吾々は毎日、
神の智慧の意識的交流の中に
存在しております。
現象世界は全て、丸ごと、
神の智慧にて存在しているのです。
ということは現象世界は全部一体として霊的存在であって、
神の“いのち”であるということであります。
(神癒への道 谷口雅春)
【神が斯くの如くしてこの広大無辺にして同時に精微微妙なる宇宙を創造したことから考えればそれは無限の叡智をもちたまうものであるということがわかるのであります。その叡智は分子の構造や電子の運動や更に人間の脳髄におこる所の極めて精妙なる智慧の働きを観察するならば、如何におどろくべき力が神の創造力の中に宿っているかということがわかるのであります。斯くの如き叡智ある被造物を叡智なき者が造り得る筈がないからであります。その神の叡智は極微の電子の中にさえも満ちています。神の叡智の存在しない所はないのであります。吾々は神の叡智の中に住んでいるということができるのであります。叡智(智慧の優れたもの)は意識的存在であって、それ故に吾々は大生命の中に生きているのだということがわかるのである。そして吾々自身も自己の自覚体験によって、自ら知っているように意識的存在であるから、大生命と意識的感応又は交流が常に行われているものであるということがわかるのであります。】
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