人間は本当は神様の子どもなのだという真理は
今始まったわけではなく、
西洋と東洋に
古くからあったのである。
アディントンはソクラテスを真理の古い例に出しているが、
人間は本来が神様の子どもであるから、
その真理に気付く賢者は
当然いたと見るべきである。
私たちの見ることができる文献では
日本では釈迦とキリストが身近だが
釈迦も悟りを開くまでは普通の人間であり、
悟りを開いて仏様であると自覚し、
仏様になったのである。
仏教は“人間は仏”であるという本当のことを
どうやらこうやら必死の修行で伝えてきて
今日にいたっているが、
根幹真理の「衆生本来仏なり」ということは、
脈々と伝えてきている。
キリストも教えを述べ始めてからのことしか
聖書は伝えていないが、
キリストだって、
自分が神の子であったと悟るまでは、
世間の普通の人間であったからだ。
イエスは旧約聖書を多く学んだらしいので、
やはり学び祈って“神の子”を自覚したのである。
人間は神様の子どもだというイエスの本当の教えは
細々と伝えられてきて、
ついにニュー・ソートという宗教運動に発展して、
今は先細りしてしまったが、
でもこの教えの本は今多数求められるので、
やはり現代に残ってはいる。
だが現代のキリスト教会は
イエスを神様の子どもと見るが
人間も実はイエスと同様
神様の子どもなのだと把握することが
今になっても出来ていないので、
イエスの教えを誤解しつつイエスを信仰している。
世界には人間が神様の或いは仏様の子どもだと真実を把握している宗教家は、
必ずいることと思われるが
それらの宗教的真理は世界あちこちで説かれていても、
宗教の名がちがうだけで、
全部究極的に同一の真理を説いているのだと、
明らめて説いたのが谷口雅春先生だ。
谷口先生もお悟りになる以前は普通の人間と変わらない考え方だった。
また谷口先生は、
自分は教祖でなく、
真理を伝えるラッパに過ぎないと
仰っている。
この「久遠いのちの流れ」の教えが伝わりにくい理由は、
現象世界は人間のいのちの五官を介しての振動であり、
波動なのであり、
現象世界は人間の“実相”が現象の五官の作用で
時間空間のスクリーンに
色と形を帯びて投影された非実在の世界であり、
実相人間である“神の子”が
自由な心を使っての実相表現の活動の舞台なのだという根本真理が、
さとるのに容易ではないことに起因している。
この真理はあまりにも深遠であるので、
未だ人類は模索状態を続けてはいるが、
いつか全人類がこの真理を悟る日が来るから、
その日にはすべての宗教は本当の宗教になり、
地上天国が実現するだろう。
その時にはすべての人々が実相の真理を理解しているから、
宗派争い、宗教争いなど無くなるはずである。
大事なことは「現象ナシ実相あるのみ」の真理を
正しく我らが把握することであって、
間断なき祈りが前提となる。
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