて、メロメロと崩壊します。「おれは父に叱られたかった。おれのほうを見てもらいたかったのだ…」と真情を吐露する忠輝。「この世では縁の薄い夫婦だったが、デウスのおわす天国でふたたび夫婦になろうぞ」といってヒシと抱き合い、愛し合う二人は永遠に別れていきます。
愛姫(桜田淳子)は、忠輝に従者を付け、政宗への書状も持たせて駿府に送り出してやります。駿府にいる政宗は、愛姫の手紙つきで忠輝が現れたことに仰天しますが、とにかく、親子の最期の別れに一肌脱いでやらなければなりません。病床の家康を見舞った政宗は、忠輝が側まで来ていること、対面を切望していることを告げますが、家康の返事は「会わぬ」。あまりにもにべもない拒絶でした。
人払いして政宗と二人きりになった家康は、「法を曲げては泰平の世は立たぬ」と、忠輝を切る理由を語ります。そして、「秀忠は、将軍としては覇気に欠けると思うだろうが、これからの将軍はあれでよい。よい耳と目を持ち、良い家臣に恵まれて、覇者ではなく王者あればよい」。忠輝の覇気は泰平の世には無用の長物だ…といいながら、一本の笛を取り出し、形見として忠輝に渡してくれるよう託します。それは、かつて信長から拝領した品で、覇者・信長も風流を愛でる優しい心をもっていたことに思いをいたすように。そして、「父も、忠輝に会いたかったと…」と。
政宗には、「天下の副将軍として秀忠を支えてほしい」と言い残し、これを最期の遺言に、舞い散る花のなかに家康は消えました。
家康が亡くなり、忠輝は改易のうえ伊勢に配流となり、五郎八姫はどっぷりと沈み込んでいるものの、一応の片はつきました。が、近頃江戸では、将軍秀忠が伊達討伐の兵をだすともっぱらの噂…という話が仙台にも届きます。
忠輝を担いでの謀叛の疑いがまだ晴れていなかったんですね。家康じきじきに、秀忠を支える副将軍にと指名された政宗には心外きわまりありません。江戸からは、柳生宗矩と内藤外記(中野誠也)が使者としてやってきますが、この人たちは「仙台討伐などありえません」とかいいながら、その実、政宗を尋問しにきたんですね。
というのは、ちかごろ、浦賀に来たったイスパニヤ王の側近に容易ならぬ話を聞いた。伊達政宗は30万の切支丹を糾合し、幕府を乗っ取って覇を唱えようというではないか…と、これは実はホントの話なので、政宗もギクッとするのですが、保険のため、支倉常長には書状などの証拠物件は持たせていません。証拠がないといって切り抜けたものの、幕府の伊達つぶしは本気らしい…。
政宗は、成実(三浦友和)に、「おれはかつて太閤の力の前にひれ伏し、家康には感服して自ら折れた。このふたりの他には頭を下げるつもりはない。こうなったら討ち死に覚悟で合戦に及ぼうではないか!」とぶち上げ、成実も「久々に独眼竜の咆哮を聞いたわ!」と大喜びです。やっぱり、泰平の世となっても戦となると本能的に血が騒ぐ男たちなんですね。
第48話「伊達流へそ曲がり」
幕府を敵に回して、滅亡覚悟の戦を決意した政宗(渡辺謙)は、仙台に立てこもり、ちゃくちゃくと戦の準備を整えます。江戸邸に置かれている愛姫(桜田淳子)、五郎八姫(沢口靖子)、忠宗(野村宏伸)は、イザというときは見捨てなければならぬから覚悟をしておけと非常な言伝をうけますが、この人たちも伊達に政宗の(笑)妻子をやっておらず、「はい父上、わかりました」と少しも騒がないわけです。
が、将軍秀忠(勝野洋)の側では、泰平の世が固まりつつある今、外様大名代表の伊達家と戦をするのはまずいのでは…という向きに傾いていたんですね。柳生宗矩(石橋蓮司)の進言で、秀忠は政宗討伐ではなく懐柔に乗り出します。秀忠の姪である池田輝政の娘・振姫を忠宗の嫁にと申し出てくるわけです。
