前回2回にわたり、スウェーデンにおける難民受け入れ態勢について説明してきたが、すでに書いたように現在の切迫した問題は、庇護申請をした難民に提供する住居が足りないことである。これに関連した出来事について、付け加えておきたい。(原稿は10月末に書き上げていましたが、掲載が遅くなりました)
前回の記事:
2015-11-24 難民受け入れ状況について(その1)
2015-12-01 難民受け入れ状況について(その2)
庇護申請中の難民に対する住居は、移民庁がその提供に責任を負っている。移民庁は主に、難民を収容できそうな施設を持っている業者と契約を結んで、住居の確保を行っているが、それでも十分な住居が確保できない現在のような状況下では、スウェーデン各地の自治体にも難民の住居として使えそうな施設がないかどうかを相談し、できる限りの数の確保に努めてきた。
移民庁からのそのような要請を受けて、廃校になった学校施設、スポーツ・福祉施設などを見つけて、それを住居として利用できるように改装し、移民庁に提供する自治体も多数ある。もともと住居では無かった施設であることが多いため、キッチンやトイレ、洗濯機、シャワー室の整備などの投資費用が発生し、それらは移民庁が負担する。
しかし、そうやってお金を掛けて、それなりに人の住める施設が完成し、さあ、これから難民の割り当てを始めよう、という時になって、誰かが放火し、施設を全焼させる、という事件が今年の特に秋以降にスウェーデンで何件か発生している。また、同じように放火の被害を受けた建物には、自治体がその建物を難民の収容に使うことを決定した直後に放火されたものもあるし、あるいは、既に人が住み始めている状況で放火されたものもある。
全焼した難民向け住居(日刊紙 Dagens Nyheter 2015-10-28より)
幸いにも死者が出たケースはないが、一方で、犯人の逮捕に至ったケースは1件しかない。夜間の犯行がほとんどであるため、犯人の特定が難しく、はっきりした動機は分からない。しかし、同様の事件が短期間の多発したことやその特徴の共通性から、難民の受け入れに反対する人々の犯行が疑われている。
今年に入ってから10月末までに発生した、難民向け住居に対する放火事件(日刊紙Dagens Nyheterより)
このうち半数は、後述するように10月17日以降に起きている
スウェーデンでも少なからずの人々が難民の受け入れに反対していることは事実であるが、その不満は議員や自治体に向けるべきものではあっても、罪のない難民に向けるべきものではない。政治家が自分たちの声に耳を貸さないから実力行使にでた、などという言い訳も、放火・殺人未遂という立派な犯罪行為を正当化する理由にはならない。スウェーデンのメディアも、相次いだこのような放火を「テロ行為」の一つだと呼んでいる。難民や一般市民の心に恐怖を植え付けることで、自らの政治的目的を達成しようとする非民主的な行為だからである。
Facebookの極右系のグループページや、極右政党であるスウェーデン民主党と繋がりのあるヘイトサイトには、そのような犯行を褒め称えるコメントが相次いでいた。また、スウェーデン民主党の地方支部の中には、その地域で自治体が難民の住居として使おうと考えている施設をリストアップし、その住所と地図をホームページに掲載しているところもあった。彼らの言い分は、自治体がその建物を難民の受け入れに使おうと考えているという事実を、その地域の住民がきちんと知り、不満がある人が自治体に抗議できるようにするためだ、というものだ。つまり、地元の民主主義に必要である情報の公開性に寄与している、という言い訳である。もちろん、そのようなリストの公開にはたくさんの批判が寄せられた。
放火事件はスウェーデン民主党が党として関与しているわけではないため、彼らにその直接的な責任を問うことはできない。しかし、難民の住居に今後使われるかもしれない施設のリストを掲載することが、さらなる放火事件を生み出す可能性があり、しかも、それを指摘する声が実際に多数寄せられている時に、それでも敢えてリスト掲載を続けるのであれば、その後、放火事件が起きた時に責任が彼らに全くないとは言えない、と私は思う。
スウェーデン民主党の党首や幹部は、(少なくとも10月末の段階で)このような放火事件を非難する声明を発表していない。移民庁は放火事件の多発を受けて、今後は難民住居として使おうと考えている施設の情報を公開しないことに決めた。警察も難民向け住居の警備に力を注いではいるようだが、それでも不安を感じる難民は自ら交代で夜通しの見回りをしている。報道を見てみると、ドイツでも似たような放火事件や嫌がらせがこの秋に多発したようだ。
