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「神はすべてのすべて」と念ずる

2018-03-01 10:07:04 | 日記
「神の言が自己に宿っている」ことの確信が
いつもそう思えるようになっていく必要があります。
「言は肉体となりて我らの中に宿りたまえり」の
究極の真理は
真理として受け入れてはいても、
“キリスト我に宿る”底の革命的な真理は
定着するのに多少時間がかかっても
当り前だとも言えます。
(参考 生命の実相第8巻 無限生命に汲む道)
【かくのごとくして、われらが自己の“いのち”のうちに無限者の“いのち”を感ずるようになったとき、われらは眼に病気を見ず、耳に病気を聴かず、心に病気を思わず、病気という言葉すらも自己の世界から消えてしまうのであります。たといわれらの肉体になお若干の不調和が感じられ苦しみが感じられましょうとも、われらはもはやそれが非実在であることを知るが故に、病気のことを少しも考えない境地に達し、われらはかかる状態を病気とは名づけなくなるのです。かかる場合に、われらの呼ぶべき言葉は「神はすべてのすべて」という言葉であります。そして、病の名前は呼ばれなくなり、それは存在の圏外に逐い出され、神は“すべて”であるが故に、神の完全さが現実にあらわれて、われらは平和と健康とを回復するのであります。慣れて来ますと、ただ一語「神はすべてのすべて」または「神のみ在(いま)す」と繰り返し念じて、ただちに神想観の三昧境に入ることができます。】

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