が、これでホイホイ話にのって懐柔されるほど、政宗も甘い人生を送っていませんので、ここでいったん話を蹴って、なんと秀忠にケンカを売ります。ようは、姪を嫁にくれるとはバカにしているではないか、政宗を味方につけたいなら将軍の娘をよこせ!と。
これには秀忠もブチ切れ寸前になって激怒します。が、「ここが器量の見せどころです」と柳生にヨイショされて、グッとこらえ、振姫を自分の養女になおして輿入れさせると、折れてでるわけですね。
これでもう政宗は十分! 堂々と秀忠の前にひれ伏し、このうえなく丁重に、臣下の礼をとります。一流の男たちが、太っ腹にすべてを飲み込んで腹を割ったような、なんともいえないいい和解であります。
思えば政宗は幾度となく絶体絶命の窮地を切り抜け、切り抜けたところで大きく飛躍をしてきました。そんなスリリングな出世階段も登りつめたのかもしれません。政宗は完全に幕府の意向に従うこと、将軍を立てることを了解事項として飲み込みました。五郎八姫の懸念する、切支丹迫害すら支持しなければなりません…が、ひたすら純粋な娘に、「仙台では、心で信仰を保つぶんには勝手とする」と苦渋の決断を伝えます。
このとき、政宗が着ている羽織の背に派手な三日月の模様があるんですが、三日月は、キリスト教の図像ではアンチ・キリスト=イスラム教徒のシンボルですよね。こころならずもアンチ・キリストとなる=幕府に完全降伏する政宗の複雑な苦渋を、三日月を背負った背中がたっぷり物語っているわけで、この暗喩が心憎いばかり!
そして政宗は、成実(三浦友和)に宣言します。俺は今からアホになる!と。政宗はその日から数年間、腑抜けたような遊び人になり、奇矯な言動をし、ウツケのふりを続けます。そうして、改易・転封で典型的な戦国大名たちを淘汰していく、徳川幕府初期の恐怖政治を切り抜けていくんですね。
政宗は、ある日、将軍との内輪の酒席で「およそ人の上に立つ者の器量とはいかなるものであるか」と問われます。それは仁・義・礼・智・信でありましょう、と平凡なことをいう柳生宗矩に対し、政宗は「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば硬くなる。礼に過ぎればへつらいとなり、智にすぎるとウソをつく。信にすぎれば損をする」と。なんていいこというのかしら(笑)。ようするに、支配者たるものは、これら上辺の美徳に眩まされない心構えが肝要、とくに譜代旗本への偏った信頼はこれからの幕政に大きな損を招きます…と、天下のご意見番として釘を刺すのも忘れません。
そうして、政宗が年を重ね、幕政が軌道にのって月日は過ぎて、そのあいだに、伊達家の会計係として辣腕を振るった鈴木重信(平田満)が亡くなります。御用部屋で、ソロバンをはじきながら卒中で急死…(涙)
そして、ついにあの男・支倉常長(さとう宗幸)が帰ってきました! 7年もの間の激変も知らず、切支丹となって南蛮服で帰ってきた常長を、政宗は最初は和やかに迎えますが、「世界に伍するためには日本も切支丹に改宗せねば。切支丹大名を糾合してイスパニヤ国とともに日本を征服する話はどうなりました」と言われ、態度が急変します。
「なんの話だ。そんな話をした覚えはない。夢でもみたのではないか」と冷たく言い放ち、常長を見捨てる政宗。やむないこととはいえ、あまりにも冷酷な仕打ちに、おなじ切支丹として五郎八姫の怒りが爆発します。が、「五郎八、わしはお前がいとおしい。常長と同じ目にあいたくなければわしを怒らせぬことだ」と娘を突き放す政宗の目は、冷たく座っておりました。…
(つづきます)
m(__)m
ご指摘ありがとうございます。直しました。
こういうしょうもないミスってしょっちゅうやってて…もう…(涙)。
終盤を迎え、更新間隔も気持ち加速しているようにみえますが、レビューお疲れ様でございます。
