湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 佐渡旅行_2

2017年10月21日 22時13分22秒 | 瓶覗色の思い[歓喜悦慶]
佐渡旅行_1」の続きです。


泊まったホテルから250m程歩いたところにある「万代口バスターミナル」

10番線以上もある規模のバスターミナルですが、このような変な造りのものは始めてみました。
到着したバスは各乗場にお尻を見せてバックで入ってきて停まり、乗客を乗せて前進で出て行くのです。
事故防止のためなのか、交通整理・案内の係の方が数名、忙しそうに動き回られていました。

私たちが乗船したカーフェリー「ときわ丸」が定刻の9時20分に岸壁を離れました。

遠方の高いビルは新潟一高い「万代島ビル」
カーフェリー2等片道運賃:2,250円/人

佐渡に着いてからはレンタカーで観光地を周ることになるので、片道2時間30分かかるカーフェリーの中で寝ていくつもりでした。
観光シーズンから外れているので乗客が少ないはずで、一番安い2等船室のだたっぴろいカーペット敷きの部屋を二人で占有して寛ぐつもりでした。

それは甘い考えでした。
揃いのジャージを来た中学生と思われるグループが何組も乗っていました。2等船室の広いスペースをその若者たちがほぼ占有しており、トランプ遊びなどに興じたり寝転がったりしていました。
余儀なく私とカヅちゃんは通路の窓際に配置されていたテーブル席に座ることになりました。

手持無沙汰で男子トイレを偵察に行きました。
(小用も足しました)
2016年3月に建造された「ときわ丸」はトイレも明るく綺麗でした。


結局、両津港(佐渡)に着くまで椅子に座ったままで、微睡むこともできませんでした。

2等船室を占めていた中学生の集団
(両津港で降りたところ)


あとで調べてみて判りました。
その日から2日間、中体連新潟県大会のバドミントン競技が佐渡島であっていました。


港でレンタカー(軽)を借りて出発しました。

「トキの森公園」に居たジッとしているキンさん


生きているトキが小魚(飼育員が仕込んだ(?))を獲る様子を間近で見ることができました。


トキの体は白いものばかりだと思っていましたが、違うようです。


夕方4時過ぎに着いた佐渡金山


時間が押していたので「宗太夫坑江戸金山絵巻コース」だけを見学しました。
採掘作業を模した人形が何体も配置してありました。
陽の当たらない地底で何十年も休みなく同じ格好で同じ動作を続けているのかと思うと、なんだか人形が不憫になってきました。

12.5kgの金塊 "獲り" 出しに私も挑戦しましたが、右手首を痛めただけに終わりました。



佐渡1泊目の宿「ホテル大佐渡」さんのオモテナシ


ホテル大佐渡さんは西に日本海を一望する岬の上にあるので、夕日を眺める絶景ポイントだと思います。
(残念ながら、当日は雲で覆われていました)

夕食後に出た佐渡名産「おけさ柿」のシャーベット

種がなくアッサリとした甘さで、皮だけを残して美味しく頂きました。


翌朝、今にも降り出しそうな空模様でした。
ジェンキンスさんに会うために「佐渡歴史伝説館」へ向かいました。

途中にある日蓮聖人縁の「本光寺」に行きました。


境内にある赦免石の由来文


日蓮聖人はこの石に腰かけて赦免状を読まれたそうです。

不肖私も座ってみました。

これまで犯してきた私の細やかな悪行をお赦し頂いた、そんな気がしたような、しなかったような ・・・


****** 少し長い横道へ ******

この本光寺で、厳密に言えば山門の横で、思いも掛けず感動するものに出遭いました。

本間雅晴陸軍中将の碑(レリーフ)です。

※本間中将のことについてはWikipedia等をご参照ください。
※傍を見下ろす銅像ではなく目立たないレリーフだったので危うく見落とすところでした。
(本間中将の人柄に合っているように思いました)


本間中将麾下の第14軍に生涯初めての負け戦を喫し、数万の兵を置き去りにしてコレヒドールから逃げ出したといわれるマックアーサーさん。
(大統領の命に従ってということですが)
そのときの屈辱を晴らすために、戦争終結後に卑劣にも私怨(リンチ)と言われるマニラ軍事裁判で本間中将を死刑にしたといわれています。

私は以前、そのマニラ軍事裁判においてご夫人富士子さんが述べられたという言葉に感動した憶えがあります。

あらためて調べてみました。

証言に先立つ会見において

『夫の命乞いに行くのだというような気持ちは、毛頭ございません。
本間がどういう人間であるか、真実の本間を全世界の人々に一人でも多く知っていただきたいのです。
裁判の結果などは念頭にありません。

