実相と現象との距離を縮めることが、
神の子の自覚につながります。
逆に、
神の子の自覚ができるにつれて
実相と現象との距離が縮まるとも言えます。
要するに
以上のことができてくるにつれて
良いことが起こってくるということは確かです。
(参考 新講「甘露の法雨」解釈 日本教文社)
【こう言って自分の体験談をされましたが、この日野西恵美子さんの体験のように、神と自分とが「今」何らの距離もなく一体だという自覚を得ることが、さとりの急所であり、真理の急所ですよ。「人間の実相の完全円満なことは解った」「みんな人間は神の子、解った」というけれども、「実相の自分」と「現象の自分」との距離がちぢまらない人が多いのですね。その距離をパッと縮める。それが悟りなんですね。秋田市の電気の技師の方は、『甘露の法雨』の「光の無き光源はなく、光源の無き光はなし。光と光源とは一体なるが如く、人間と神とは一体なり」の一節を夢寐(むび)だにも忘れることなく間断なくこれを口ずさむことによって、実相と現象との距離を縮められた。そして神人一体の深い自覚を得られた。そうすると共に自分の子供の巓癇が治ってしまったというのも、実相と現象との距離の縮まる問題です。】
神の子の自覚につながります。
逆に、
神の子の自覚ができるにつれて
実相と現象との距離が縮まるとも言えます。
要するに
以上のことができてくるにつれて
良いことが起こってくるということは確かです。
(参考 新講「甘露の法雨」解釈 日本教文社)
【こう言って自分の体験談をされましたが、この日野西恵美子さんの体験のように、神と自分とが「今」何らの距離もなく一体だという自覚を得ることが、さとりの急所であり、真理の急所ですよ。「人間の実相の完全円満なことは解った」「みんな人間は神の子、解った」というけれども、「実相の自分」と「現象の自分」との距離がちぢまらない人が多いのですね。その距離をパッと縮める。それが悟りなんですね。秋田市の電気の技師の方は、『甘露の法雨』の「光の無き光源はなく、光源の無き光はなし。光と光源とは一体なるが如く、人間と神とは一体なり」の一節を夢寐(むび)だにも忘れることなく間断なくこれを口ずさむことによって、実相と現象との距離を縮められた。そして神人一体の深い自覚を得られた。そうすると共に自分の子供の巓癇が治ってしまったというのも、実相と現象との距離の縮まる問題です。】