スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

イサベラ・ロヴィーンの決意

2010-01-13 10:16:44 | コラム
今回の記事は、私の姉妹ブログ『沈黙の海』で掲載していますが、政治と政治家、社会との関係について考えさせられる内容を含むものでもあるので、こちらのブログにも掲載します。

『沈黙の海』を2007年8月に出版したイサベラ・ロヴィーン(Isabella Lövin)は、スウェーデン国内の各種メディアの注目を浴び、本が高く評価された結果、10を超える数の賞を受賞することとなった。そのうち、代表的なものが「スウェーデン・ジャーナリスト大賞」であり「環境ジャーナリスト賞」だった。

その後も、彼女はジャーナリストとしての活動や執筆を続けていたのだが、2008年の11月、大きな決断をすることになった。その翌年6月に開催される欧州議会選挙に立候補することを決めたのだった。


ジャーナリストから政治家への転身という思い切った決断を行ったわけだが、彼女はその心境をジャーナリスト新聞(Journalisten)で語っている。ジャーナリスト新聞は、スウェーデンのジャーナリスト協会が会員向けに発行している機関紙だが、彼女はそれまで定期的にコラムを連載していた。その連載の最後となるコラム(2008年11月24日付)に心のうちを語っていた。

ちなみにこのジャーナリスト協会は、ジャーナリストを代表する団体であると同時に、ジャーナリストのための労働組合でもある。

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2008年11月24日
さようなら、ジャーナリスト新聞!
もとの文章はこちら](和文の強調および脚注は私が加えたもの)

「ジャーナリストから政治家に転身するのは難しい決断だった?」

環境党(緑の党)の欧州議会選挙の立候補者リストに私の名前があることについて、日刊紙ダーゲンス・ニューヘーテルからこんな質問を受けた。私は「難しくはなかったと思う」と答えた。

しかし、実際はというと、私の人生のなかで最も厳しい決断の一つだった。いや、離婚や解雇だったらもっと大変だろうから、最も厳しいというのは言いすぎだけれど、それでもジャーナリストとしてのタブーを犯してしまうような感じがした。自分の意見を主張するだけならまだしも、政治家になることを選んでしまったのだから。

政治家への転身を決断した瞬間、ある考えが頭をよぎった。「私がこの新聞に連載してきたコラムは続けられるのだろうか?」私はもうジャーナリストでなくなるわけだし、ジャーナリストとしての最も重要な原則、つまり「中立性」を放棄してしまったわけだから、難しいかもしれない。さあ困った。でも、よく考えてみれば、あの本を出版してからというもの、私はジャーナリストの同僚からもはやジャーナリスト扱いされなくなり、むしろ専門家だとか評論家だとかオピニオンリーダーと見なされるようになったのも確かだ。

ジャーナリズムを通じて私が環境問題への関心を示してきたおかげで、ついに思いがけない申し出を受けることになった。それは私の人生を根本から変えてしまう申し出だった。

「欧州議会の議員になってみないか?」

しかも、EUのあの悲惨な漁業政策が改革されようとする、まさにその期間に欧州議会議員をやってみないかというのだ。欧州議会は今でこそ権限が小さいが、もしリスボン条約[注1]が発効すれば、農業分野と漁業分野における政策決定には閣僚理事会の議決だけでなく欧州議会の議決も必要となる。ということは、漁業政策改革の決定に議員として直接関与できるということなのだ。それまでの私の願いは『沈黙の海』を英訳出版して、スウェーデン以外の国々でも乱獲に対する関心を呼び起こしたいということだったが、それと同時に議員にもなれば、ヨーロッパ全土で乱獲問題の議論に火をつけることができる。つまり、私の武器は一つじゃなくて、いきなり二つになるってことだ。それならば、申し出はなおさら断り切れないでしょ?

