人間は“神の子”であるから
神の保護に漏れる人はいないのです。
この事を以下のご文章は
お伝えくださっています。
(参考 人生は心で支配せよ 谷口雅春 日本教文社)
【然らば、一羽の雀も天の父の許しなくしては地に落ちないのに、また神は空の鳥をさえ養わせ給うのに、神の生命を賦(わか)ち持つ人間が、何とて神の保護に漏れたり、求むるものが、与えられなかったりする道理があろうか。むしろ吾々は神の選択意志の主体としてこの地上に顕現したのである。むしろ吾々は神をみとめて、吾がたましいを憩わせ給わんがために、緑の牧場や静かなる河のほとりに導きたまう「善き羊飼者」だとおもってもよいであろう。更に吾々は神をみとめて、帰って来る放蕩息子を出迎えて愛情の指環をその息子に嵌めてやる慈愛深き父だと思うべきだ。】
神の保護に漏れる人はいないのです。
この事を以下のご文章は
お伝えくださっています。
(参考 人生は心で支配せよ 谷口雅春 日本教文社)
【然らば、一羽の雀も天の父の許しなくしては地に落ちないのに、また神は空の鳥をさえ養わせ給うのに、神の生命を賦(わか)ち持つ人間が、何とて神の保護に漏れたり、求むるものが、与えられなかったりする道理があろうか。むしろ吾々は神の選択意志の主体としてこの地上に顕現したのである。むしろ吾々は神をみとめて、吾がたましいを憩わせ給わんがために、緑の牧場や静かなる河のほとりに導きたまう「善き羊飼者」だとおもってもよいであろう。更に吾々は神をみとめて、帰って来る放蕩息子を出迎えて愛情の指環をその息子に嵌めてやる慈愛深き父だと思うべきだ。】
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