スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

ストックホルムの爆破テロ事件

2010-12-13 23:03:41 | スウェーデン・その他の社会
Wikileaks(ウィキリークス)のアサンジ逮捕に続き、世界のメディアの目がスウェーデンが再び向けられている。

週末の土曜日夕方、クリスマス商戦の真っ只中にあったストックホルムの中心街の2カ所で爆弾テロが発生した。この事件による犠牲者は1人。爆弾を仕掛けた犯人だった。

まず16:52に、駐車している車に仕掛けれられた爆弾(ガスボンベ)が爆発した。そして、その10分後、200m離れた路上で次の爆発が起こった。犯人の遺体が見つかったのはその現場だった。


当初は自爆テロと見られたものの、実際には犯人のミスで爆弾が予定よりも早く起爆し、2つ目の爆発が起こったようだ。これまでの捜査で明らかになったところによると、犯人はまず自分の車に爆弾(ガスボンベ)を仕掛け起爆させ、その後、さらに複数の爆弾を別の場所に仕掛けようと移動している途中に誤って起爆させてしまったという。死亡した犯人はいくつかのパイプ状の爆弾をリュックに入れていたようだ。圧力鍋に似た装置も遺体付近から見つかった。しかし、犯人の体には爆弾が巻きつけられていたことから、本人も最終的には自爆するつもりだったと見られる。

また、最初の爆発の10分ほど前には、新聞社TTと公安警察に充てて犯人の携帯電話からEメールが送られている。ここでは、動機がイスラム教に基づくものであることを示唆し、そして、預言者ムハンバドを犬に喩える風刺画を描いた芸術家(?)のラーシュ・ヴィークスと、アフガニスタンに派兵を行っているスウェーデン政府を批判していた。

この事件以降、犯人像が次第に明らかになっているが、それは、イスラム圏で生まれながらも人生の大部分を物質的に豊かなヨーロッパ社会で送り、しかし、どこかで道を間違え、次第にイスラム過激主義に傾倒していったというものだ。このような犯人像を聞きながら、私がまず頭に描いたのは、ロンドンで2005年に4つの爆弾を地下鉄やバス内で爆発させ(自爆)、50人以上の命を奪った4人の若者だ。彼らも人生の大部分をイギリスで過ごしながら、次第にイスラムの過激主義に傾倒していったのだった。人生の挫折やアイデンティティーの喪失などから、精神的な助けとして過激主義を信奉するようになったと言われる。

興味深いことに、今回のストックホルムの事件の犯人と、ロンドン同時爆破テロの犯人強力な共通点・接点を持っていることが明らかになってきた。

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犯人の身元はほぼ確定している。警察は本名と彼の写真を既に公表している。

犯人は1981年にイラク・バグダッド生まれの28歳の男性だ(犯行の翌日が29歳の誕生日だった)。1991年にスウェーデンに家族とともに移住し、1992年にスウェーデン国籍を取得する。少年時代はスウェーデンの農村地帯で過ごす。学校時代の彼は社交的で明るく、中学校時代は喧嘩をするなどの問題もあったようだが、高校に入ってからは落ち着くようになり、バスケットボールや音楽に打ち込んだという。当時は宗教や政治について議論することは全くなかった。すべての高校科目をクリアして問題なく卒業している。フランス語と生物が得意科目だったようだ。

高校卒業後の2001年にイギリスに渡りルートン(Luton)という町にあるBedfordshire大学で理学療法士になるための勉強をする。2004年に学位を取得し卒業。しかし、その後もルートンに滞在を続け、結婚。子供が3人いた。このイギリス滞在中に何かが起きたようだ。実はこのルートンという町は、アルカイダに影響を受けたイスラム過激派が集まる場所として知られていたようだが、彼はここでそのような過激思想に傾倒していったようだ。この町にあるイスラム・センター(過激派ではなく一般のイスラム教徒が集まる場)の代表によると、彼が次第に極端な考えを持つようになったため、礼拝の後にみんなの前で彼の考えの間違いを指摘したところ、彼はその場を後にし、再び姿を見せることはなかったという。

このリンクでは、イスラム・センターの代表に対するインタビューが見られる(英語)

そして、実はこのルートンという町は、2005年のロンドン同時爆破テロの犯人4人が犯行前に集まっていた場所でもあった。

こんな話もある。彼はルートンで結婚し、家族を持っていたにもかかわらず、イスラム教徒専門のデート・サイトで2人目の妻を探していたという。「大きな家族を築いて、いずれは中東に戻りたい。今の妻も2人目の妻を持つことを認めている」と書いていたようだ。

