時々
あの人に対する不信の思い、
この人に対する疑問の思い、
自分のことを悪く思っているんじゃないかとか、
自分について不信感をもったのではないかとか、
こういう念が起こる間は
心が落ち着かないわけで、
反対に
みんな善い人に思えるようになった時が
人を神の子と思えるようになった時なのです。
こうなると人を行動の如何にかかわらず
本体は神の子と思っているわけですから、
現象を心でつかむとか、
現象に心をつかまれるということが
なくなってきます。
つまりこの世界の本体(実相)は
円満完全なんだなと思える時が来たのであって、
本心からそう思うのですから
唯心所現の原理によって
良いことばかりが
出てくることになります。
あの人に対する不信の思い、
この人に対する疑問の思い、
自分のことを悪く思っているんじゃないかとか、
自分について不信感をもったのではないかとか、
こういう念が起こる間は
心が落ち着かないわけで、
反対に
みんな善い人に思えるようになった時が
人を神の子と思えるようになった時なのです。
こうなると人を行動の如何にかかわらず
本体は神の子と思っているわけですから、
現象を心でつかむとか、
現象に心をつかまれるということが
なくなってきます。
つまりこの世界の本体(実相)は
円満完全なんだなと思える時が来たのであって、
本心からそう思うのですから
唯心所現の原理によって
良いことばかりが
出てくることになります。
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