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神想観は“既にある”完全な実相を“ただ”いただくのみ

2019-05-14 13:54:12 | 日記
“既にある”完全な実相は、
見えなくてもちゃんとあるものです。
だから、感謝してありがたくいただくことだけすればよいので、
“無我”になり切ることが必要だと言われています。。
我を捨てきって実相を観じたとき、
神我が流入してくるのだと言われています。
【神想観は「欲する事物を心に描いてそれを呼びだす方法」だと思われているかも知れないが、それ以上のものである。そんな現象的効果を予期するようなケチなサモシイ行法ではないのである。こう祈ったらこういう功徳が生ずるかしらと思いながら祈るのは、一種の妄想である。神想観は妄想観ではない。皆さんが映画を観るのはただ映画を観るためでしょう。そのように神想観は「“既にある”完全な実相」を“ただ”観ずるだけである。】
「“既にある”完全な実相」を“ただ”観ずるだけである、
ということが
特に大事なのだと思います。

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