47話のアバンタイトルで白石市の市章は片倉家馬印の釣鐘がモチーフである説明がありましたが、仙台市の市章も伊達家の「丸に竪三つ引き両」といわれる最も古い家紋がモチーフだそうです。両市共に現代でも伊達と片倉が息づいているのですね。
さて、津川家康も退場し、渡辺政宗には益々円熟味が増すばかりです。伊達討伐などという物騒な話も持ち上がりますが、返って絶大な安定感さえ感じてしまいます。数々の修羅場を潜り抜けてきたという自信と年輪みたいなものが画面を通して滲み出てくるのを感じてしまうから不思議なものです。
>三日月は、キリスト教の図像ではアンチ・キリスト=イスラム教徒のシンボルですよね。
成程!そういう解釈があるのですね。目から鱗です。ちなみに、私が調べたところによりますと、兜の前立や旗指物に使われる半月や日輪のデザインは真言密教と日月星信仰が結びついたものから生まれたという説もあります。三日月は胎蔵界で「陰」、日輪は金剛界で「陽」を表していて、この陰陽の調和こそが宇宙の調和を保つとされ、武将に好んで信仰されたとか。先日の「五色水玉文様陣羽織」は陰陽五行説に則って作られた日月星信仰の現れ、っていうのはコジ付けですかね。何れにしても、羽織のデザインだけでもいろいろと勉強できるのが楽しいですね。
>仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば硬くなる。礼に過ぎればへつらいとなり、智にすぎるとウソをつく。信にすぎれば損をする
でました!コレ、日本三大遺訓の一つなんですよね(って、先日仙台で知って驚いたのですが。これまた、手ぬぐい、暖簾、湯呑みなどの遺訓グッズがあるんですね。)。放映当時、私もこのフレーズが妙に気になって、家にやって来たばかりのビデオデッキで録画したビデオを何度もリピートさせてはノートに書き取っていました。おかげで、二十数年経った今でも、『臆病になっては御政道は豆腐の如く崩れやすい。かというて固い豆腐は歯が立たぬ。このあたり理屈と実際の調和が政の心でござる。礼に過ぐれば諂いとなり、智に過ぐれば嘘をつく。礼の上から申さば、将軍ほどのお方が下女に子など産ませるものでは。それがちゃんと産まれてござる故、嘘にもなり諂いにもなる。知略欺瞞は嘘のもと、嘘は嘘を呼んで果てしもない。かく申す政宗とて海山身に覚えがござる。云々』と暗唱することが出来るようになりました。だからって、何かの役に立ったことなんてありません。しかし、このフレーズって今年の大河ドラマのアンチテーゼみたいに聞こえるのは私だけでしょうか?義を声高に唱えるロマンチストな上杉や直江山城に対抗して、清濁併せ呑むリアリストな政宗を象徴するフレーズのような気がします。
>ついにあの男・支倉常長(さとう宗幸)が帰ってきました!
今年の大河でも南蛮服が出てきたことがありましたが、出すとすればこういう出し方が効果的だと思います。浦島状態というか何というか…。社長の言葉を信じて出向先で馬車馬のように働いてきたけれど、経営方針が変わってしまい、結果ボロ雑巾のように捨てられる現代サラリーマンの悲哀みたいなものを感じてしまうのは被害妄想ですかね。ちなみに、政宗公の墓室から金製ブローチが出土していますが、常長が持ち帰ったものかもしれませんね。そうであって欲しいです。実物は仙台市博物館で見ることができます。
いよいよラスト2話となってしまいました。
ラストスパートですね。
最後まで楽しみにしております。
三日月=アンチ・キリストというのは、ま、それこそこじつけなんですけど(汗汗)、ここで隠れキリシタンのことが語られているので、三日月という図像は暗喩として凄いなと思ったのでした。
ちょうど、政宗が憧れたイスパニヤは異端審問たけなわのころであり、日本でのキリシタン迫害と、反転させたように呼応する趣きもあります。
三代遺訓!そりゃまたすごいですね!!
