人間失格
という言葉が思い浮かびました。
子どもを育てるのは 親のつとめ。
だから
子どもを刺すなんて もってのほか?
昨日
ニュースで事件を知った義父が
そんな気持ちは 想像がつかない、わからない。
私はどうなのかと聞かれました。
我が子を手にかけるのは
母親失格、人間として失格なのでしょうか。
そんな失格な人間って、
どんな人間なのでしょうか。
私たちと かけ離れた
特別な人なのでしょうか。
私は そう簡単に
わからないとは 言い切れませんでした。
そこまではいかないにしても
そこへ向かう途中の気持ちは
わからなくもない。
でも…
そうでありながら
どこまでいっても
完全に わかることは
できないのかもしれません。
簡単に
わかるなんて言えない
深くて暗いものが
あるような気もするのです。
歌の文句じゃありませんが
それでもやっぱり逢いたくて…
その暗い部分へ
手を伸ばしたい気持ちになるのです。
そのお母さんは、
自分の手首も切っている
そうじゃないですか。
自分は駄目な人間で
生きていても仕方がない、だとか。
ああ、
そんな人間は、
いないんです!
多少駄目な人間は
いるかもしれませんが。
生きていても仕方がない
なんてことは
ない!
何だか悔しくて悲しくて
胸が痛かったです。
駄目な人間だなんて
そんなこと…
思ってましたよ! 私も。
生きていても…まではないけど
いても いなくてもいい
くらいは思ってましたね。
それは
とんでもない間違いだと
本当の意味で気付くのは
大人になって
仕事をするようになってからでした。
言ってみれば
仕事を通じて救われたようなものです。
私の相手は、子ども。
駄目な人間だなんて
自分を否定したら
子どもも否定してしまうことになります。
どんな子どもでも
注意はしても
否定はしない
ていうかできない
してちゃ仕事じゃないでしょ
ということに
ハタと気付いた時から
まるで何かが
ぐるりと変わったような気がします。
いいんだヨ~~(笑)
…だね。
というノリで(?)
私の中に
最終的な味方がひとり
生まれた瞬間です。
ひとりかどうかは
わかりませんが
どうしようもない時
くるりと向きを変えて
背中をトンと押してくれて
(時には蹴り倒される勢いで・笑)
進もうという気持ちにさせてくれるのです。
そんな自己完結なやり方
どうなのか…と思うこともありますが
自分の法則によれば否定もできなくて。
ただ、時折行き過ぎて
自分じゃないような様子に
子どもが引くことがあるので
それは注意したいと思います。
あぁほんとに
刺すくらいなら
こいつ バカじゃないのと
思われたっていいんだよ。
ンなこと知るか ボケ!て
吐いて
ヒンシュクかっても
いいんじゃないの?
つらい。
まだまだ世間一般の人は、
特に上の世代の人は
子どもの育ちの責任は
母親にあると思っているような
気がします。
頭では そうじゃないと
わかっていても
感覚としてはアヤシイところです。
そりゃ
問題はあるかもしれません。
実際、皆が皆
理想的な子育てができてるとは
いえないでしょう。
意見するな
全て肯定しろというわけではありません。
どんどん思ったことは
言うべきだと思います。
お互いに。
だけど
傍観は よくない。
悪気のない傍観的言動が
じわじわと当事者を
追い詰めていることに
気付かないと更に悲劇です。
苦しい時代を生きてきた世代の
方々にとっては
日夜 厳しい職場で働く
方々にとっては
それくらいのことで
折れるなんて有り得ない
のかもしれませんが
(一般論として)
いじめで悩んでる子に
内戦に苦しむ国に比べたら
恵まれてる、とか言うような
ものではないでしょうか。
解決にはつながらないと思うのです。
評論してるだけじゃなく
実践しなきゃ変わらない。
私のまわりにも
待ったナシで直面してる人は少なくないので、
余計そう思います。
ほんとに言いたい。
人事ではないよ。
うちだけは大丈夫 なんて
いざ直面したらどうするの?
それでも
育て方が悪かった、で
おしまいにできるの?
以前
少年の凶悪犯罪で
世間が震えあがったことがありますが
同僚の先輩お母さんが
「これ、人事じゃないよ」
と言っていました。
いつ、そんな加害者になるかもしれない
という意味で。
私もそう思います。
だからって、
子どもを信じないわけじゃなくて
どんな醜い汚い物も
一緒に飲み込んでいく
覚悟というか
できるよ
という人が
まわりにいるだけでも
なんとか踏みとどまれるような
気がするのです。
毎日のように、
悲しいニュースを目にします。
でも
その先を 知ることは
あまりありません。
だから想像します。
切り取られた
その一場面じゃなく
それまでのことや
これからのことを。
せめて、という気持ちです。
何というか…
それくらいしか
できないこともあるのです、
もう。
という言葉が思い浮かびました。
子どもを育てるのは 親のつとめ。
だから
子どもを刺すなんて もってのほか?
