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2021年6月勉強会資料第1集

2021-06-05 11:26:37 | 日記
創造の神が受肉して人間の形をとって現われた。
2021/05/27
神が受肉して人間の形化して現われた、
つまり「人間は人間の形をした見えない神である」という真理は
新約聖書ヨハネ伝が説く真意であるが、
その真理を哲学の書物にしたのが、
ドイツの哲学者大ヘーゲルであった。
ヘーゲルは『精神現象学』のいわば結論的な形で、
【神がこのように受肉して、本質的かつ直接的に自己意識をもつ人間の形をとる、ということが、絶対宗教の単純な内容である。受肉したとき、神は精神だと知られ、自分が精神であることを意識する。精神とは外化のなかで自分自身を知ることであり、自分とは別のものになるなかで自己同一性を保つような運動体なのだから。】
【神の本姓と人間の本性とは同じものであり、この統一こそが見て取れるのである。】
(参考 精神現象学 長谷川宏訳)
 
訳者の長谷川宏氏は次のように書いている。
『神が人間としてこの世にあらわれたという事実が大切なのではない。その意味が大切である。そして、その意味とは、神の本性と人間の本性が同じだというところにあって、これこそがキリスト教によって人類史上はじめて、断固として啓示された事柄である、と。』
 
神の本性と人間の本性とが同じだというその本性というのは、
「知恵・愛・生命・供給・喜び・調和」であることは、
明らかである。 
 
<現象は自分の心の影であり自分の最高指導者は「内」なる“神の子”であります。>
2021/6/5
現象は自分の観念の展開であり、
その観念を外界に現出させたのは
自分の心なのであります。
要するに現象は「物」ではなく自分自身の観念であります。
現象に固着して自由を失ってはならないのです。
現象を現わし出す自分の心は
五感の心でありますが、
その心の奥には「実相の心」が隠れています。
だから現象のあらゆる表われの奥に
「実相の心」が隠れています。
ただ言いたいことは、
現象は自分の心が産み出したものであり、
自分の心の奥に「実相の心」つまり“神の子”が、
つまち最高の善知識がいて、
真理的には自分を導いてくださるわけなので、
現象に現れた自分の心の影法師を、
自分の指導者に仰ぐことは間違いなのです。
現象は非実在ですので・・・。
【神こそ道なり実在なり】です。
この点に於いて多くの信仰者の信仰態度の誤りがあり、
実相信仰が現象上の指導者信仰になってしまっているのは、
残念な事態であります。
これを明らかにしたのが
谷口雅春先生です。
 
<「霊から生まれた」時に「神の国」を観ることが可能となる。>
2021/6/4
ヨハネ伝はイエスの言葉をこう伝える。
「人は、新たに生まれなければ神の国を見ることはできない。」と。
だが「新たに生れる」ために必要なことを、
イエスはさらに伝えている。
「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」
つまり「神の国」に入るための条件は、
“霊によって”生まれることなのである。
この“霊によって生まれる”ために行うのが
神想観(実相の祈り)なのである。
実相を観じることが可能となってくると、
神の国に入ることができるのだ。
ただ神想観を実修するだけで
実相に触れるわけではない。
如何にすれば“実相に触れる”観になるかは、
自分で見つけ出す以外には
方法はないのだ。
実相というものは「現象上」には無いのである。
「空」というか「無」というか、
そういうものの奥に存在するものである。
だから観じることが可能となるためには、
いろいろ探求し実修し、
やっと出来るようになる世界なのだ。
たとえば「いのち」というものを考えてみると、
見えない触れない「空」でもあり「無」でもある存在が、
“それ”なのである。
この“いのち”が“神の子”である。
こういう存在が“神の子”であるからこそ、
金剛存在なのであり、
それが自分の本体だと分ると、
盤石の自信となるのである。
 
 
<業(因果)超越の道>
2021/06/03
真理がある程度分ってくると、
毎日祈ることをせざるを得ないです。
業というものを
実相には存在していないにもかかわらず、
現象世界に生れた人間は、
実相を悟ることなしの状態においては、
業あるかの如き生活をすることになっているからです。
谷口先生が
「業はないんですよ」とお説きになっていたのは、
ただ真理として知りなさい、
そうすればそれでいいんだ、
という意味ではなく、
「業を超越して業に巻き込まれない人生を送りなさい」
という意味でありました。
まことにも業の存在を認めてしまっている間は、
自由がきかず囚われの身みたいですが、
因縁因果を超える方法があるということを教え、
それは真理をさとることと神想観なのだと雅春先生は説いたのですから、
つまり究極の救いの道をお説きになったのですから、
素直にその教えを学んで
業(因果)超越の道へと
すすんでまいりましょう。
 
