上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

昔の上海に居た日本人、その1

2010年11月29日 | 趣味

孫文と辛亥革命に想いを巡らせると、孫文を匿った頭山満が創った玄洋社の海外支部である黒龍会によって上海に送り込まれた一人の男を思い浮かべます。
『国家改造案原理大綱』執筆当時はまだ社会主義者だった北輝次郎が北一輝を名乗るのが、ここ上海です。
(後年、北は帰国後2・26事件に関与した罪で死刑になります。)
映画学校時代に新藤兼人先生が、『けんかえれじい』の鈴木清順監督による脚本改編に関して語った時、彼の名前が教科書の物では無く、激しく生きた人間として記憶に残りました。
彼が上海で世話になり、中華民国議会初代首相に推されていた宋教仁が暗殺されたのも、上海駅のホームでした。
北の属した黒龍会(玄洋社)と、それに繋がる右翼団体と任侠社会、そして構成員として活動した大陸浪人たちを吸収した、笹川機関や児玉機関などの各特務機関と満鉄調査部上海支部の活動。
それらは、戦後のロッキード事件と田中内閣と日中国交正常化会談にも歴史の闇が続いて行きます。

本当に過激な日本人が上海に住んでいたものです。


泥棒!って遅いか。

2010年11月29日 | 日記

雲の合間から強い日差しの差し込む上海です。

天気予報は雨でしたが、当たりそうにありませんね。

今日の午後はF社のH社長が来社されるので、応老師以下全員スーツ姿で出勤。

部長会を見渡すと、別の会社の様でした。

 

さて、実は土曜の深夜に事件がありました。

何と、またしても電動バイクを盗まれてしまいました。

午前1時過ぎまでアニソン会で盛り上がったのですが、夜中に会が引けて表に出てみると愛車がありません。

しばし呆然。・・・電動バイク本体よりも、そのカーゴに入れてあったヘルメットの方が高価だったので更に落ち込みました。

万博後に治安が悪化していると自分でブログに書いておきながら、盗難に注意していなかった自分を責めて、そのまま朝まで一睡もできず過しました。

アニソン会の様子は次号のコンシェルジュに掲載されますが、直後にこんな悲劇に見舞われるとは・・・。

日曜には、申し訳ないけれど、譲った前の愛車を返してもらい、修理屋に診てもらいました。

(譲って1ケ月で、こんなにあちこち壊れてるって・・・何で命を預ける物を大事に扱わないのかなぁ。)

愛車を盗まれるのはこれで2台目ですが、こんな事のある度に、当たり前の事として事件を淡々と受け入れる周囲の中国社会が嫌いになります。

日本人も多数参加した辛亥革命から来年で丁度100年。

社会全体を良くしようという意欲の差が国家としての日本との力の差だと気付く人が少ないのは嘆かわしい事です。

孫文が草葉の陰で嘆いていなければよいけれど・・・。

 

先日の火事と云い、上海はまた万博の前の状態に逆戻りするだけなのでしょうか。

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浜ちゃんで偶然の食事会

2010年11月29日 | 日記

金曜日は弊社のお客さまとのキックオフミーティングの後、静安寺のトンカツ屋「浜ちゃん」で昼食。

ヒレカツ定食を食べつつマスターの浜ちゃんを、中国電動自転車乗りの会にお誘いしようと出向いたのですが、偶然日本商工クラブ事務局長の野口さんとご一緒しての簡易昼食会になりました。

野口事務局長は、来週にも任期が終わってご帰国の途に着かれますが、納会、賀詞交換会などの引継ぎや、日本人学校高等部の新設など、大変お忙しいご様子です。

特に、高等部を充実する為の支援の呼びかけに各方面に奔走され、ご苦労されているので、私の微力ながら何かお力になりたいと思っております。

(今日は早速応老師にご相談しました。)

商工クラブといえば、12月17日のサービス部会の総会が、私たちの開催する上海オフショア開発セミナーのオープンセミナー開催日と重なっていて悩んでます。

 

どちらも外せないし困ったなぁ。

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