私の責任の重大さは十分認識しています。
衆人環視の法廷に立って少しでも気怯れがして言うべきことも言えなかったりしてはなりません。
日本の家庭婦人としての面目を少しでも傷つけるようなことがあったら日本の皆様に本当に中し訳ないことだと思います。
日本の女として世界の視線に立つだけの覚悟は十分致して参るつもりでおります』 

 
昭和21年2月7日、裁判最終日の最後の証言で

『私は東京からここへ参りました。
夫は戦争犯罪容疑で被告席についていますが、わたくしは今もなお本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。

私には娘がひとりおります。
いつの日か、夫のような立派な人とめぐり会い、結婚することを、心から願っております。
本間雅晴とはそのような人でございます。

本間は、小さなことでも逃げ口上を言う男ではございません。
彼は心の広い人で、細かいことにこだわりません。
また、彼は平和的な雰囲気を創り出し、その中で過ごすことを好みます。
彼の行為はすべて、このような姿勢に基づいているのです。
たとえば、外で嫌なことがあっても、彼はけして家に持ち込んだことはありません。
常に微笑を浮かべて帰宅しました。
本間はそのような性格の人です。

彼の趣味の第一は、読書でございます。
古今東西の書物を読みます。
また詩も作ります。
狩猟や釣りは好みません。
彼は、生きるために必要ならいざ知らず、楽しく遊んでいる鳥を趣味として撃つことはできない、と考えておりました。
それもまた、本間家代々の家風です』


この言葉を聞かれた本間中将は、妻の自分に対する深い尊敬と愛の言葉に接し、ハンカチを顔にあて嗚咽されたそうです。

最初の結婚では奔放・フシダラナな悪妻に悩まされたという本間中将ですが、富士子さんとの再婚後はさぞや幸せだったことでしょう。


本間中将へ昭和21年2月11日(*)に死刑の判決が下され。
昭和21年4月3日午前0時53分(**)に銃殺刑が執行されました。

*:神武天皇の即位日である紀元節
  現在の建国記念日
**:この日時の丁度4年前にあたる昭和17年4月3日午前0時53分にマックアーサー率いるアメリカ極東陸軍への総攻撃を本間中将が命じた。
 (神武天皇の崩御日でもある)


判決の日並びに執行の日時を決めたのは復讐心に燃えるマックアーサーさんといわれています。
狭量で歪んだ執念深さが感じられます。


本間中将が銃殺後に埋葬された正確な場所は今も不明のままだと思います。

一方のマックアーサーさんは、ノーフォークにある殿としたマックアーサー記念館(日本人も訪れるという観光名所)の中に安置され、妻とともに安らかに眠っておられるということです。

****** 横道から戻ります ******


佐渡歴史伝説館

左は日蓮さん、右は観世元清(世阿弥)さん。

土産品売り場におられるはずのジェンキンスさんは "自宅で充電中" でした。

ジェンキンスさんは偶数日勤務とのこと(基本)。
生憎この日は7月5日でした。

佐渡島南端の宿根木の観光撮影スポット「三角屋」の角に立つカヅちゃん

たらい舟をデザインしたマンホール



佐渡国小木民俗博物館

私が小学1年生のときは、これより痛んだ古い机・椅子でした。そして、傷だらけの机には上蓋式の物入れがありました。





この博物館は有名な民俗学者「宮本常一」さんの提唱・支援で設立されたものだそうです。
苦労して集められたであろう膨大な数の展示物に驚きました。
宮本さんが書かれた本(全国各地の昔の暮し・文化を紹介したものなど)は行きつけのプラザ図書館に沢山置いてあり、何冊か読みました。
こんな辺鄙な地に(失礼)、このような博物館があることを、この日立ち寄るまで全く知りませんでした。
私たち以外に見学者を見かけませんでした。
この地にあるのが勿体ないような気もしました。


佐渡2泊目の宿「吉田屋」さんのオモテナシ


安い宿泊プランを選んでいましたが、他に客が少なかったからか、準特別室が用意されていました。

近くの酒屋で買って持ち込んだ酒

右は新潟の米「こしいぶき」で造られた佐渡の酒

宿から望む「加茂湖」


吉田屋さんの西側には穏やかな湖が広がっています。
夕景が美しいはずですが、ここでも雲が邪魔をしてくれました。

佐渡からの帰りは、昼の飛行機に間に合うようジェットフォイルを利用しました。

15分早く出るカーフェリー「おけさ丸」(写真左)を途中で追い越します。
※ジェットフォイル片道運賃:6,260円/人

新潟空港ではやっと太陽が顔を出してくれました。
この緑の機体はFDA(フジドリームエアラインズ)の最新11番機「エンブラエル ERJ-175」(84人乗り)


新潟の旅が終わり、私が旅していない都道府県は「富山県」だけになりました。
(高速道路で通過したことはありますが)


私たちが佐渡を旅していたとき九州では大災害「平成29年7月九州北部豪雨」が起きていました。