また、あの名セリフを再現していただいてありがとうございました。これ、採録したかったんですが、長くなるので…(笑)。
そうそう、「侍女に子などは…」の下りはニヤッとしましたね。この侍女に産ませた子が、会津藩の藩祖・保科正之になるわけですもの。この侍女に産ませた子の藩が、徳川幕府の最後を徹底抗戦の悲劇で飾る…というところにまで思いを致してしまうのも、歴史を俯瞰で見る楽しさを提供してくれてると思います。
義とか愛とか硬直したことを言い続けてるのとはレベルが違う(笑)。
>ちなみに、政宗公の墓室から金製ブローチが出土していますが、常長が持ち帰ったものかもしれませんね。そうであって欲しいです
ほんと、そうであって欲しいと切に願ってしまいますね。常長のことを政宗はどんなふうに気にかけていたのか…。
そのブローチを見に仙台に行ってみたいものです。
ちなみにスペインには、土着した支倉訪欧団の末裔ではないかと言われるJaponという姓がある由。
そこへ訪れた私の母いわく、
「素敵なお墓だったわよ。仏教のお墓なんだけど、装飾はキリスト教風にしてあるの。あれをみると政宗がどれだけ彼のことを気にかけて、すまないと思っていたかがよくわかるわ。」
だそうです。
10年位前に綺麗にして公開されたらしいのですが(すみません。うろ覚えで)その頃地元ではちょっと話題で、つられて見に行った母の感想を庵主様のコメントを見て思い出しました。
隠れキリシタンと言われる人達のお墓なら珍しい様式ではないのかもしれませんが(私は見てないので、すみませんよくわからないのですが)、そんなことはさておき、「思い」が見る人に浸みるお墓って素敵ですよね。
因みに志摩スペイン村へ行くと、支倉常長とその使節団のことをかなりのスペースを使って紹介しています。ヤポンさん達のことも私はそこで知りました。
日本とスペインの繋がりにおいては、やはり外すことのできない歴史なんですね。
この夏は実家へ帰ったら、庵主様のレビューを見ながら政宗関係の場所を尋ねてみようかな、と思っております。
勿論まずは成実のゲジゲジを確かめに行きます。
>「思い」が見る人に浸みるお墓って
支倉常長のお墓、とても素敵なお話をありがとうございます!
ドラマの終盤を見て、政宗が、心ならずも見捨てた支倉常長に、慙愧の念を持ち続けていたと思いたかったので、そういうお墓が実在するというだけで、なにかジーンとくるものがあります。
わたしも見にいってみたい! おわりのほうのアバンタイトルで紹介された瑞厳寺も是非見たいので。
支倉使節団の異聞みたいな話としては、佐藤賢一さんの「ジャガーになった男」という面白い小説がありますよね。
ちなみに、ハポン姓が集中している南スペインのセビーリャ県には、Corea(コレア)という姓も多いそうで、いったい由来は??と興味がつのるところです。
家康を演じていた津川さん、当時まだ40代だった(!!)のですね。津川家康と言えば『葵・徳川三代』のイメージが強いのですが、『独眼竜』の津川さんは、庵主さんが言われるとおり、中年期から大御所時代までを本当に丁寧に演じられていました。特に、主人公・政宗が「心服し、天下を諦める」相手ということもあってか、従来の「狸親父」的なイメージを極力排し、泰平の世の具現者というスタイルで描いた点も、好感が持てました。『真田太平記』の梅之助さんの家康も好きなのですが、あくまで政宗を主人公として描いた場合の家康としては、この津川さんの家康、最高だと思いました。
今回はまた、48話のラスト近くで再登場した支倉常長の処遇が印象的でしたね。レビュ丸も思わず「現代サラリーマンの悲哀」と重ね合わせながら見てしまいました(笑)。最後は涙目になってしまったさとう宗幸さんの切々たる演技も素晴らしかった。
この慶長遣欧使節の派遣は、当初の目的である「日本とイスパニアとの通商関係の樹立」についても、あるいは「仙台領にイスパニア国王の援助による司教座を設置すること」についても果たすことが出来ず、さらには「政宗の密命」についてもシラを切られてしまい、完全に時代の趨勢に押し流される結果となってしまったわけです。しかしながら、常長のお墓や金製ブローチのエピソードなど、政宗が常長のことをすまなく思っていたことの裏付けにかかる上記皆様のコメントを拝読し、救われたような気持ちになりました。
やはり、しっかり出来ている大河ドラマは、妄想や発想の飛躍も含めて(笑)、いろんなふうに歴史の空間に連想をめぐらすことが出来るものですよね。
わたしも、この「政宗」の家康大好きでした。若い頃の、知的で温かみもある家康もよかったですが、だんだん食えないキャラになっていき、さいごには、天下泰平の理想の具現者というところに着地する。そのあたり、キレイ事のような無理がまったくなかったんですよね。
終盤の、家康天下に政宗が最後の抵抗をし、その収拾が、忠輝や支倉常長の悲運におわるなど、やりきれない部分もありますが、家康の大きさに救われたところもありますよね。
浦島太郎状態で戻ってきた常長はほんとに気の毒ですが、わたしも、死後に手厚く遇されたことを皆さんに教えていただき、気が楽になったりしました。歴史的には悲劇の人は数多いるのですが、異彩を放っていますよね。