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私の神想観のパターン

2018-01-11 18:56:31 | 日記
私の神想観のパターンは、
基本的神想観をして
それの途中から
「実相は即ちわれ、われ即ち実相」と念じるのに
切り換えるやり方です。
つまり実相を観じる観を
やるわけです。
私は
実相は必ずあると信じ切ること、
感謝でいただくこと、
顕われるまで叩き続けることが
鍵になるのかな、
と思います。

谷口雅春先生「神想観の神髄」
【わが存在の深奥なるところに、現象の自分の想念が波立てども、決して波立たずに、深く一切を湛えて不動にしてそのまま一切をあらわすところの根源的な存在があるのである。すべての善きものは悉く、この深く湛える根源より発するのである。これをキリストは「天の父」と称したのであり、その「天の父」のまします「わが存在の深奥なるところ」を「神の国」と称したのであり、「神の国は汝の内にあり」と喝破されたのである。キリストが「我れみずからにては何事をも為し得ず、天の父われに在(いま)して御業(わざ)を為さしめ給うなり」と言ったところの「何事をも為し得ない我みずから」とは、波立ちさわぐ表面の自我であり、その表面の自我の無力さを自覚してこれを抛棄したとき、内面の深く湛える奥底の自我(天の父)が表面活動に入り、大いなる業(わざ)を成就するのである。】


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