私はジャーナリストから政治家へと立場を180度、替えてしまったのだろうか? そうだとすれば、それはこの世で一番素晴らしい職業から足を洗ったということになる。だって、ジャーナリストという職業は、どんな物事でも自分から進んで分析したり考察したりできるし、時には鋭く、時には親身に、時には娯楽的に、時には批判的に、主観的に、客観的になったりというように様々なスタンスを持つことができるし、世論に影響を与えたり、社会の惨めな問題に光を当てたり、興味深い人に何人もインタビューしたり、権力を持つ者を厳しく追及したり、コラムを書いたり、言ってみれば何でもできる職業なのだ。でも、唯一の例外がある。それは、政治的な活動は行えないということ。でも、今まで私にはその気がなかったから、それは全く問題にならなかった。

でも、私のかつての同僚は、私がたまに民主主義のありがたさを実感して上機嫌になっていたのを覚えているだろう。例えば、イェルズィー・エインホーン(Jerzy Einhorn)[注2]マーリット・ポールセン(Marit Paulsen)[注3]といった人が政治の世界に突然足を踏み入れたときも、私は大喜びした。なぜなら、やる気と能力を持って何かに情熱を燃やしている人には、機会さえあれば、持てる力を生かして社会に貢献してほしい、と私は考えていたからだ。逆に、グスタフ・フリドリーン(Gustav Fridolin)[注4]オーサ・ドメイ(Åsa Domeij)[注5]が政治の世界から退いて、別の分野で活躍することを決めたときにも、私は同じくらいに共感した。そう、フリドリーンはジャーナリストになる決意をしたのだった。

民主主義はそうやって活性化されていく。つまり、政治から離れた世界で長いあいだ経験を積んだ人は、政治に必要とされる新しい視点を政治の世界に持ち込み、一方で、政治の世界で長いあいだ経験を積んだ人は一般社会に再び戻って政治経験を生かしていくべきなのだ。だから、私自身は立場を永久に替えてしまったとは思っていない。

私はまたとないこの機会に賭けてみようと思う。そして、すべてがうまく行ったあかつきには、20年以上にわたってスウェーデンのジャーナリスト協会に所属し、ヨーロッパ政治のなかで明らかに狂っているこの漁業問題を改める強い意志を持ち、その問題を描き伝える数多くの経験を積んだ一人の議員が欧州議会に乗り込んでくることになる。

さらば、ジャーナリスト新聞! いつの日かまた会えるといいな。



[注1]
リスボン条約はEUの27加盟国すべての批准を受けて、2009年12月より発効。

[注2]
イェルズィー・エインホーン(Jerzy Einhorn)
1925年生まれ、2000年死去。ポーランド系ユダヤ人として生まれ、1943年にナチスの強制収用所に入れられるが九死に一生を得る(その時の体験はChosen to liveにまとめられている)。大戦後に医者としてスウェーデンへ移住。1991年から94年まで国会議員(キリスト教民主党)として医療改革に携わる。ノーベル医学賞の選考委員も務める。

[注3]
マーリット・ポールセン(Marit Paulsen)
1939年生まれ、女性。ノルウェーに生まれ、若いときにスウェーデンへ移住。工場労働者として働いたり、小説を書いたりしながら、環境問題や動物虐待に関する啓蒙活動も行う。1999年から2004年まで欧州議会議員(自由党)を務める。2009年の欧州議会選挙に先駆けて、政治への復帰を表明し、当選を果たした。

[注4]
グスタフ・フリドリーン(Gustav Fridolin)
1983年生まれ、男性。環境問題に関心を持ち11歳で環境党に入党。同党の青年部会の代表として活躍し、2002年の議会選挙では19歳で当選。スウェーデンで最年少の国会議員が誕生することになった。議員は一般社会との接点を持たなければならず、議員職が生涯の職であってはならない、という考えから2006年の総選挙には出馬せず、その後、ジャーナリストに転身して、民放TV局でドキュメンタリー番組の作成に携わる。

[注5]
オーサ・ドメイ(Åsa Domeij)
1962年生まれ、女性、農業専門家。環境党に所属し、国会議員を2006年まで務め、現在は大手スーパーマーケットAxfood(Hemköpを経営)の環境部長を務める。