孫文と辛亥革命に想いを巡らせると、孫文を匿った頭山満が創った玄洋社の海外支部である黒龍会によって上海に送り込まれた一人の男を思い浮かべます。
『国家改造案原理大綱』執筆当時はまだ社会主義者だった北輝次郎が北一輝を名乗るのが、ここ上海です。
(後年、北は帰国後2・26事件に関与した罪で死刑になります。)
映画学校時代に新藤兼人先生が、『けんかえれじい』の鈴木清順監督による脚本改編に関して語った時、彼の名前が教科書の物では無く、激しく生きた人間として記憶に残りました。
彼が上海で世話になり、中華民国議会初代首相に推されていた宋教仁が暗殺されたのも、上海駅のホームでした。
北の属した黒龍会(玄洋社)と、それに繋がる右翼団体と任侠社会、そして構成員として活動した大陸浪人たちを吸収した、笹川機関や児玉機関などの各特務機関と満鉄調査部上海支部の活動。
それらは、戦後のロッキード事件と田中内閣と日中国交正常化会談にも歴史の闇が続いて行きます。
本当に過激な日本人が上海に住んでいたものです。