一方で、こうしてイギリスに滞在を続けながらも、彼は両親の住むスウェーデンの住所に住民票を置いてもいた。11月頃にスウェーデンに戻ってきて、11月下旬に中古車をネット上で買っているが、それが今回の事件で最初に爆発した車だった。

スウェーデンの当局によると、テロ犯罪に関連する前科の疑いを掛けられたことはなかったため、公安警察は彼を全くマークしていなかったという。今回の犯行自体は自分一人で行ったようだ。しかし、犯行に至る準備の段階では協力者、もしくは、彼を犯行へと駆り立てたブレインがいると見られているが、それはイギリス警察との協力のもとで現在捜査中のようだ。

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以下では、防犯カメラが捉えた動画や通行人が撮影した動画が見られる。
今回の事件では、死亡した犯人のほかに、最初の爆発の付近にいた通行人2人が軽傷を負っているが、それは非常に運が良かったといえるだろう。犯人がミスを犯さず、目的地に到達してから起爆していれば、もっと大きな被害が出ていただろう。


最初の爆発の直後(まだ爆発が続いている)

最初の爆発の現場(消火活動の終わり頃)

二つ目の爆発の瞬間(防犯カメラ)

二つ目の爆発の直後の現場を真上から
(彼を助けようとする通行人もいるが、未発の爆弾もあると見られ、警察が遠ざかるように指示を出している)



事件以降、反暴力を掲げるデモが散発的に行われている。今日も、中央党の国会議員であり、自らもイラクから難民としてスウェーデンに移住した女性議員の掛け声で人々が集まった。プラカードには「民主主義・自由・開かれた社会」「暴力にNO!」と書かれていた。中には「テロに反対するスウェーデン在住のイスラム教徒の会」「私たちの新しい母国を攻撃しないで!」という、同じ移民や難民の人々やイスラム教徒の人々からのメッセージも多かった。

スウェーデン国内のイスラム教徒の多くが加盟しているイスラム教団体も、今回の過激主義の犯行を非難する声明を出している。

<以前の記事>
2005-08-10:テロの背景・疎外感と自己喪失感

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
不可思議な点 (Tassa)
2010-12-15 04:08:07
はじめまして。
ニュースを読んでいて、ある軍の関係者が数時間も前に事件が起こることを知っていたという記事を読んだのですが、どう思われますか。
FRAだけでなくSäpoも傍受できるようにしようという動きも盛り上がっていて、そういった意味でとても心配です…。
Unknown (Yoshi)
2010-12-15 09:48:47
>ある軍の関係者が数時間も前に事件が起こることを知っていた

確かにこの情報は、スウェーデンのほとんどの新聞が(少し控えめに)伝えていますが、よく読んでみると、ある通信社が配信したニュースが唯一の情報源となっており、どこもそれを引用しているだけです。

一方その通信社は、配信ニュースの中で「国防軍の中の信頼できる情報筋によると」と説明しています。ただし、その「情報筋」がどのような経緯でその情報を知ったのか、「情報を漏らした人」がたとえばSMSで送ったのであれば、それを別の人が目にすることはあまり考えられませんし、そうでなければ、電話で話しているのを聞いたのか、etc、その情報を知ることになった状況というのが全く分からない非常に曖昧な内容です。

おそらくdisinformationの可能性も高いと思いますが、他方で、仮にこのニュースが正しいとすれば、情報筋というのは国防軍諜報部のことでしょうから、彼らが前もって知っていても不思議ではないでしょう。公安警察とは別組織ですし、彼らは米軍など国外との情報のパイプがあるので、米軍・CIAが犯行を起こした人物をマークしており、国防軍に伝えた可能性もあるため、公安警察が持っていない情報も持っていたかもしれません。
Unknown (Tassa)
2010-12-16 02:51:08
お返事ありがとうございます!

TTは、かなり慎重にニュースを流すことで有名です。タブロイド紙とは情報の信憑性が違うと思います。そのTTが"mycket pålitlig källa"と言っているので、ご質問した次第です。(情報を知った経緯が曖昧なのは、情報提供者の特定を防ぐためだとも思います。)
また、DNで読んだのですが、TTは国防軍や公安にこの情報に対するコメントを求めたところノーコメントだった、というのも引っかかったので…。

もしこの情報が正しいなら、場所まで分かっていたのに十分な対策をとれなかったのは非常に残念だと思います。

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