神想観は自分の本体が“神の子”つまり神なりと観じるのです。
2021/06/03
三つポイントを書きます。
①神にもたれかかって“神の子”を観じる。
神のいる所に“神の子”がいるので、“神の子”を観じることは、神様に対して「自分は神の子である、神である」と主張することです。この自分を神と述べる(実相が実相する)ことが大事なのです。
根拠はここにあります。
(詩篇125-1)
【神に依り頼める者はシオンの山の如くなるべし。動くことなく、永久(とわ)に変ることなし。】
②「三位一体」の真理を意識して神想観する。
(参考 奇蹟の時は今25頁 アディントン著谷口雅春訳)
【“霊”と“心”とが調和の状態にあるとき、その二つと三位一体になっている“体”に於いて、可視的世界に神癒が実現するのである。】
③生長の家の基本的神想観と原理的には同じです。基本的神想観では、自分の全身が神の霊に満たされていると観て、「神のいのちに満たされている、生かされている、ありがとうございます」と言葉で念じますが、ここで自分が紹介している神想観の方法は原理的にはこれと同じであり、自分自身が(つまり自分の本来の面目が)“神の子”であることを、「神の子円満完全「実相円満完全」と観じるのであり、端的に実相を観じる方法なのであります。
 
<知るべし、 祈りこそが奇蹟的な護りの鍵です。>
2021/06/02
実相を祈っている限り
奇蹟は起こります。
100%神に護られます。
イエスの奇蹟は
イエスの祈りによって起こったと、
エメット・フォックスは
書いております。
ですから
実相を祈っている限り
もう心配はいりません。
人生万般にわたってです。
知るべし、
 祈りこそが奇蹟的な護りの鍵です。
 
<「物質はなく“神”のみが実在」の観念形成で、現象生活の心配を超越して生きる。>
2021/06/02
現象生活を元気に生活して行くためには、
「現象はナイんだ、実相だけがあるんだ」
と思えればよいのであります。
この観念形成は時間がかかりますが、
たとえば『聖経 四部経』を黙読でいいから
徹底的に読み続けるという方法があります。
要するに現象アリ物質アリの観念を、
実はみえない神の世界のみがある、という観念で
破砕しちまえばいいのです。
この交換をしてしまえば現象上の心配、不安は消えてしまい、
実相金剛身だけが存在しているという観念で、
心配な心を超えてしまうことは可能です。
要するに心とか意識の在り方を
実相独在の真理の「観」にて
変えてしまえばよいわけです。
これは一日や二日でできることではありませんが、
でもある程度「物資ナシ実相あるのみ」の真理が、
納得できている人なら、
日々の心を調節する修行によって
現象超越の生活にもっていけます。
それは事あるごとに現象を超越するやり方を
実行すればよいのです。
それは一つは『聖経四部経』の徹底黙読という方法です。
私は昨日それを30回やりました。
『聖経四部経』って
そういう力を持っているお経です。
神様の力が入っているお経です。
もっともそう真実を知っている人でないと、
多くの功徳はのぞめません。
何といっても
真理に対する燃えるような希求がある人なら、
「現象なし実相あるのみ」の観念形成は可能です。
不動心獲得を望めます。
 
現象のあらゆる事物の奥の奥に横たわる円満完全具足の本質
2021/06/01
現象に起こる全ての事と物の奥の奥には、
円満完全の本質が横たわっている。
それは何故かというと、
現象世界は時間・空間世界における実相の映しであるからです。
自分を中心として展開する現象世界は、
道元は“仏の説法”と説いていますが、
ヘーゲルは「精神現象学」で現象は神を啓示していると書いているし、
谷口雅春先生は「現象事物の奥の奥に横たわる円満具足の本質」
と説いているのです。
現象非実在で、
神のみが存在していると
仰るのです。
(参考 詳説神想観 谷口雅春)
【存在には実相と仮相とがあるのです。仮相というのは現象のことです。現象というのは存在するように見えても本当に存在するのではないから、時々刻々移り変わっているのです。その移り変るものを見詰めていても捉えどころがないから、移り変わる現象を観ることを止めて望遠鏡で視力を集めて天を覗くように、心の視力を集めて実相を静観するのです。これが神想観でありまして、神想観によって吾等の心の方向を一転して存在の実相を静観しますと、あらゆる存在の奥の奥に横たわる円環具足の本質を悟ることができるのです。】
円満具足の本質というのは、
神の愛、知恵、生命等であります。
現象はすべて神が隠れています。
これが実相が独在するということです。
 
 

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