戦禍で家を追われた多数の難民が到達するという事態に、スウェーデンがかつて直面したのは1992年のことである。既に書いたように、ボスニアで勃発した紛争のために主にイスラム系のボスニア難民8~9万人がスウェーデンに逃れ、庇護申請を行った。この時も、彼らに提供する住居が不足したため、広場に張ったテントが彼らの住居として使われたこともあった。だから、現在の状況と当時の状況はよく似ているわけだが、難民の住居に対する放火事件の多発、という点に関しても、当時と今の状況はよく似ている。(「平均3日に1度のペースで放火事件が発生した」という情報を目にしたが、これは1992年全体で平均した数字なのか、スウェーデンに多数のボスニア難民が到達した夏以降の期間で平均した数字なのかがはっきり分からない)
また、新民主党というポピュリスト政党が支持率を大きく伸ばしたり、ネオナチのグループが難民に対するヘイトを撒き散らして、人々を扇動しようとしていた点も、今とよく似ている。
今年10月17日、スウェーデン民主党の国会議員であり党の中核をなしているKent Ekeroth(ケント・エーケロート)が地方の町の広場で演説を行ったが、その演説が非常に醜いものだった(今さら驚くべきことではないが)。「スウェーデンはもう終わりだ」という言葉とともに、難民に対する不安と不信感をくりかえし煽り、挙句の果てに「皆の者よ、外に出て、(自分たちの主張を)見せつけてやろう!」、「スウェーデン人は長い導火線を持っている(私の解釈:忍耐強いということ?)と言われるが、その導火線が燃え尽きた時、爆発が起こる。彼らに、今その時が到来し、今、爆発するのだということを見せてやろう!」と叫ぶような演説だった。この演説の映像は極右系のサイトなどを通じて広く拡散したようだ。
この男のいう「彼ら」というのが誰のことなのか、スウェーデンの政治家なのか、それとも難民なのかがよく分からないし、その「彼ら」にどのような形で「見せてやろう!」と言っているのかが分からないが、彼の言葉を「実力行使への容認」と勘違いした支持者がいてもおかしくはないだろう。彼がこの演説をした直後から2週間の間に、難民向け住居、もしくはこれから難民の住居となる建物への放火事件が多発した。
スウェーデン民主党の路上集会(地方紙 Trelleborgs Allehanda 2015-10-19より)
スウェーデン民主党は今年の夏にも、スウェーデン国内で物乞いをするロマ人に対する憎しみを煽るヘイト広告を、ストックホルムの地下鉄駅に掲載して問題になった。そして、その直後にもロマ人に対する暴力行為や彼らの寝泊まりするテントやキャビンへの放火事件が多発した。立場の弱い者への憎しみを煽ることを通じて自分の党への支持率を伸ばそうとする行為は、卑怯と呼ぶしかない。
過去の記事:
2015-08-07 公共の場における不快な「ヘイト」広告 (その1)
2015-08-17 公共の場における不快な「ヘイト」広告 (その2)
1990年代前半にも、ネオナチ政党が難民への憎しみを煽るヘイトスピーチを繰り返していたが、そのような風潮の中で「実力行使が容認される」と勘違いした男が現れ、外国出身者を次々と銃撃する事件が起きた。ヘイトのレトリックは犯罪行為への引き金を引くと行っても過言ではない。
難民の住居の話に戻るが、住居が不足する中で、それでも難民に住居を提供しなくてはと、あらゆる施設を総ざらいして、せっせと使えそうな施設を整えて移民庁に提供している行政職員や民間の人々がいる一方で、夜陰に紛れて火をかけ、サボタージュすることに力を注いでいる人がいるのは非常に悲しいことだ。そのネガティブなエネルギーをもっと建設的なことに使えないのかとつくづく思う。
前回の記事:
2015-11-24 難民受け入れ状況について(その1)
2015-12-01 難民受け入れ状況について(その2)
庇護申請中の難民に対する住居は、移民庁がその提供に責任を負っている。移民庁は主に、難民を収容できそうな施設を持っている業者と契約を結んで、住居の確保を行っているが、それでも十分な住居が確保できない現在のような状況下では、スウェーデン各地の自治体にも難民の住居として使えそうな施設がないかどうかを相談し、できる限りの数の確保に努めてきた。
移民庁からのそのような要請を受けて、廃校になった学校施設、スポーツ・福祉施設などを見つけて、それを住居として利用できるように改装し、移民庁に提供する自治体も多数ある。もともと住居では無かった施設であることが多いため、キッチンやトイレ、洗濯機、シャワー室の整備などの投資費用が発生し、それらは移民庁が負担する。
