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無の関所を通過した感じ

2018-04-13 16:41:53 | 日記
真理を悟るには
「現象無」の門関を通り抜けなければならないということは
事実であって、
「現象無」を通り抜けると
現象は物質でなく「神のいのち」「仏のいのち」と分るから、
普通のものの見え方に
戻るのである。
私も現象世界が
「ナイ」ということから
アルのやらナイのやら
一種異物に思っていたのだったが、
ナイながらアルのであって、
同時にアリながらナイのであって、
360度回転して
元に戻った感じである。
だが私の場合
この無の門関を通過するのに
長い長い時間がかかり、
もどかしい歳月が流れたのであった。
同じ物質だが
物質じゃなくて
神のいのちであり、
仏性なんだと
かなり知的な分り方であるにせよ、
無の関所は通過したみたいなので、
よかったよかったという感じである。
ほっと安堵の状態だ。
このブログを見てくださった方々にも
多大のお世話になったわけで、
感謝申し上げております。

助けたい人はたくさんいる

2018-04-13 16:16:52 | 日記
本を読むだけで
病気しても助かるかもしれない方法とか、
軽く済む方法とか
健康を維持できる方法があることを
知らせてあげたい知人がいっぱいいるが、
それをやると
却って人間関係が悪くなる可能性もあって、
やりにくいのである。
だからインターネットで
発信する以外に
手がうちにくい。
それ(できないこと)も自分の心がなせることというのは、
法則として正しいとしても、
これを打破できると良いのだが・・・。

コリント人への第一の手紙

2018-04-13 11:19:15 | 日記
コリント人への第一の手紙
<第9章>
パウロの自己鍛錬(9・24-27)
26 そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。
27 すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。

聖経『甘露の法雨』(神様の植えたものは永遠に枯れない)

2018-04-13 10:06:39 | 日記
聖経『甘露の法雨』を持っている人は今や無数にあり、「生命の実相」と「真理」という本を持っている人も同様であります。さらに神想観という観法も今やいろんな方法で、本だけでなく直の雅春先生のお声で実修することだってできます。今後私みたいに、上に掲げた資料を使って、実相を顕わすことに真剣に取り組み、自分のやり方で教えを伝えていく人が、続々と出てくるでしょう。現在は目に視えなくとも、そのような働きは現在でも無数にあるでしょうし、やがては日本をそして世界を救っていくことになるのではないかと、私は推察しております。そのために谷口雅春先生は世に出たのですから。

(参考 新講「甘露の法雨」解釈 谷口雅春 日本教文社)
【このような素晴らしい功徳が此の『甘露の法雨』に顕れて来るという事になったのは事実でありますから、この聖経は、たとい、この谷口雅春がペンをもって書いたにしても、私が本当は書いたのではない。単なる肉体を持った人間が書いた一つの詩によってこんな奇蹟が起るというような事は、とうてい常識では考えられない事であります。それは現象的には私の肉体が手を動かしペンを持って書いたにしても、実は私が書いたのではないのであって、もっと素晴しい、神秘なる何者かが書いたのであると考えるより仕方がない。そういうようなところに、この生長の家というものが、人造の宗教でも教理でもない。その発祥は、久遠の実在たる、本仏又は創造神の救世の悲願が観世音菩薩とあらわれ『甘露の法雨』を雨ふらし給うたのであると判るのであります。人間の植えたものは枯れるけれども、神様の植えたものは永遠に枯れないという事になるのであります。】

人間が“生きること自体”が実相の反映なのだから“神の子”を生きれば良いのです

2018-04-13 09:28:16 | 日記
実相とは
神のいのちです。
私が今生きているということは
神のいのちがここにある、
ということです。
実相とは神の理念ということですから
「実相を生きる」ということは
「神の理念を生きる」ということであり、
神の子の生き方をすれば良いことになります。
神の子の生き方をすれば
父なる神様が喜ぶと同時に
自分の本体なる“実相神の子”が喜びます。