アディントンが人のために祈る時には
その人が“神の子”であることを観じるのである。
“神の子”(神)である事の中に
一切の解決が存在しているからなのだ。
つまりアディントン氏は“実相”を観じるのであることが
以下の文章からわかる。
実相というのは、
“神の子”の理念であるから、
“実相”が顕われれば、
人間は“生”の本道に乗るのである。
この“神の子”を自覚することが
「生命の実相」の自覚である。
(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
【わたしは、これら凡ての逆境の諸問題を解決するには斯うこうせられるがよいといちいち具体策をわたしの心に描くことはしなかった。わたしがしなければならぬことは、彼の内にはすべてを知り給う神の叡智が宿っていて万般の人生問題の回答を彼の生活経験の中に、彼にちょうど納得できるような具合に彼を導き給うようになっているのだと信じてその叡智にすべての問題を委ねることなのである。もしわたしが、彼が何を為すのが適当であるかを彼のために商量しようとするならば、実際には私の考えに浮ぶことは、彼のためよりも、わたしから見て適当だと自分が思うものを描き出すことになるのである。】
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