しかし、そうやってお金を掛けて、それなりに人の住める施設が完成し、さあ、これから難民の割り当てを始めよう、という時になって、誰かが放火し、施設を全焼させる、という事件が今年の特に秋以降にスウェーデンで何件か発生している。また、同じように放火の被害を受けた建物には、自治体がその建物を難民の収容に使うことを決定した直後に放火されたものもあるし、あるいは、既に人が住み始めている状況で放火されたものもある。
全焼した難民向け住居(日刊紙 Dagens Nyheter 2015-10-28より)
幸いにも死者が出たケースはないが、一方で、犯人の逮捕に至ったケースは1件しかない。夜間の犯行がほとんどであるため、犯人の特定が難しく、はっきりした動機は分からない。しかし、同様の事件が短期間の多発したことやその特徴の共通性から、難民の受け入れに反対する人々の犯行が疑われている。
今年に入ってから10月末までに発生した、難民向け住居に対する放火事件(日刊紙Dagens Nyheterより)
このうち半数は、後述するように10月17日以降に起きている
スウェーデンでも少なからずの人々が難民の受け入れに反対していることは事実であるが、その不満は議員や自治体に向けるべきものではあっても、罪のない難民に向けるべきものではない。政治家が自分たちの声に耳を貸さないから実力行使にでた、などという言い訳も、放火・殺人未遂という立派な犯罪行為を正当化する理由にはならない。スウェーデンのメディアも、相次いだこのような放火を「テロ行為」の一つだと呼んでいる。難民や一般市民の心に恐怖を植え付けることで、自らの政治的目的を達成しようとする非民主的な行為だからである。
※ ※ ※ ※ ※
Facebookの極右系のグループページや、極右政党であるスウェーデン民主党と繋がりのあるヘイトサイトには、そのような犯行を褒め称えるコメントが相次いでいた。また、スウェーデン民主党の地方支部の中には、その地域で自治体が難民の住居として使おうと考えている施設をリストアップし、その住所と地図をホームページに掲載しているところもあった。彼らの言い分は、自治体がその建物を難民の受け入れに使おうと考えているという事実を、その地域の住民がきちんと知り、不満がある人が自治体に抗議できるようにするためだ、というものだ。つまり、地元の民主主義に必要である情報の公開性に寄与している、という言い訳である。もちろん、そのようなリストの公開にはたくさんの批判が寄せられた。
放火事件はスウェーデン民主党が党として関与しているわけではないため、彼らにその直接的な責任を問うことはできない。しかし、難民の住居に今後使われるかもしれない施設のリストを掲載することが、さらなる放火事件を生み出す可能性があり、しかも、それを指摘する声が実際に多数寄せられている時に、それでも敢えてリスト掲載を続けるのであれば、その後、放火事件が起きた時に責任が彼らに全くないとは言えない、と私は思う。
スウェーデン民主党の党首や幹部は、(少なくとも10月末の段階で)このような放火事件を非難する声明を発表していない。移民庁は放火事件の多発を受けて、今後は難民住居として使おうと考えている施設の情報を公開しないことに決めた。警察も難民向け住居の警備に力を注いではいるようだが、それでも不安を感じる難民は自ら交代で夜通しの見回りをしている。報道を見てみると、ドイツでも似たような放火事件や嫌がらせがこの秋に多発したようだ。
戦禍で家を追われた多数の難民が到達するという事態に、スウェーデンがかつて直面したのは1992年のことである。既に書いたように、ボスニアで勃発した紛争のために主にイスラム系のボスニア難民8~9万人がスウェーデンに逃れ、庇護申請を行った。この時も、彼らに提供する住居が不足したため、広場に張ったテントが彼らの住居として使われたこともあった。だから、現在の状況と当時の状況はよく似ているわけだが、難民の住居に対する放火事件の多発、という点に関しても、当時と今の状況はよく似ている。(「平均3日に1度のペースで放火事件が発生した」という情報を目にしたが、これは1992年全体で平均した数字なのか、スウェーデンに多数のボスニア難民が到達した夏以降の期間で平均した数字なのかがはっきり分からない)
また、新民主党というポピュリスト政党が支持率を大きく伸ばしたり、ネオナチのグループが難民に対するヘイトを撒き散らして、人々を扇動しようとしていた点も、今とよく似ている。
