人間は神の子だから
本当は健康そのものなのだけれど、
そのことがなかなかストンと落ちないものだから、
人間は病気になって苦しんだりしているわけです。
でもこれがストンと落ちるには、
やはり生命の実相が分るしか
ないのだと思うのです。
(参考 真理第一巻入門編 谷口雅春著)
<人間は神の子、始めから病気はない>
【栗原先生の講演を聴いてから、馬場きうさんは安心して『生長の家』を読むことにせられました。読んでみると、金光教祖の教が一層よく解って来たのであります。
金光教をおはじめになった教祖は「眼をひらいて見よ、我らは神徳の中に生かされてあり」とおっしゃいました。また「頼まいでもお蔭はやってある」とおっしゃいました。頼んでも頼まなくとも既に人間はお蔭を頂いた神の子で、何処も悪いところがない。身体は健康で、何でも思う通りになるのだ、それが、身体に何か故障があったり、何か思う通りにならない所があるように思うのは、本当に身体に故障があるのではなく、また本当に思うとおりにならないのではなく、心の眼をひらいて見ないで、既に頂いているお蔭に気がつかないからだと気が着いたのであります。】
本当は健康そのものなのだけれど、
そのことがなかなかストンと落ちないものだから、
人間は病気になって苦しんだりしているわけです。
でもこれがストンと落ちるには、
やはり生命の実相が分るしか
ないのだと思うのです。
(参考 真理第一巻入門編 谷口雅春著)
<人間は神の子、始めから病気はない>
【栗原先生の講演を聴いてから、馬場きうさんは安心して『生長の家』を読むことにせられました。読んでみると、金光教祖の教が一層よく解って来たのであります。
金光教をおはじめになった教祖は「眼をひらいて見よ、我らは神徳の中に生かされてあり」とおっしゃいました。また「頼まいでもお蔭はやってある」とおっしゃいました。頼んでも頼まなくとも既に人間はお蔭を頂いた神の子で、何処も悪いところがない。身体は健康で、何でも思う通りになるのだ、それが、身体に何か故障があったり、何か思う通りにならない所があるように思うのは、本当に身体に故障があるのではなく、また本当に思うとおりにならないのではなく、心の眼をひらいて見ないで、既に頂いているお蔭に気がつかないからだと気が着いたのであります。】
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