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今回の東京散歩は隅田公園周辺


東武浅草駅を下りる。陽射しは強いが風は涼しい。
今回の東京散歩は隅田公園周辺。

まず隅田川に架かる赤い吾妻橋を渡る。
渡りきった直ぐ左に「あづま地蔵尊」があった。
関東大震災、東京大空襲でたくさんの人が川に飛び込み命を落としたのだ。

有名な「う●こ」(実はビールの泡)の載ったビルの脇を通る。
区役所前広場に勝海舟の像が見えてきた。手に鳩が乗っている。
銘板に平成15年海の日建立とあるから新しい。

北十間川に架かる枕橋を渡り、東武線の高架下を歩く。
「墨堤通り」と標識があり、ここは桜の名所なのだ。
隅田川沿いのこの公園は、水戸徳川家下屋敷の跡。池もある由緒ある庭園だ。
池の畔の大きな岩の上に裸の男(推定65歳)が大汗をかいて寝ころんでいた。
熱中症にならないかと心配になった。

庭園を過ぎると目の前に立派な神社が現れた。牛島神社だ。
ここの鳥居は左右に小さな鳥居が付いた特殊型で「三輪鳥居」というそうだ。
お宮参りの家族が石製の牛を撫でていた。自分の悪い所と同じ場所を撫でると治るという。
「撫で牛」として名高いそうだ。
お参りの家族が「どうぞ」と退いてくれた。
すると、するすると現れた女性(推定59歳)が先に目を撫でた。
そう言えば、親父も最近目が霞むので、つられて牛の目を撫でた。
狛犬ならぬ狛牛があると聞いていたので妙齢の巫女さん(推定20歳)に場所を聞いた。
それは本殿の左右にあった。

一旦水戸街道に出てから「見番通り」を歩く。
直ぐに郷土資料館があったが、8/26~29は殺虫消毒のため休館だった。
小学校を過ぎると、そこは「三囲(みめぐり)神社」。
俳人芭蕉の高弟其角の雨乞いの句碑があった。「遊ふた地や田の見めぐりの神ならば」。
江戸時代より、ここは三井家の守護神だった。なので三越のライオン像が境内に鎮座する。

なお見番通りを北進する。
今の見番「向島墨堤組合」の建物があり、今も100名超の芸妓が登録されているという。
直ぐ隣が「弘福禅寺」。中国風の二重の山門と本堂は堂々として必見。
社務所で咳止めの飴を購入。300円。

直ぐ北が「長命寺」。幼稚園を経営しているらしい。
鷹狩りの家光公が、ここの井戸水で薬を飲んだところ体調が良くなったという。
境内を堤の方に抜けると「山本や長命寺桜もち」の建物。
ここの2階で学生時代の森鴎外は3月ほど過ごしたそうだ。

隅田公園少年野球場の隣が「言問団子」。
創業江戸末期。3色の団子にお茶が付いて600円。遅い昼食とする。
それにしても、都鳥がいるなら聞いてみたい。「我が思ふ人はありやなしや」と。

X字模様の桜橋を渡って隅田川の西を戻る。
以前の東京散歩で通った「いまどばし」(川はない)を渡る。
浅草駅に近づいた頃、若い女性(推定19歳)の軍団が何かを詣でている。
行ってみると、それは「東京大空襲鎮魂の碑」だった。
「平和は在るものではなく一人一人が追求し続けるもの」(アジア学生平和宣言から)。
そういう言葉が脳裏をよぎる。
浮かれて過ごす若い世代に語り継ぎたいものだ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
さらさらと (読者)
2013-08-30 08:26:05
さすが!!!
隅田川を見て、古今和歌集の一種が浮かぶなんて
ダダならぬ、よっぱらいさんですね。
読者になります。
 
 
 
タダのよっぱらいです (よっぱらい親父)
2013-09-02 01:07:46
コメントを有り難うございます。
浅草近辺は知っているようで知らない街だったことがわかりました。
また近いうちにその辺をぶらぶらしようと思います。
今後とも読者として応援をお願いします。
 
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