今年10月17日、スウェーデン民主党の国会議員であり党の中核をなしているKent Ekeroth(ケント・エーケロート)が地方の町の広場で演説を行ったが、その演説が非常に醜いものだった(今さら驚くべきことではないが)。「スウェーデンはもう終わりだ」という言葉とともに、難民に対する不安と不信感をくりかえし煽り、挙句の果てに「皆の者よ、外に出て、(自分たちの主張を)見せつけてやろう!」、「スウェーデン人は長い導火線を持っている(私の解釈:忍耐強いということ?)と言われるが、その導火線が燃え尽きた時、爆発が起こる。彼らに、今その時が到来し、今、爆発するのだということを見せてやろう!」と叫ぶような演説だった。この演説の映像は極右系のサイトなどを通じて広く拡散したようだ。
この男のいう「彼ら」というのが誰のことなのか、スウェーデンの政治家なのか、それとも難民なのかがよく分からないし、その「彼ら」にどのような形で「見せてやろう!」と言っているのかが分からないが、彼の言葉を「実力行使への容認」と勘違いした支持者がいてもおかしくはないだろう。彼がこの演説をした直後から2週間の間に、難民向け住居、もしくはこれから難民の住居となる建物への放火事件が多発した。
スウェーデン民主党の路上集会(地方紙 Trelleborgs Allehanda 2015-10-19より)
スウェーデン民主党は今年の夏にも、スウェーデン国内で物乞いをするロマ人に対する憎しみを煽るヘイト広告を、ストックホルムの地下鉄駅に掲載して問題になった。そして、その直後にもロマ人に対する暴力行為や彼らの寝泊まりするテントやキャビンへの放火事件が多発した。立場の弱い者への憎しみを煽ることを通じて自分の党への支持率を伸ばそうとする行為は、卑怯と呼ぶしかない。
過去の記事:
2015-08-07 公共の場における不快な「ヘイト」広告 (その1)
2015-08-17 公共の場における不快な「ヘイト」広告 (その2)
1990年代前半にも、ネオナチ政党が難民への憎しみを煽るヘイトスピーチを繰り返していたが、そのような風潮の中で「実力行使が容認される」と勘違いした男が現れ、外国出身者を次々と銃撃する事件が起きた。ヘイトのレトリックは犯罪行為への引き金を引くと行っても過言ではない。
難民の住居の話に戻るが、住居が不足する中で、それでも難民に住居を提供しなくてはと、あらゆる施設を総ざらいして、せっせと使えそうな施設を整えて移民庁に提供している行政職員や民間の人々がいる一方で、夜陰に紛れて火をかけ、サボタージュすることに力を注いでいる人がいるのは非常に悲しいことだ。そのネガティブなエネルギーをもっと建設的なことに使えないのかとつくづく思う。
未必の故意ってやつですかね。
ホント卑劣な奴らですね。
秋以降、難民の受け入れを減らすべき、と考える人が9月に比べて増えていますが、これは急に気が変わって不寛容になった人が増えた、ということではなく、かなりの数の難民を受け入れたうえで、これ以上は受け入れ態勢が十分でなく、実務的に難しく、減らさざると感じている人が増えていることが大きな要因です。
移民排斥に否定的なブログ主さんは今流れている様々な移民排斥ニュースをどう思っていらっしゃるのでしょうか?
>移民排斥に否定的なブログ主さんは今流れている様々な移民排斥ニュースをどう思っていらっしゃるのでしょうか?
具体的にどのようなニュースを指しているのでしょうか?
それから「移民排斥に否定的なブログ主」と私のことを表現しているようですが、では逆に「移民排斥に肯定的である」ということがどういうことを意味するのかちゃんと分かった上でそのような表現を使っているのでしょうか?
大晦日のケルンの騒動でドイツも雲行きがあやしくなってきたし
難民が直接おしよせるドイツ南部は、バイエルンがメルケルにたいして反乱起(告訴)こしそうなくらい不満爆発させてるし
デンマークが正解だったなぁとしか
もし、すでにお書きになっているのであれば、なのですが、「スウェーデンに関する参考文献リスト」を教えて頂けますと大変ありがたく存じます。
元東大教授のJ氏が誰か分からないのですが、悪書を避けて良書を読めると時間と労力の節約になりますので…。
それから、佐藤様のこのブログにも非人道的なコメントする人がいますけれども、最近、キルケゴールの『現代の批判』(岩波文庫)を読んでいて、p80以降が、まさに、こういう人たちの出現を厳しく批判しているなあと思いました。
それでも北欧諸国では、じりじりと民主主義が進んで行っていて、どうやったらそういうエンジンが内蔵されるんだろうと本当に興味があります。
わたくしは学校教員で、あと20年は働かないと留学できないので、佐藤様のブログを通じて学ばせて頂きたいと思っております。
どうぞこれからも素晴らしい記事の更新をどんどんお願い申し上げます。(というかできれば本にしてほしいですが…今の日本の政治状況はかなり反民主的になっている気がするので、今がタイムリーなのかなと・・・・)
色々書いてしまって済みません、激務でお倒れになりませんように、ご活躍をお祈り申し上げております。