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宇宙には唯一つ・・・神の力しかない、しかもその唯一の力は常に神の子である人間に利用されるように準備されていることを忘れてはならないのである。

2020-09-24 15:04:21 | 日記
「自分の内に神が存在している」
という真理を私に教えてくれたのは
イエスの、
「祈りにおいて内なる神の許に往く」
という教えであった。
イエスが教えてくれたのだと思う。
具体的に‟神”なる存在を認識したのは
アディントンの『奇跡の時は今』と云う本だ。
それまでは漠然たる神解釈だった。
私に神を教えてくれ、
実相独在の真理を教えてくれたのは、
キリスト教関係の神界、霊界からだと感じる。
勿論「久遠いのちの流れ」における中の
キリスト教だ。
もっとも『正法眼蔵を読む』は
もう50代後半から勉強しだしたし、
坐禅は30代後半から初めていたから、
こっちの方からも大きな守護を感じてきた。
坂東観音札所めぐり、秩父札所巡りも
三十代で打ち止めしている。
高野山にも行った。
小学校の時はキリスト教会に遊びで行っていた。
仏教もキリスト教もなんとなく縁があった。
私は何も取り柄がないが、
宗教的要素はもともとあって生れてきたのだろう。
でもこんな年齢で実相を顕わそうとする運命って
一体なんなのだ。
あまり例がない運命だ。
ただこれは明言するが、
青年時代まで宗教はきらいだった。
だって左翼の方だったのだ、30歳くらいまでは・・・。
反抗児だったのだ。
キリストの教えは雅春先生にも伝わっている。
キリスト→雅春先生、である。
ところで
神の子である私たち人間は、
神の国の継承者である。神の子だからだ。
神の国の継承者が神の国を承け嗣ぐのは
当然の権利であるのである。
だから実相を顕わすのは、
当然なのだと思う。
(奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春著)
【わたし達が忘れてならない事のすべては、神癒の道を本当に理解し、しかもそれを実行して美事な成果をあげたイエスの教えに随順するということである。奇蹟には色々の面が宝石の彫琢された反射面のようにあるが、そのうちの幾らかに私は証明を当て、イエスがそこに教えたところの真理のうちの若干を解明しようと試みたわけであるが、読者自身、聖書に録されている神癒の奇蹟を繰り返し繰り返しお読みになるならば、また別のアイディアが心に‟ひらめいて”来られるであろうと思う。あなたが、本当にその瞬間必要とせられる事柄・・・あなたにとって今重要な事柄・・・をあなたはそのアイディアの‟ひらめき”の中に気がおつきになるであろう。あたかも、そのちょうど重要な瞬間のために聖書が書き遺されているかの如くにである。宇宙には唯一つの力・・・・あなたにとって今重要な事柄・・・・をあなたはそのアイディアのひらめき”‟の中に気がおつきになるであろう。あたかも、そのちょうど重要な瞬間のために聖書が書き遺されているかの如くにである。宇宙には唯一つの力・・・・神の力しかない、しかもその唯一の力は常にあなたに利用されるように準備されていることを忘れてはならないのである。・・・・何故なら、あなたの内に神の国があり、神の力があり、その栄光は永遠のものであるからである。】

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