夏目漱石「草枕」より
半紙
●
「雲雀」は「魂全体」が「鳴く」のだという表現は、実にいいですね。
その「魂全体の声」を聞いて「ああ、愉快だ」と思って、「愉快になる」のが「詩」なのだと
漱石はいうのです。
「ああ、愉快だ」と思って、その気持ちを書いたのが「詩」だとは言っていない。
「愉快になる」こと、雲雀の声を聞いて、いわば「魂が解放される」こと、
それが「詩」なのだ、と言い換えてもいいのかもしれません。
どこまでも深い、漱石です。
夏目漱石「草枕」より
半紙
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「雲雀」は「魂全体」が「鳴く」のだという表現は、実にいいですね。
その「魂全体の声」を聞いて「ああ、愉快だ」と思って、「愉快になる」のが「詩」なのだと
漱石はいうのです。
「ああ、愉快だ」と思って、その気持ちを書いたのが「詩」だとは言っていない。
「愉快になる」こと、雲雀の声を聞いて、いわば「魂が解放される」こと、
それが「詩」なのだ、と言い換えてもいいのかもしれません。
どこまでも深い、漱石です。