昨日
ニュースで事件を知った義父が
そんな気持ちは 想像がつかない、わからない。
私はどうなのかと聞かれました。
我が子を手にかけるのは
母親失格、人間として失格なのでしょうか。
そんな失格な人間って、
どんな人間なのでしょうか。
私たちと かけ離れた
特別な人なのでしょうか。
私は そう簡単に
わからないとは 言い切れませんでした。
そこまではいかないにしても
そこへ向かう途中の気持ちは
わからなくもない。
でも…
そうでありながら
どこまでいっても
完全に わかることは
できないのかもしれません。
簡単に
わかるなんて言えない
深くて暗いものが
あるような気もするのです。
歌の文句じゃありませんが
それでもやっぱり逢いたくて…
その暗い部分へ
手を伸ばしたい気持ちになるのです。
そのお母さんは、
自分の手首も切っている
そうじゃないですか。
自分は駄目な人間で
生きていても仕方がない、だとか。
ああ、
そんな人間は、
いないんです!
多少駄目な人間は
いるかもしれませんが。
生きていても仕方がない
なんてことは
ない!
何だか悔しくて悲しくて
胸が痛かったです。
駄目な人間だなんて
そんなこと…
思ってましたよ! 私も。
生きていても…まではないけど
いても いなくてもいい
くらいは思ってましたね。
それは
とんでもない間違いだと
本当の意味で気付くのは
大人になって
仕事をするようになってからでした。
言ってみれば
仕事を通じて救われたようなものです。
私の相手は、子ども。
駄目な人間だなんて
自分を否定したら
子どもも否定してしまうことになります。
どんな子どもでも
注意はしても
否定はしない
ていうかできない
してちゃ仕事じゃないでしょ
ということに
ハタと気付いた時から
まるで何かが
ぐるりと変わったような気がします。
いいんだヨ~~(笑)
…だね。
というノリで(?)
私の中に
最終的な味方がひとり
生まれた瞬間です。
ひとりかどうかは
わかりませんが
どうしようもない時
くるりと向きを変えて
背中をトンと押してくれて
(時には蹴り倒される勢いで・笑)
進もうという気持ちにさせてくれるのです。
そんな自己完結なやり方
どうなのか…と思うこともありますが
自分の法則によれば否定もできなくて。
ただ、時折行き過ぎて
自分じゃないような様子に
子どもが引くことがあるので
それは注意したいと思います。
あぁほんとに
刺すくらいなら
こいつ バカじゃないのと
思われたっていいんだよ。
ンなこと知るか ボケ!て
吐いて
ヒンシュクかっても
いいんじゃないの?
つらい。
まだまだ世間一般の人は、
特に上の世代の人は
子どもの育ちの責任は
母親にあると思っているような
気がします。
頭では そうじゃないと
わかっていても
感覚としてはアヤシイところです。
そりゃ
問題はあるかもしれません。
実際、皆が皆
理想的な子育てができてるとは
いえないでしょう。
意見するな
全て肯定しろというわけではありません。
どんどん思ったことは
言うべきだと思います。
お互いに。
だけど
傍観は よくない。
悪気のない傍観的言動が
じわじわと当事者を
追い詰めていることに
気付かないと更に悲劇です。
苦しい時代を生きてきた世代の
方々にとっては
日夜 厳しい職場で働く
方々にとっては
それくらいのことで
折れるなんて有り得ない
のかもしれませんが
(一般論として)
いじめで悩んでる子に
内戦に苦しむ国に比べたら
恵まれてる、とか言うような
ものではないでしょうか。
解決にはつながらないと思うのです。
評論してるだけじゃなく
実践しなきゃ変わらない。
私のまわりにも
待ったナシで直面してる人は少なくないので、
余計そう思います。
ほんとに言いたい。
人事ではないよ。
うちだけは大丈夫 なんて
いざ直面したらどうするの?
それでも
育て方が悪かった、で
おしまいにできるの?
以前
少年の凶悪犯罪で
世間が震えあがったことがありますが
同僚の先輩お母さんが
「これ、人事じゃないよ」
と言っていました。
いつ、そんな加害者になるかもしれない
という意味で。
私もそう思います。
だからって、
子どもを信じないわけじゃなくて
どんな醜い汚い物も
一緒に飲み込んでいく
覚悟というか
できるよ
という人が
まわりにいるだけでも
なんとか踏みとどまれるような
気がするのです。
毎日のように、
悲しいニュースを目にします。
でも
その先を 知ることは
あまりありません。
だから想像します。
切り取られた
その一場面じゃなく
それまでのことや
これからのことを。
せめて、という気持ちです。
何というか…
それくらいしか
できないこともあるのです、
もう。
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